公開演説実行委員会
2100.7.11.
《その前夜》
「ここだよな……」
俺は疲弊していた。場所は破虹軍本館の、限りなく最奥に近いどこかだ。どこなのかはもう分からない。今朝世世さんからもらった、「今夜技術課に来い」と書かれたメモの、その言いつけを守って、こんな……まるで地下街のように薄暗く黒い廊下の端までやってきたのだ。目の前には「技術課」という看板が見える。
人に道を聞くこと、実に7回。端末のマップは作りが大まかで、建物内のここまで細かい道は表示してくれなかった。最後には人通りもなくなったので、勘に頼りながら歩き続ける羽目に……
こんな所に一日中篭っている世世さんは、事情があるのはもちろん知っているが……やはり頭がおかしいと思う。
すう、と息を吸い、吐いた。続いて扉をノックすると、「開いている」と声が聞こえ、俺は意を決して部屋の中に踏み込む。
「よく来た慧央。1人で来られたか?」
部屋の中は雑然としていた。用途不明の様々な機器とその配線が、縦横無尽に部屋を這っている。その中央にたったひとつだけあるデスクで、暗闇でもわかるほどの白さを持つ世世さんの姿が、ライトに照らされていた。こちらに手招きしている。
「死ぬほど迷った。なんでまたこんな奥深くに城作ってんだよ……」
それに従ってどうにか下手なものを踏まぬように部屋を進み、形だけ置かれていた椅子に座った。世世さんはどこか薄笑いを浮かべながら手元のスイッチを押す。すると、目の前のローテーブルにすうっと裂け目が生まれ──正方形の穴が開いた。
「えっ」
「紅茶でいいな」
「あっ、別に」
「紅茶でいいな?」
俺が答える前に、穴から紅茶の入ったカップがせりあがってきた。何だこの……からくり屋敷じみた仕掛けは。飲み物に特に好みのない俺はそれを有難く受け取り、再び閉じていくテーブルを見つめる。
「有り余るワタシの才能を、ほんの少し見せてやっただけだ。本当なら我が家も全て改造してやりたいのだが」
「……自分で紅茶入れられないからだろ?」
「黙れ。焼くぞ。──それはさておき、目覚めたばかりのお前をこんな所に呼び出した本題に入ろう」
これが弓手総帥や亜門さんに呼び出されたりしていたら、俺はもう冷や汗と震えが止まらなかっただろうと思う。だが相手は世世さん──血の繋がりはないものの、家族だ。なにやら机の下に身を潜らせた世世さんを見ながら、俺は紅茶を一口飲む。……緊張することはない。最近ではめっぽう帰ることがなくなってしまった我が家で、食事を囲んで団欒するようなものだろう。
「さて慧央。これは何かわかるか?」
再び現れた世世さんが見せてきたのは1切れの黒い布だ。正直部屋が薄暗くて細かい縫製までは見えない。
世世さんは生まれつき虹素への耐性が低く、電灯が発するほんの僅かな虹素でさえも、避けれるのであれば避けた方が良いのだという。……俺も似たような症状があったので、その辺りはよく言い含められていた。なのでこの部屋はここまでの明るさに抑えられているのだ。とはいえ、こういう時には困るな。
「布?」
「そう。戦闘服の生地だ。──|7月7日の夜、
世世さんの目は冷ややかだった。いや、違うか。これは……感情を排して俺を観察しているらしい。
訳が分からないが、俺を呼び出した理由は決して家族団欒のためという訳ではなさそうだった。
「はぁ? だって……今だって俺は戦闘服を着てるし、補修された跡もないが」
「知らないだろうが、あの夜お前は地下街の入口に倒れていたのだ。そこから山田がお前を医務室に運んで、その後ワタシは手早く服を取り換えた」
「なっ」
「そして調べたところ、ある事実が分かった。この布の組成は──ワタシが
頭の悪い俺は、その事実を噛み砕くのに数秒の時間を要した。つまりどういうことか。
7月7日は、俺が依呂葉を救うためにこの時間軸にやってきた日だ。つまり、タイムスリップした日のことである。
その日に着ていた戦闘服というと、──俺が
ぶわっと汗が吹き出すのを感じた。つまり世世さんが今日俺をここに呼んだ理由というのは……
「お前、何処でこれを手に入れた? 新モデルはこの部屋にまだ数着あるのみだ。試作段階のものがな。これをただの破虹師であるお前が手に入れるとしたら、……お前は未来からやってきたのだ、としか言えなくなってしまうのだが」
「それは……」
ぐうの音も出ないほど、真実だった。
俺は動けなくなってしまった。こんな形で素性がバレてしまうことになるとは、思いもしなかったのだ。
何も答えない俺を見て世世さんはふっと笑い、デスクを立つとこちらへ近付いてくる。
「顔色が悪いぞ。……何も取って食おうと言っているわけではない。その顔を見るにワタシの推理は当たっていたようだが」
「……その通り。俺は未来からやってきた」
俺は腹を括った。世世さんの片眉が上がる。
……考えてみれば、むしろ、俺の目的のためには協力者が必要だと思ったのだ。環という予期せぬ敵を作ってしまった以上、こちらも俺一人で動くには限界がある。
その点世世さんは、俺を裏切るなんてことは絶対にありえない。
「詳しいことは俺にも分からない。不思議な力でここに戻ってきた……ただ、理由はハッキリしてる」
「それは何だ?」
「依呂葉を救うためだ。アイツは8月25日に、……《憤怒》の虹化体に殺されてしまうんだ……!」
手を強く握った。あの日の出来事は……口にするだけで、俺の中で《怒り》が燃え上がり、はね回るほど、衝撃的で、屈辱的で、……悲しかった。今の俺を動かしているのは、この燃えるような感情だけである。死体のようだった俺の隅々にまで行き渡る、文字通り動力源だ。
世世さんの紫の瞳が、俺を上から下まで一周する。
「……理解した。嘘はついていないようだな」
「わ、分かるのか?」
「無論。息子の考えていることくらいは分かるさ。……そして、安心しろ」
世世さんは背筋を伸ばすと、白衣を大袈裟にはためかせて見せる。
「破虹軍医療課長兼技術課長のこのワタシは、いつでもお前の味方だ。……だから、今後何かをする時は必ず相談しろ」
*・*・*
2100.7.13.
《玉置環尋問の翌日・破虹軍会議室》
って言ってたのに……
「ワタシは反対だ」
俺の目の前で、世世さんはそうきっぱりと言った。
ここは破虹軍に数多ある会議室のうちの一つだ。俺が大掃除のミーティングに参加した時の部屋と作りが酷似しているため、この通りには同様の作りの部屋が並んでいるのだろう。
その部屋に長机を四角く並べ、……そうそうたる顔ぶれを大人しく座らせてあった。
「どうしてだい? 久世。いいじゃない、
世世さんに真っ先に言葉を返したのは、破虹軍総帥・
その声に、向かいに座る男が揺らぐ。
「……私も、久世課長に賛成です。公開演説会……それには、あまりにリスクが大きすぎる。せめてライブ中継等の形をとり、玉置氏本人の安全を確保すべきかと」
猛獣の如き気迫を、人の身に封じ込める男。北斗七星筆頭・
俺が北斗七星になるにあたって、1番の障害だった、《最強》だ。
「僕はいいと思うけどねぇ。演説会。総帥に賛成ですよ。本人の意思は尊重すべきだと思う。……安全面というのなら、それこそ破虹師さんたちの領分なんじゃないのかな?」
俺なら泣いて逃げ出す亜門さんの怒気に飄々と噛み付いたのは、刑事課長・
その答えに、俺の真横からケタケタと気味の悪い声が聞こえた。
「もー☆ 死にそうなおじちゃん大好き☆ そうだよ……ボクはただ地上のみんなとお話したいだけなんだからさぁ☆ 顔と顔を合わせて☆」
環だ。背後にあるホワイトボードからボードマーカーを取ってきては、面白そうに手に落書きをしている。そのペン先が俺に伸びようとしたので、パシンと叩き落とした。
弓手総帥の口元が、にへらと歪む。
「……じゃあじゃあ、《玉置環公開演説会実行委員長》の相友慧央くん。きみはどう思うんだい?」
「──ッ!!」
そう。
破虹軍総帥、北斗七星筆頭、医療課長兼技術課長、刑事課長、そして本日欠席の事務課長……
破虹郡東京本部を取り仕切る化け物どもの前に立っているのは、何故かこの俺なのだ。胃が痛い。
(死にたい……何で俺は……北斗七星になったのに……こんなことを)
昨日の尋問の後、すぐに実行委員会は立ち上がった。と言っても、軍内の課長プラス、任意の北斗七星1名という非常に小さいグループである。そして何故か、亜門さんを座らせる前で、俺は今ペンを握っていた……
質問に答えない俺に、全員からの視線が刺さる。一際……初めに反対してきた世世さんのそれは強烈だ。正面に座っているせいもあるかもしれないが、俺を試すような目をしている。
だからさあ、一昨日、俺の味方をするとか言ってなかったっけ、世世さん?!
「えー……俺はあくまで実行委員長ですから、実施したい方向で考えていますが……」
約2名からの視線が強まり、吐きそうになるのをこらえる。
「……何分、こういうことには慣れておりませんので、今回は……中立の立場とさせていただきたく……」
「ていっ!」
日和った俺に、玉置の鋭い突きが入る。黒いマーカーは俺の頬を的確に捉え、定規で引いたように綺麗な線が入った。
「アハハ☆ 慧央くん変な顔ー!」
「ぶっっ殺すぞお前」
「無駄話をするな、慧央」
さすがにキレた俺に、世世さんから叱りの声が飛ぶ。世世さんの顔は1ミリも笑っていない。
「……失礼しました。えーと、皆さんの考えはわかりましたが……あ、世世さんはどうして反対を?」
「フン……当たり前だ。忘れたか? 7年前に地下街封鎖を実行した時の街の様子を」
「俺、記憶が」
「ああそうだったな……ともかく、そこでニヤニヤ笑っている弓手が総帥になって初めての大掛かりな作戦が、地下街封鎖だった。《地下には人間は住んでいない》ということになっていたが……そうでないことは、予めわかっていたな?」
俺は人から聞いたことを脳内でまとめてみた。
地下街封鎖。現在はもう使われていない地下街が犯罪の温床となることを防ぐべく、入口を塞ぎ、中に火を放った。
だが、考えてみれば火を放つのは少々やりすぎなような気もする。中に人が居ないと思われていたのであれば……
「……そうだね。僕は当時まだ軍にいなかったけど、前任の刑事課長による事件ファイルは読ませてもらったよ。封鎖後の調査では、内部に死体は見当たらなかった。でも、人が焼けたような跡は確かにあったんだ」
「それは……」
「地下街に
九十九さんは目の前の緑茶をぐび、と飲みながら言った。環は頷く。それは俺も聞いた。地下には密かに、地上を嫌う人達が住んでいたと。
そして九十九さんの話によれば、それは7年前の時点で予め……市民たちもわかっていたことだと言うのだ。分かっていて、殺した。何故ならテロリストは人間ではないから。
「弓手の政策は大ハマりして、地下は一掃された。危険思想を持つ旧人類が淘汰された。それに我々地上民は歓喜し、弓手は破虹軍総帥として鮮烈なデビューを果たしたというわけだ。つまり我々は──玉置を孤独に追いやり、あまつさえ喜んでもいた。『自分たちが関与した虐殺の生き残り』による演説なんて行ってみろ。周囲のストレス濃度がどうなるかなんて火を見るより明らかだ。虹化体が出るぞ」
いつの間にか立ち上がっていた世世さんは、細く息を吐いて、静かに座った。勢いよくお茶をあおる。周りの人間たちは黙りこくって何も言わない。……最もすぎる意見だ。
環の存在は誰にとっても青天の霹靂。それをいきなり人目に晒すなんて、あまりにも……とくに人間の感情が形となって襲いかかってきてしまう現代では危険すぎる。
世世さんと亜門さんは、それぞれ市民と環の安全面から演説会を否定し、総帥と九十九さんはそれぞれ、償いとして、また環の意志を尊重して演説会を行うべきだと言っている。
どちらの意見を優先すべきかは、俺たちの職務を考えれば明らかだった。
「……ここまでの意見をまとめて、俺も環が直接市民と顔を合わせるのは避けた方がいいと思います。どこかの会場でモニター越しに環の演説映像を流す──という亜門さんの案が、妥協点かなと」
「じゃあその方向で、ええと……あとぼくたちは会場とか決めて、あとは告知の時期と方法とかを考えていく感じになるのかな?」
もはや俺より総帥の方が場を取り仕切っていたのだが、その後も話し合いは続き、一定の成果を得た。早ければ来週にでも演説会を開けそうな勢いだった。
だが、その間……俺は環の顔を見ることが出来なかった。
環はなんで、周りを仇に囲まれてもなおその態度を貫けるんだ? どうして……共犯者の俺が周りに流され、半ば環を裏切っているこの状況でも、平然としていられるのか?
俺は周りの目を盗んで、環の手元を見てみた。まだマーカーを弄り、手のひらに何かを書き付けている。
「……はっ……」
思わず、呼吸が浅くなってしまった。……環の小さな掌は──「殺す」という文字で埋め尽くされていた……
平気でいられるなんて、とんだ思い違いであった。
まずいと直感的に思う。こいつは早く処分しなければならない。こんな悪意の塊を画面越しとはいえ市民にお披露目する? 馬鹿話だ。無理に決まっている。
……いや、まずは冷静にならなければならない。目の前で審議している4人からして、今更計画の撤廃は無理だし……最悪この場で俺が殺される危険性もある。ならば次考えるべきは、いかに環の欲を満たしつつ、完璧な制御下に置けるかということだ。
本当に対面での演説は不可能なのだろうか?
市民への精神汚染は免れない……が、予め話す原稿を厳しく精査すれば軽減は可能だろう。環の目的は真実を話すことではない。きっと多くの人間と顔を合わせることだ。
いやむしろ、市民を呼ばなければいいのではないか。市民よりはタフネスのある破虹師たちで会場を埋めつくしてしまえばいい。もとより市民は地下民をテロリストだと思っている。入場整理券とともに事情を説明するビラでも渡してやれば、みんな怖がって当日は家に篭るだろう。
環がどんな手段を用いて市民を陥れようとしても、大量の破虹師相手に圧倒できるような手札はないはずなのだから、本性を現したところで一気に畳みかけてやればいい。……アイツの野望とともに、命から絶ってやる。
そこまで考えて、俺はスっと手を上げた。
「どうしたんだい、実行委員長くん」
「俺は軍の規則にはあまり詳しくないのですが──イベントの実行委員長とは、一時的に強制権限を持つ役職だと聞いています。合っていますか?」
「うん。ぼくを納得させることが出来るならね」
総帥は愉快そうに微笑んでいる。目が厳しくなる世世さんを無視して、言った。
「……気が変わりました。俺は環本人による、対面の……公開演説会を開きたいと考えています。全部俺の責任で、やらせてください」
腰から折って礼をする。どよめく3人と、何のリアクションも返さない総帥。俺はゆっくりと顔を上げ、表情を伺う。
この際3人はどうでもいい。……総帥だ。
「うん、いいよ」
「本当ですか!」
「もともとぼくは賛成派だったし。慧央くんが何を考えて意見を変えたのかはわからないけど……精一杯協力する」
「弓手っ!!」
「久世、黙って」
総帥はいつものように、底の知れぬ笑みを浮かべ……俺に同意してくれた。
世世さんがすかさず噛み付くが、総帥の承諾が取れた時点で、この案件は俺持ちになったということだ。声を荒らげているのを見るのは気が引けるが……
「世世さん、俺の味方だと言うなら……協力してくれませんか」
「味方、という言葉を履き違えているようだな、慧央。ワタシはただお前を……うっ」
突然、世世さんが大きくよろめいた。続いて、苦しそうに肩で息をし始め……それが改善する気配はない。どうしたんだと辺りを見回す俺の目に入ったのは──天井の、虹素を動力としている蛍光灯だった。
「世世さんまさか、
「大変! そうだった、久世は虹素に弱いんだったね。……亜門くん、ちょっと彼女を医務室まで運んでくれるかな」
「いい……亜門、ワタシのことは放っておけ。はぁーーっ……こんなの、慣れたものだ。呼ばれた時点でこうなることは……分かっていた」
世世さんは震える手で懐から蜺素顆粒を取り出す。それを手元のお茶で飲もうとして、やめた。口元には自重の笑みが浮かび、やがて視線がゆらゆらと宙を彷徨う……
「せ、性格が悪いな……」
「何言ってんだよ世世さん! 死ぬぞアンタ! ……亜門さん、お願いしてもいいですか? ご存知かと思いますが、医務室の一番端の病室は、虹素レスの部屋になっているので、そこに……」
亜門さんは小さく頷くと、もうぐったりしてしまった世世さんを抱き上げて部屋から出ていった。バタンと扉が閉まれば、すっかり静かになる。
残されたのは奇しくも演説会賛成派だけだった。
「邪魔者が消えて良かったね。なーんて、冗談でも言うべきじゃなかったかな。……すまないね、慧央くん。蛍光灯を変えておくのを忘れていたのは、ぼくの落ち度だ」
弓手さんの表情は読みづらい。表情筋が柔らかいのかよく動くが、その動きがあまりに滑らかすぎるのだ。人なら当然あるべきがたつき、引き攣り、そして隠しきれない内心の現れ……そういった物が一切ない。
計算され尽くしたような笑み、と表現するのが適切に思われた。それでいて、俺たちに不快感を一切与えないのだから……恐ろしい。
(いや、待てよ。本当に蛍光灯が原因なら……環もああなっていないとおかしいのでは? 世世さんはたった今、飲みかけのお茶に再度手を伸ばすのを躊躇った……つまり)
いや、考えるのはよそう。
この会議室をセッティングしたのは総帥だ。その総帥が、世世さんのお茶だけに虹素を盛った……なんて、そんな……悪いことは考えない方がいい。
とにもかくにも、今日をもって……環の公開演説会実行委員会は、正しく発足した。
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