夜明け


 2100.7.10.

《同時刻》


「あの……っ、こんな所にまで本当にごめんなさい……」


 病室のドアが音もなく開く。体が中に入るより先に謝った少女は、洗柿色のお下げを持つ受付嬢、綾間こころである。消毒液の臭いに顔をしかめる様子に、ベッドに身を起こしていた青年は苦笑した。額に巻かれた包帯には血が滲んでいるが、もう意識に問題は無いらしい。


「ああ、いいっスよ。むしろオレが頼んでおいた・・・・・・んスから。ありがとうございます」

「そうですか。でも、そんなに酷い怪我をされているのに」

「……ほかはみんな死んでるっスよ。生きてるだけでありがたい。まさに《悪夢》っスね。悪夢」


 綾間が青年に渡したのは1枚の紙だ。20ほどのの名前が連ねてある。名簿だろうか。特異な点としては、その中の2つを除いた全てが、横線で消されているということ。

 たった2つ残されていたのは、慧央と蘭堂の名前だった。

 それを見て、青年の瞳がかすかに揺れる。


「こう見るとやっぱり多いっスね。18名死亡」

「はい。本当に悲しいです。みなさん昨日まで、元気に受付にいらしていたのに」

「まあ、破虹師は人員不足っスけど、ちょくちょく補充もされるっスからね」

「……そんな言い方……」


 綾間は破虹師の死を本気で悼んでいるようだった。青年はそれを静かに見つめている。破虹師としてリアルな死に触れている彼には、その覚悟がいつでも出来ていたということだろう。


「……綾間さん。もう1つお願いがあるっス」

「何ですか?」

「慧央、なんか地下について言ってませんでしたか? 生きてるんスよね?」

「いや、まだ保護されたばかりで……でも、そうですね。女の子を連れていました」


 女の子。そう聞いた青年の顔色は目まぐるしく変わった。受傷部位を締め上げるように頭を抱えて、呻く。綾間は慌てて宥めに入るが、青年はそれを止めた。


「気に……しないでくださいっス。発作みたいなもんで。でも、そうか……そう……っスか。やっぱり。……やっぱり……あれはオレの記憶違いなんかじゃなかった……」


 ようやく落ち着いた青年は、肩をさする綾間の手を取り、下ろす。


「ありがとうございます。……今日は大人しく寝ていることにするっスけど、明日からまたよろしくお願いしますね」

「は、はい……お大事にしてください」


 病室から出ていく綾間を見送った後、青年は手の中で何かを潰すような仕草をとった。……3回。


*・*・*


 2100.7.11.

《翌朝》


 目が覚めると、やはりそこは病室だった。腕に栄養剤か何かが打ち込まれている。そのお陰か意識は明瞭で、強すぎる虹化体の力のおかげもあってか怪我もない。今すぐにでも動き出せそうな調子だった。


「行くなバカタレ」

「でっ……」


 ベッドを抜け出そうとした俺の頭に、拳骨が落ちた。世世さんだ。


「この短期間で2度もベッドに舞い戻ることになるとは、随分といいご身分だな、慧央。治療費は市民の税金から出ている。無駄な怪我をするな」

「んな無茶な」

「無茶ではない。……いいか、ワタシは……お前の母親のつもりでいる。親に心配をかけるものではないだろう」


 世世さんの口から親という言葉が出るのがあまりに珍しく、しばらく惚けてしまった。世世さんはフンと顔を背けて、つかつかと病室を後にしてしまう。

 もしかして俺が起きるのを待っててくれてたのか? タイムスリップしたあとの事といい……


「あ、あの人のことは、よく分かんねー……」


 俺が部屋替えで毎回家事担当にさせられるのは、つまるところ俺の唯一の得意技能が「家事」だからだ。……破虹師になるまでの3年ほど、俺は家で料理からなにから全部やっていたからな。依呂葉と世世さんにはその辺のセンスが面白いくらいに欠如していたし、2人とも家には寝るために帰ってくるといっても大袈裟ではなかったから、必然と俺の役目になったのだ。

 だからどうということではないが、俺が思うよりあの人が仕事と俺たちを同等以上に思ってくれている、というのは意外に感じた。


 それはそれとして。俺はいつまでもここで寝ている訳には行かない。保護された時にはもう意識を失いかけていたが、環が破虹師たちに連行されていた所はバッチリ見ていた。早く弓手総帥のところまで話をしに行かなくてはならない。

 世世さんには悪いが、俺はもう自分のことはどうでも良くなってしまったのだ……


「ん?」


 点滴を外して布団をはぐと、何かがぽろりと床に落ちた。名刺大の大きさの紙だ。布団の中に挟まっていたらしい。ベッドから降りて拾い上げ、目を細める。


 そこには『今晩技術課まで来い』──と、世世さんの直筆で記されていた。

 技術課。普段世世さんが根城にしている研究室のことだ。職員も世世さんの他にはおらず、軍の最深部に位置する、誰も立ち入らない場所……


 ……そんなところで、話があるのか? わざわざメモでそれを伝えてくるのも異常だ。ここで、話せないようなことって……


 考えていた最中に、病室の扉がノックされた。跳ねる肩を抑えてメモをポケットに突っ込み、返事をする。相手は俺の返事を待たずして扉を開けた。目に入るのは、新緑の髪とサングラス。


「やあ慧央くん。元気にしてるかい?」

「……お陰様で」


 弓手総帥だった。あわてて礼をしようとするのを、やんわりとした態度で止められる。顔を上げて目を合わせると、やはりいつもと変わらぬ安らいだ顔がそこにあった。その目が腕の点滴痕へと向けられる。


「すまない。まだ絶対安静だと世世さんも言っていたのに」

「あ、いや、はは……大袈裟ですよ。俺は死んだ破虹師たちと違って外傷もほとんど無いですから。夜通し走って疲れただけです」

「ことのあらましは彼女……環ちゃんから全部聞いたよ。大変だったね」


 総帥には無駄話をする気はないようだ。こちらとしてもその方がありがたいが。

 環、という名前に空気がひりつく。アイツは何をどこまで話したのだろうか。事前に2人で何を話すかは決めていたが、俺を嵌めるためにそれを破っている可能性がある。


「……はい。大掃除をしていたら急に地下が爆発、崩落しました。それに巻き込まれた俺は地下の地下、地底街に降り立ち、そこで環を発見、……何故か追ってきた大量の虹化体から保護しました」

「うんうん。彼女もそう言っていたよ。よかった。なら事の首謀者は君ではないということだね。こちらとしても嬉しいよ」


 ぎくりとした。総帥の顔は笑顔のままだったが、言っていることはえげつない。俺を疑っていたということか。


「……大変ですね、総帥も。全部疑わないといけないんですから」

「まあ、君以外の18人・・・全員が死んだ……となると、少しは疑いの声が上がってくるんだよ。それに君は大掃除のミーティングに滑り込みで参加してきたのだから。ぼくとしては依呂葉ちゃんのお兄さんにこういうことを言いたくはなかったんだけどね」

「俺は虹化体に命を狙われました。……なんとか環の力も借りて奴らを地底に閉じ込めることには成功しましたが……あれが地上に溢れ出てきていたら、とんでもないことになっていたと思いますよ」


 目線が通じ合う。緑色の瞳に映る俺の色は、混ざりあって漆黒に見えた。


「……何が望みだい?」

「俺を、北斗七星にしてください。大罪虹化体と戦う力が欲しい」

「依呂葉ちゃんと同じ道を行くの? きみは確か、依呂葉ちゃんのそれをやめさせたいんじゃなかったっけ……?」


 言葉につまる。

 その思いは今も変わらないからだ。


「依呂葉は俺が何を言ってももう止まらない。それを死ぬほど・・・・理解しました。なら、俺が力ずくで止めさせないといけない。力が必要なんです」


 今度こそ深々と頭を下げる。……新規則では、こんな事をしても無駄だ。亜門さんを納得させることが出来なければ俺は北斗七星にはなれない。

 でも今は祈ることしか出来なかった。


「なるほど。いいよ。亜門くんにはぼくが話を付けておく。……ちょっと見ない間に、随分と力をつけたようだね、慧央くん」


*・*・*


 東京の街は大きなニュースに湧いた。

 1つは、軍の敷地内に入口を残すだけだった地下街から、「生き残り」の少女か救出されたこと。


 もう1つは、市民からすると文字通り「英雄」に近い北斗七星が、1人増えたというニュースだ。


 街では号外と称してビラが配られ、人々はそれを見てべちゃくちゃと唾を飛ばしあっている。その裏で回避された大いなる危機のことには、思いも至らぬ者がほとんどなのだろう。……誰が何のために何をやったのか、こいつらは知っているのか?

 雑踏に身を溶かす1人の少年は、それを冷めた目で見ていた。

 冷めた目とは反対に、その容貌は酷く目立っている。ザクザク切りそろえられた紫の髪はヘアバンドでなでつけられており、夏だと言うのにマスクとマフラーで顔はほとんど見えず、厚手のダウンを着ている姿は見ている方が汗をかいてくるほどだ。

 その異様さからビラ配りの手も少年には及んでいなかったのだが、図太いというのか無神経というのか。ひとりの中年男性が近付いてくる。


「おっ、兄ちゃん……号外だよ! どうだい」

「どうもっス……あっ」


 一瞬口調が乱れたことを恥じつつ、少年も押し付けられたビラを読んだ。その行為自体は腹立たしいものだったが、少年はビラやティッシュを断るほうがめんどくさいと思う質である。どうせ知った内容だしなと思いつつも、紫の瞳を紙面に滑らせた。


玉置環たまきたまきという少女が地下街から救出……7年前に消えたと思われていた地下民の生き残り……」


 動揺を押し隠す。


「……相友慧央が、北斗七星に選抜……はっ、なんつーマヌケな顔してんだよ、慧央……」


 紙面に掲載されていた慧央の写真は、不自然に右側が切り取られたものだった。そちらから伸びる腕に引っ張られて、慧央の顔は青ざめている。たぶん依呂葉ちゃんだろうなあと呟く。アイツは昔からそうだった。


「やっぱ貰ってよかったわ。今度会った時に馬鹿にしてやる……って、電話か」


 ポケットに入れた電話が震える。少年は新聞を閉じ、端末から伸びるイヤホンマイクを耳に挿した。


「はい、千賀・・です。……まあ、なんとか生きてますよ。え、今日まで有給とってませんでしたっ…………はい、すぐ戻ります……」

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