悪夢(下)


 虹素の探知能力を一時的に強化した。これにより、虹素のある場所だけでなく、虹素の揺らめき……通りうる経路すらも感知できるようになっている。端末のマップ機能を自前の脳みそで調達したようなものだ。

 聴力強化と同じく、過ぎた力というのは体に負担がかかる。脳内に地図が描き上がって行くのと同時に、どこかの血管が爆ぜていくような気がするが……それだけの成果はあったといえよう。


 環は虹化体と比べると絶望的に遅い速度で通路を進んでいる。その先には行き止まり、恐らく落とし穴があるが、このままでは間に合わない。穴に到着する前に環を食らうだろう。

 環と虹化体の間に割り込めそうな横道が、一つだけあるのが分かった。


 黒腕で地を蹴りつつ、そこへの最短ルートを思い浮かべる。……ダメだ、現在地と俺の進行速度的に、正攻法に道を伝っていったのでは間に合わない。


 迷わず壁を破壊した。やり過ぎると地底が崩壊する恐れがあるのは分かっていたが、こうするしか無かった。脆い壁はバラバラに砕け、地底全体に嫌な揺れが走る。その瓦礫が通路を塞ぐ前に隣へ抜け、待ち構えていた罠(超巨大トラバサミ)に目を剥きつつも黒腕の拳骨を落として閉じさせると、また走り始めた。脳内の地図に導かれるように。

 しかし、状況は依然として良くない。俺たちの位置関係からすると、こんな風に壁を破壊しながら進んでも、俺と虹化体はほぼ同時に横道に達するという。五分五分だ。だがそれでは意味が無い。虹化体に環が飲み込まれたら、もう助ける道はなくなるし、……俺の目的の半分も潰えてしまう。


 黒腕をさらに2本増やした。4本だ。


「……これは……」


 途端に激しい頭痛に襲われ、振り落とされそうになるのを堪える。垂れてきた鼻血を拭った。


 今頃山田さんはどうしているだろうか。俺が気絶していた時間がどれくらいか分からない以上、現在時刻は不明。実はもう朝になっていて、さすがに帰宅の遅い俺を怪しんでいるかもしれない。

 依呂葉はどうか。ミーティングにいなかったので地下の崩落に巻き込まれた可能性はないと言っていいが、……本来の7月10日に起こらなかったことが起きたのだから、上でも何が起きているかは分からない。

 俺の無力さ故に、依呂葉を見守ってやれない時間が出来てしまっていることが非常に悔しい。でも、これが上手く行けば俺はやっと依呂葉と肩を並べられる。彼女の目的に追いつくことが出来る。

 これから。これからだ。……ここで負けてたまるか。


 俺は、依呂葉のためなら何でもしてやりたい。それが、たとえ双子でも「兄」として生まれた者の務めだと思う。たった一つだけ叶えてやれそうにないことが、あるがな。

 依呂葉を殺した《憤怒》は、……俺たちの家族を殺したという《憤怒》を殺すのは、依呂葉ではなくこの俺だ、ということだ。


「……! ここ、だ!」


 左方に道が開けた。迷わず転がり込むと、虹化体の呻き声と──


「え、慧央くん!」


 環がいた。

 泥にまみれた金髪を振り乱して、もはや半分泣いているんじゃないかと思うほど瞳を潤ませながら、それを見開いてこちらを見ている。


「うわっ!」

「ほんとに生きてた!」


 息も絶え絶えな体を、ガッツポーズしたくなるのをこらえてキャッチする。見れば、裸足でこの砂利道を走っていたらしく、足はもうズタボロだった。俺と会って安心したのか、細かく震えてさえいる。


 そんな中痛みに耐えて頑張ってくれたおかげで、最後の希望が繋がったのだ。口元が緩むのを誰が止められようか?


「何とか、な。この先に落とし穴があるんだよな?」

「うん、そう……よかった。これで──」

「安心するのはまだ早い。行くぞ!」


 環と俺を乗せる黒腕は、それまでの何倍もの速さで爆走を始めた。差が縮まる一方だったのだろう虹化体たちの姿が、みるみる小さくなっていく。

 ……これなら、いける。俺は勝ったのだ。頭の中で明日へのピースが次々とはまっていく。


「う、うん! 細い紐が手前に張ってあるから、合図したら跳んでっ☆」

「了解!」

「3、2、1、それ!」


 脳に障る甲高い声も、今では愛おしいくらいだった。相変わらず細かく震える体が、過敏になった俺の神経系に訴えかけてくる。その精一杯の気迫に合わせて飛び上がると、足元にキラリと光を反射する紐が見えた。あれがトラップ。奴らのデッドラインか。


「この辺でいいよ! あとは……」

「待つだけ、か」


 行き止まりまで一気に到着すると、環を下ろして腕を虹素に還した。強い負荷のかかっていた脳が解放され、くらりとよろめいてその場に座り込んでしまう。


「大丈夫?」

「大丈夫だ……俺は人間じゃないから」


 虹化体の移動音がますます大きくなってきて、互いの声を打ち消すまでになってきた。今になって戦闘服の光が明滅を始める。虹素が切れつつあるのか。まあ当初から漏出していた中今までよく持ってくれたというものだろう。

 これ以上何かがあれば、俺はもう為す術なく殺されるしかない。……環共々、地底の塵になる。


「やっぱあの黒いの、天恵? とかじゃなかったんだね」

「俺は虹化体……になってしまった人間だ。こうして意識が残っている以上、何かしらの大罪虹化体なのかもしれない……」

「困るなあ、ボクの体には虹素は毒なのに」

「だから……依呂葉とは一緒にいられない……俺が、1人で憤怒を殺して、ほかの虹化体も皆殺しにして、……そして最後に依呂葉に殺される。それがベストな形なんだ。依呂葉を1度守れなかった兄としての務めだ」

「そういえば慧央くん、端末は持ってないみたいだったけど、さすがにアレは持ってるよね」


 環が何を言っているのかは周りの音で聞き取れなかったが、意識が朦朧としてきた。一度脳を休ませた方がいいかもしれない。虹化体が穴に落ちたら、少し休憩を取らせてもらうことに……


「ねえ」


 そう考えていた俺の体を、環が強く揺さぶった。同時に、目の前の地面が虹化体の自重で爆ぜる。

 鼓膜をつんざくような音と衝撃の中、虹化体は次々と穴になだれ込んでいき、環は俺の懐をまさぐり、──あるものを取り出す。しん、と辺りは嘘のように静まり返った。


「よかった、あったー☆」

「何……?」

「これこれ……お薬」


 虹化体の呻き声がはるか下方から聞こえてくるのみで、環の明朗な声は俺の耳に吸い込まれるようにはっきり聞こえる。敵がようやく消えたにもかかわらず、その声に感動のようなものが全くなかった。むしろ興味はもう俺へと移っているようだった。


「それは……蜺素顆粒」


 環が取り出したのは半透明の小袋である。蜺素顆粒anti-rainbow tablet……俺たち破虹師の中で俗にARTと呼ばれる薬で、その名の通り蜺素で出来ている。虹素の被曝量がどうしても多くなってしまう破虹師がもしもの時のために持っておくものだ。体内から虹素を消してくれるからな。虹化体へと身を落とすリスクを僅かだか軽減してくれるのだ。


「なるほど、いいよ。俺にはそれは必要ないから飲んでおけ。……アンタには、地上まで付いてきてもらう。そしたらもっと虹素を浴びることになるからな」

「……え? マジで言ってるの?」


 環の顔色が変わった。無理もないかもしれない。先程こいつは、みんなと離れちゃった、と言った。……信じがたいことだが、この地下には環のような生き残りが複数いると考えられる。

 地上に来るということは、彼らとの別離を意味することで……


「……騙すようで悪いが、俺はもともと、この虹化体大量発生の謎を解きに来たんだ。間に合わずに俺が死にかけるはめになったが、その生き残りであって俺の行動を見てきたアンタを、証拠として地上まで連れ帰──」

「願ってもないことだよ☆」


 非難さえ覚悟していた俺の耳に、予想外の言葉が飛び込んできた。


「なあんだ、それなら説明の手間が省けちゃうね☆ あのね、この虹化体……ボクが用意・・・・・したんだ」

「は?」

「どうしても地上に行きたかった。虹化体の群れを利用して地上に出ようと思った。……地下街のあの扉、内側からは開けるのが難しいんだよ。今まで何千回も試してきたけどダメだったからね……」

「え、ちょっ……なら……え?」


 ペラペラと流れる環の言葉を、脳が拒否している。こいつは今なんと言った? 虹化体の群れを、用意した……


 《地下街の悪夢》を引き起こしたと、言ったのか?


「ボクがあそこで倒れていたのは、キミがノコノコ1人で地下を歩いてるのを見かけたから! まあ……ボクの感情に誘導されて、想像より虹化体が強く・・なっちゃって、作った時に吹っ飛ばされちゃったってのはあるんだけどさ……キミにおぶられて走ることで、キミは……傷つき、疲れた。だから、こういうことが出来る」


 環は俺を乱雑に押し倒すと、首にヒヤリとした手をかけた。抵抗しようにも、虹素アシストの切れかかった戦闘服を纏う俺は……そんじょそこらの子供に負ける程度の力しか持ち合わせていない。黄金の瞳が、楽しげに細められる。


「殺しはしないよ☆ てか殺しても死ななそーだし☆ 死にはしないけど、キミってとっても弱いね☆ さっき虹化体に飲み込まれた時、もう失敗・・かと思って泣きそうになっちゃったんだから……☆」

「ぐ……やめろ……」


「だから体で覚えて欲しいんだ☆ お前ら地上民は、地下民より、格下! 虹素の誘惑に負けたお前らは弱い、弱い弱い弱い! 弱くてゴミカスなんだよ! 人間としての尊厳を守って生きるボクら地下民とは、比べ物にならない……そんなお前らがボクの家族たちをみんな殺した……許せる? 許せないよねえ……ボクはこの7年間1度もお前らへの恨みを忘れたことは無かったんだよ☆」


 環の力は万力のように強く、気道を締められることで視界がチカチカと瞬き始めた。それに合わせて虹素が黒く凝集を始めても、環の顔色は変わらない。


 この顔には見覚えがあった。

 虹化体を目の前にした時の依呂葉と同じ顔だ。


「……待て、よ」

「ん? なあに地上民。ってそうか。キミ虹化体だよね。人間ですらないんだ」

「お前、なんで俺が虹化体大量発生の謎を解きに来たと思う?」


 この問いに、環の力が緩んだ。その隙に環の体を跳ね飛ばして、蜺刃を構える。


「いてて、おっかないなあ……☆ でも、そういえばそうだね。ボク、キミたちと違って情報漏洩には気をつけてたつもりなんだけど」

「俺には未来が分かる。7週間後までの世界をつぶさに見てきたからな」

「何? 気でも狂った?」


 環は懐から黒い石をいくつか取り出した。考えるまでもなくあれは虹晶だ。……どう集めたのかは知らんが、あれをもとに虹化体を生み出していたのだろう。これが、原因。……不思議なトリックも何もなかったということだ。


「嘘じゃない。そして7週間後の世界を見てきた俺は、お前のことを知らなかった・・・・・・・・・・・・。地下街の悪夢の原因さえ知らなかったからな。どういうことがわかるか?」

「もー、ボク回りくどいこと嫌いなんだけど」


「お前は地上進出に失敗するんだ。死体さえあがらない。お前の大切な虹化体に食われてお陀仏さ。……お前、人間を皆殺しにしたいんだろ。残念だが今から7週間経ってもそれは叶っていないな……」


 数秒の間、環は瞬きさえしなかった。俺の話を嘘か本当か測りかねているのだろう。

 いや、もしかするとそれ以前の問題かもしれないな。このタイプは自分を否定されると怒り狂うものだ。


「……何言ってるか、分かんないんだけど☆ ボクが失敗する? そんなの有り得ないし、キミにそんな事言われるのは心外だなあ☆」

「だから俺がお前を外に出してやるっつってるんだよ。いいか……俺たちの利害は、一致している。俺は地下民の生き残りであるお前が欲しい。お前は外に出たい。マイナスはないだろ」


 ある。テロリストを外に出すことによる損害は計り知れないだろう。だが、ここではこれが最前の一手には違いなかった。このままコイツに殺されるのはごめんだ。

 ここまで来て。目標に一歩近づけるはずだと思っていて。……諦められるわけないだろう。


 心配しなくとも地下民は地上では生きていけない。人類は生まれて直ぐに蜺素ワクチンを打ち込まれることによって虹化体の自然発生を防いでいるが、成長してから打ったものはあまり生着しないことが分かっている。

 環も、余命はあって数年である。それに、俺の目的が達されたらすぐに……殺せばいい。

 そして何より、こいつこそ地上を舐めている。亜門さんや総帥のいる地上を単身乗り切れるなんて、甘すぎるにも程があるのだ。

 だからこいつは失敗したのだから。


 環はしばらく考えたのち、ARTをボリボリと貪った。


「なるほどね? オッケー。じゃあこうしようよ。ボクらは不干渉。ここで見た秘密は守る。互いの目的をジャマしないように動く。……それでいい?」


「もちろんだ」


 ──誰が守るかそんな約束。


 互いの心の声はありありと聞こえた。口約束は破られるものである。

 まるで、悪夢だ。互いが互いの弱みを握り、コケるのを待っている。俺たちは悪魔なのかもしれない……


*・*・*


 環を再びおぶって、地底を歩いた。破虹師の死体を踏みつけながら地下に登り、先程入ってきた地下の入口まで帰ってくる。

 俺の頭の中に希望はなかった。深い闇の中へ一歩進んでしまったような気がする。

 入口に立っていたはずの総帥はいなかった。俺は端末もどこかに置いてきてしまったし、死んだものと思われて捜索を打ち切られている可能性はある。

 てか……生き残ったやつ、いるのか?


「どうやって出るのさ☆ これくらいは働いてもらわないと困るんだけど」

「黙れ。俺の端末を探す」

「せいぜい頑張って☆」


 大掃除のために歩いた道筋をたどった。行きと違って穴だらけで、弱った体では歩くのもキツイ。よろける度に環が耳障りに罵倒してくるのもストレスだった。

 ようやく見つけた頃には、俺はもう疲弊しきって壁によりかかってしまっている有様だった。


「てかお前降りろよ。むしろ今はお前の方が体強いだろうが」

「えー、無害な地下民の生き残りだから、何言ってるか、分かんなーい☆」

「クソが」


 端末の電源を入れる。少し血で汚れてはいたが問題なく動いた。すぐに世世さんから連絡が入る。


『……!? 慧央か!? 無事なのか?! ほかの破虹師はどうしてる!? 誰も彼も端末からの通信が途絶えて──』

「無事だ。心配かけて悪い……端末を探すのに手間取っちまって……ちょっともう動けそうにないから、誰かを寄越してくれないか。一般人を保護してる」


 世世さんの焦る声に、何だか安心してしまった。心配を掛けさせてしまったのは申し訳ないがな……

 それにしても、地上ではまだ事態の把握が進んでいないのだろうか?


『一般人? それってつまり』

「……それも、後で話す。この端末、GPSは生きてるのか?」

『もちろん』

「なら、後は頼んだ」

『おい!』


 止める世世さんを無視して通信を切ると、俺が落ちた穴を見つめた。辺りにいくらかの血痕と、千切れたワイヤーの破片が見える。


 ……何故だか、今日のことを誰かに報告しなければならない気がしたが……全く思い出せない。そういえば俺、なんで1人・・で行動していたのに、穴に落ちて血まみれになっていたのだろうか。黒腕でもなんでも出して落下を避けることは出来たはずだ。そうしたらワイヤーが切れることもなかったしな……


「まあ、いいか」

「何が?」

「こっちの話だ」


 遠くから誰かの足音が聞こえてくると同時に、俺の意識はいよいよ遠のいていった。

 長い長い悪夢。今日のことはそう割り切ってしまおう──

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