聴取・玉置環


 刑事課の内装は、ロビーや戦闘課のそれとは趣が異なっていた。黒を基調としたデザインなのは変わらないが、どことなく安っぽいというか、余り物感がひしひしと伝わってくる。どうぞ、と九十九さんに示されたソファは毛羽立って今にも穴があきそうだったし、その脇にはデスクが2つしかなかった。

 もしかしなくても、刑事課の人員は2名しかいないのではないだろうか? そのうちの1名も、今は見当たらないようだし。

 自ら1人を選んだ世世さんと違い、やむを得ずこの規模に収まってしまったような感じがする。


「失礼なこと考えてない? 慧央くん」

「し、思考の自由は保証されてるでしょう」

「ごめんねえオンボロで」


 俺たちは言葉に詰まった。コーヒーを持ってきた九十九さんが、本当に申し訳なさそうに笑っている。目の前にそれを出されたものの、今の状況で飲む気にはなれなかった。


「デスクも2つしかないでしょ。ほんとに僕と部下が1人居るだけなんだよね、ウチ。山田くんにご助力願ってる時点で分かると思うんだけど、ホントに必要な部署かも分かったもんじゃないんだ」

「現代日本で犯罪が起きると、ほぼ同時に虹化体も生まれますからね……破虹師が出動して一件落着ってケースは慧央くんも多く見てきたと思うよ」


 破虹軍が虹化体の出現予測を行えるようになったのは、街のストレス濃度を計測する機器を開発したからだ。虹化体は悪感情の吹き溜まりに発生する。さながら、台風の目のように。それはつまり、犯罪が発生して周囲に不安が蔓延した場所には、虹化体が生まれ得るということだ。

 さらに、九十九さんがスーツを着ていることからもわかるように、破虹軍で武装が許されているのは(もうこれ以上俺の知らない課がなければ)戦闘課だけである。各地の交番にも破虹師が詰めているし、俺たちは国を疫から守る兵士であると同時に、市民の安全を守る足でもあるということだ。


「そんな日本で刑事課がまだギリギリ踏みとどまっている理由は……僕個人としては、ここにあると思っているのさ」


 九十九さんは指で頭を叩いた。


「考えるってこと。何故犯罪が起きるのか、何故、虹化体は人を襲うのか……それを考えるのをやめたから人類はここまで発展してきたとは思うのだけど、やっぱり僕は諦めたくない。人と虹化体は、いつか必ず分かり合えると思うんだ……」


 一瞬、本気で耳を疑った。

 人と虹化体が分かり合う? 何を言ってるんだこの人は。虹化体は敵だろうが。いくら人類が考えたって奴らに脳みそはないし、依呂葉を復讐に駆り立て、さらに依呂葉本人をも殺した。《地下街の悪夢》だって虹化体による災害だ。分かり合う以前の問題である。

 例えるなら……俺たち人間に向かって、家畜のブタが「分かり合おうよ」と言っているような……

 山田さんも初めて聞いた話らしく、俺たちは揃って絶句してしまった。……九十九さんはおほんと咳払いをして、きまり悪そうな顔をする。


「あ〜……なんか熱くなっちゃったねえ。まあそういう訳で僕達は爪弾きにされてるんだけど、それはそれとして今日は環さんの聴取を行うからね。……慧央くんもこの質問リスト、目を通しておいてね」


 送られてきたメールに添付されたリストを見て、俺は苦い顔をした。文字が多すぎる。


 俺たちはその後、地下牢に向かった。ここは地下街とは隔絶された場所にある。俺も犯罪者を何人かここにぶち込んだことがあるが……環のやつ、ここに入れられてるのか。まあ地上よりは地下にいた方が、身体的には安全なのかもしれないが。


「地下牢、刑事課と直通なんすね」

「ああそうだよ。裏口みたいな感じさ。破虹師さん達が表から人を連れてきて、僕らが裏から話を聞きにいく。とことん弾かれてて笑っちゃうよねぇ……と、ついた」


 先頭を行く九十九さんが戸を開けると、埃っぽい臭いが鼻についた。ここは地下ということもあるだろうが、閉じ込められていた罪人たちの負の感情がわだかまっていてどうにも居心地が良くない。

 空っぽの牢の間を進んでいく。所々鉄格子に傷がついていたりと、なかなか物騒だ。

 そして、見つけた。


「……ん、誰か来た☆」


 最奥の牢で裂けるような笑みを浮かべる……環を。


「一昨日ぶりだな、環」

「こっちこそだよ慧央くん☆ ボクったら寂しくて全然眠れなかったんだから☆」


*・*・*


「えー、じゃあいくつか質問させてもらってもいいかな」


 九十九さんからちょっとした説明を環に施した後、すぐに聴取は始まった。俺はさりげなく山田さんと環の間に入り込む形で同席し、少しでも山田さんと環の距離を離そうとする。だが、と目を細めた。


「まず、あなたの名前は玉置環さん。でいいんだよね」

「うん。タマキタマキ。可愛いでしょ☆」

「ちょっと珍しいな〜なんて思ったよ僕は。親御さん、ユーモアのある人なんだね」

「ママとパパは……そうだね……優しい人だったよ。大好きだった」


 山田さんの顔は、不自然なほど自然な笑みを浮かべていた。それはいいのだが、驚いたのは……瞳が血のように赤く染まっていることだった。天恵を使っている証だが、実のところ、俺は山田さんの目が赤くなっているのを初めて見た。


「ん、何だい慧央くん。僕の顔に何かついてる?」

「いや別に……目が赤いなと思いまして」

「ああ……この辺は人が少ないからね。本来の僕の顔に戻りつつあるのかも」

「本来?」

「うん。僕が平均になる、空気に溶け込むっていうのは、容姿・・も含むんだよ」


 唖然とした。だとすると、俺たちが普段見ている山田さんは、山田さんであって山田さんではないということになるのか? そんなことが……


「ふふ、今のは僕にもわかったよ。そんなこと・・・・・あるんだ・・・・。僕には僕がない。だからこそ周囲の変化には敏感になる。みんなも風が吹いたら分かるだろ? 皮膚を撫でる空気の刺激が感覚器を興奮させ、そのシグナルが脳に伝わる。僕はそんな空気と同じ感覚で、人の心の揺れ動きも感じ取れる、と言うわけさ。──だから、環ちゃん」


 さっきからこちらにギラつく視線を送っていた環も、山田さんの様子には異変を感じたようだ。だがもう遅かった。普段の無難なブラウンとは似ても似つかぬ深紅の瞳が、環を真っ直ぐに射る。


「嘘は良くないと思うんだ。君はお父さんお母さんのことは嫌いだった・・・・・。そうでしょ? 僕の前で見栄は張らない方がいい。僕だって、女の子を変に疑うのはイヤなんだからさ……」


 ホント嫌な仕事! と嘆く山田さんを、初めて不気味な人だと思ってしまった。頭の中には焦りが静かに渦巻き始める。少量の黒粉を水にかきいれたように、それは段々と全体を暗く染めていく。


「じゃ、続けるよ。環ちゃんが一人ぼっちになっちゃったのは7年前の地下街封鎖の後から?」

「そうだよ☆ みんな火の海に消えてった☆ パチパチとね」

「おい環。地下で話を聞いた時はそんなこと言ってなかっただろ、嘘を──」

「いや慧央くん。彼女は嘘をついていないよ。彼女の家族は僕ら破虹師に絶たれたんだ」


 環は余計なことを、とでも言わんばかりにこちらを見た。山田さんの意味ありげな視線も刺さってくる。……今の俺の発言で、環は普段から息をするように嘘をつく人間だということがバレてしまったということだ。

 それにしても、俺にそんな嘘をついたということは、こいつはやはり初めから俺を利用するつもりで近づいたということだ。


「お友達とかいた?」

「だからその時に死んだ!」

「好きな食べ物は?」

「ボクたち地下民の食料は地下作物だけだよ。知ってるでしょ? そうだね、強いていえばセロリが好きかな☆」

「嘘をつかない」

「……甘いものが好き。砂糖とか」

「地下街のどんなところが好き?」

「好きじゃないよ。ボクは地上に憧れてたんだ。いいじゃない、太陽の下でかけっこ! とか。地下に降りてきた世代のおじいちゃん達がこぞって言ってたよ。『地上は良かった』って」

「ならなんでずっと地下にいたの? 7年前までは地下民にも、地上進出の権利があったはずだけど」

「答えたくないね。モクヒケンってやつ」

「それは何か……他人から強制されていた?」

「だから言いたくない」

「……分かったよ。ちょっとプライベートなことを聞いちゃったね。じゃあ次。地上のことをどう思ってる?」


 弾丸のように続く質問で、環の人となりが執拗に暴かれていく。これはもう聴取なんていう生易しいものじゃない。……尋問だ。

 俺は活字が嫌いである。だから質問リストもナナメ読みだったのだが、今更ながら目を落としてみた。質問の内容も順番もその通りに進んでいる。つまりこれは九十九さんが考えたものだということだ。

 たった2日で。


「環ちゃん?」

「地上のことは……憎いよ。ボクたちを見捨てた奴らが沢山いる。ボクは地下も地上もどっちも嫌いなんだ」

「うんうん」

「でも、それ以上に楽しみではあるんだ☆ ボクはすぐ死ぬんでしょ? 知ってるよ……ボクがこれまで見送ってきた仲間たちはね、誰一人として地下に帰ってくる人はいなかったんだから」


 環の言葉に、一堂言葉を失う。

 環の言うことは最もだったからだ。地下で過ごした時間が長ければ長いほど、地上に蔓延する虹素から身を守るための蜺素ワクチンは定着しにくくなる。先程は気づかなかったが、環の腕にはガーゼが当てられていた。おそらく既に接種されたあとだろうが、一体どれほどの効力を発揮できるのか。

 生まれてからずっと地下にいた環が地上で天寿を全うできる確率は限りなく低い……ということになる。

 実際、破虹軍が組織され人民が地上に戻ってからしばらくは、虹化体に捕食されるのと同じくらい……虹素中毒で虹化してしまうという死因が多かったくらいなのだから。


「でもボクはそれでいい。もうやり残したことは……今のところないし☆ ちっぽけなお願いを言うのなら、ちょっと地上の街を見て回りたいな……なんて」


 山田さんの目は静かだった。静かに、その答えを無視した。


「で、一昨日……大掃除当日のことを教えて欲しいんだけど」

「何? これ以上ボクを虐めないでよね☆ 心を読めるとか、マジでキモイんだけど☆ てか慧央くんは何で来たの?」

「あはは、ごめんごめん。慧央くんは、環ちゃんが少しでもリラックスできるかなと思って連れてきたんだけど……君は僕の目だけを見ててくれたらいい。後で話す時間はあげるからさ」


 そしてどうやら、山田さんの嗅覚は……環はただの無害な市民ではないかもしれないと判断してしまったようだ。手元のタブレット端末にあるリストは次の質問から分岐をしているが……その片一方にバツをつける。


「じゃあ次は、大掃除当日のことについて聞きたいんだけど……一昨日の朝から慧央くんに助け出されるまで、覚えてることを全部教えて欲しい」


 来た、と思った。

 環の目も心なしか震えているように見える。えーっと、どうだったかな……と唸り、打開策を探しているようだ。

 誤算にも程がないか? よりによって山田さんが1番の障害になるなんて、それもここまで厄介だったなんて考えてもいなかった!


「確か、その日は……そう、朝から妙だなと思っていたんだよ☆ ボクは普段地底街にいるから地下のことはよく分からないんだけど、そう……確かに何か……地下を嗅ぎ回る誰かが居るように感じたんだ。そしたら夜にボーン! と爆発が起きて、ちょっと死にかけたね☆ 瓦礫で」


 これも聞いたことの無い話だった。俺はてっきり、地下の爆発も環の仕業だと思っていたが、違うのか……?

 なら一体誰がこんなことを?


「ふむ。事前に聞いてた話と比べると、地下で起きた事件は二つに分けられるみたいだね、慧央くん」

「え、俺? ……爆発事故と、虹化体の大量発生……の二つですよね」

「虹化体の大量発生のほうはちゃんと環ちゃんも覚えてるんだよね?」

「忘れるわけないじゃん☆ 慧央くんにおぶってもらって逃げ回ったんだから」


 環はうまく、「それを自分がやった」という思考をしないような形で会話を進めていた。山田さんも今のところは怪しんでいないようだ。だが、こう答えれば次の問いは当然、


「虹化体の大量発生の方には、なにか前兆のようなものはなかったの?」


 となるだろう。これに何と答えても環は嘘をついたことになる。

 この場でうまく山田さんをやり過ごすには、きっと俺が鍵になる。唯一山田さんの前で嘘をつける俺が、考える必要があるのだ。


「……山田さん。こいつは地下民です。虹化体を見たのも初めてだったかもしれません。前兆と言われても」

「それはそうか。なら慧央くん的にはどうだった? これは環ちゃんの聴取っていうより、事件の解明のためって感じなんだけど」

「……考えられることはいくつかあります。虹化体が発生する最低条件としては、虹素があることと……悪感情がその場に存在していること。当時は爆破事故直後でしたし、死んだ破虹師がそこら中にいました。悪感情のほうはクリアしていると思います。あとは虹素……」

「確か、救出された時、慧央くんの戦闘服は壊れていたよね」

「はい。右腕のワイヤーが。でもそれしきの虹素で、あれだけの虹化体が発生するとは思えません」


 やった、と思った。山田さんの興味が、環から事件そのものへと移ったのだ。

 ただ、そんな俺たちを後ろから見ている九十九さんがいる。そこから努めて意識を外し、山田さんとの会話に戻った。


「ポイントは、地下街閉鎖から7年経った現在起きたということだと思います」

「どういうことだい?」

「俺たちは月に1度、大掃除と称して地下街の扉を開けていました。年に12回、つまり……合計……」

「84回だね」

「はい。それだけ換気が続けば、少なくとも出入口付近・・・・・の虹素濃度は地上と大差なかったと考えられます。虹素は虹化体にでもならない限りは自然消滅も劣化もしません」


 環と目が合った。何も考えるな、と視線で命じる。


「つまり、十分に虹素のあった所に爆破事故による急激なストレス汚染が起きた衝撃で、同時多発的に・・・・・・虹化体が発生した……というのはどうですかね」

「どうですかねって」

「現状それしか考えられません。山田さんは環を疑ってるんですか?」


 疑ってるんですか? も何も、俺は事実をさりげなく捏造して喋っている。実際には虹化体たちは環の周りと、あとは俺の漏らしていた虹素から発生したものの2つの発生源しかないし、その場所自体も地下街のかなり奥だ。

 実際のところ、俺の今あげた要因は無きにしも非ずというところだが、主要な虹素源は一昨日の大掃除で生まれたものではなく、7年前の地下街封鎖のときに生まれた……地下民の悪感情だろう。それに環は虹晶を沢山持っていたことから、少なくとも1度は虹化体を作成、周りに漂う虹素を吸着させた所でそれを討伐し、虹晶をまるで鍾乳石のように少しずつ大きくしていた……完全なる計画犯罪だと言わざるを得ないのだがな。


 ただ、現在は地下街がぼろぼろに壊れていて細かい検証は不可能だ。最終的に俺たちが虹化体を集めて落とし穴に落とした場所自体は「どこで虹化体が発生したのか?」という問いには関わりがない。持っていた虹晶は、全部落とし穴に捨てさせてきた。

 大切なのはこれを信じきることだ。山田さんは俺の思考だけは読み切れないのだから……


 山田さんとの睨み合いは時間にして数秒だったが、俺にとっては永遠のように感じられた。


「はぁ……そういうわけじゃないよ。ただ僕は……彼女に似ている人を知ってるというだけさ」

「依呂葉のことですか」

「うん。慧央くんも分かるだろ? この子は危うい」


 その問いには、しっかりと頷いた。

 地下で俺の上に馬乗りになった環は確かに、復讐に駆られた人間の目をしていた。

 山田さんの言いたいことは分かる。……どうにかしてしっぽを掴んでやりたい、ということだ。環は怪しすぎる。否──犯人そのものなのだから、怪しいとかいう次元ではない。


 どうしたものか、と考えていると、後ろからぬっと影が差した。肩に手が置かれる。


「ただ、……きっとそれは僕たちに責任があるんじゃないかな」


 九十九さんだ。近くで見ると余計にやつれて見える。


「彼女の故郷を焼いたのは我々破虹軍の人間だ。……そんな人間たちに詰め寄られている彼女に、まともな回答を期待するのは難しいと思う。それにね──はい、はいどうぞ。ちょうどいいタイミングです。お入りください」


 九十九さんはいつからか耳にさしていたイヤホンを押さえると、何者かと会話しているかのような素振りを見せた。

 地下牢の勝手口の戸が重々しく開き、なにやら……ゴムっぽい、濁って軋むような足音が響いてくる。その音がL字の通路を越え、ようやく姿を現した。


「やあみんな」


 俺も山田さんも一斉に目を剥く。


「弓手──」

「──総帥ッ」


「はい。どうも。慧央くんは昨日ぶり、佐藤・・くんは……しばらくぶりだね。刑事課のお手伝いご苦労さま」


 総帥が、目の前に現れたのだ。見慣れた戦闘服ではなく、……何故か赤いアロハシャツを纏った状態で……


*・*・*


「ふむ、事情はだいたい飲み込めたよ。そうか、彼女はやっぱり、7年前の地下街閉鎖……その被害者だったんだね」


 聴取の結果を総帥に伝えると、その美しいかんばせを伏せて、しんみりとそう言った。


「ぼくは本来ここに居合わせる権利のない人間だ。なぜなら……7年前、地下街封鎖を指示したのはこのぼくなのだから」


 そういえば……と思う。入軍にあたり公式ホームページの、総帥のあいさつのページを読んだことがあるが、そんなことが書いてあったかもしれない。


「7年前の時点でまだ地下に住み続けていた人々はね、地上の民からするとテロリストのように恐ろしいものだったんだ。だから……ぼくたちは身勝手にきみたちを処分した。君たちが憎んでいたのは我々地上民すべてだったね。虹素を利用したいが為に地上に乗り出し、同胞を虹化体に食われる痛みを無視する、利益に囚われた我々を……」


 総帥は拳を固く握る。地下牢のコンクリートの床には、総帥から落ちる涙のシミができていった。何故か、隣で山田さんも泣いている。


「うん。そうだよ。……ボクのパパとママは、その派閥のいちばん強いグループにいた。だからボクは地上に出てこれなかったんだよ☆ でもボクは違う。ボクはずっとずっと地上に行ってみたかったんだ。だから今は、凄く嬉しい」

「きみはここで何をしたい? せめてもの罪滅ぼし、……にはもうなれないと思うけれど、きみの願いはなるべく叶えるつもりだ。否。人として、それくらいはさせて欲しい」


 涙を拭いながらそう訴える総帥に、環は無邪気に言葉を返す。その姿が人の首を狩る猛獣のように見えて、目が離せなくなってしまった。


「ボクは、地上の景色を見てみたい。こんな地下牢じゃなくてね。そして──地上民と、直接話してみたいんだ」


 全身から汗が吹き出る。──その手が、あったか……!!

 こいつは大量の人間をひとつの会場に集めるつもりだ。そしてその目的は、ひとつしかない。ひとつしかないじゃないか。


「地下民の生き残りであるボクは、地下の現実を人々に伝える必要があると、そう思うんだよね☆ 公開演説・・・・、とでも言うのかな。ボクはそれをやりたいよ、そーすいさん☆」


 山田さんを見ても、この場の感情に「当てられて」いるばかりで、嘘を見抜けているわけではなさそうだった。当然だ。こいつが地下の現実を人々に伝えたいというのは真実だ。ただ、その真実というのは……


「みな、ごろし」


「ん、慧央くん何か言った?」


 俺のつぶやきが聞こえていたのか否か。環は先程までの曇った顔から一変、俺と顔を合わせた当初のように、弾けるような笑顔をしていた。星の散る瞳からは、「答えろ」という圧が放たれている。山田さんと総帥の不思議そうな目が、無遠慮に俺の体を舐める。


「い、や……なんでもない。準備が大変そうだと思っただけだ」

「なら慧央くん。本案件をきみの、北斗七星としての初任務にするよ! もちろん賛成してくれるよね?」


 弓手総帥の笑顔と、山田さんの涙。環の圧の籠った視線と──これまで黙っていた九十九さんの、暗い瞳。

 歯が震えないようにするので精一杯の俺は、頷くのがやっとだった。

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