地底街の


不気味な赤色に照らされる地下通路の真ん中に、何かが落ちていた。いや、よく見れば……それはまだ歳若い少女だった。

金髪のショートヘア。くるくると空気を抱いていたはずのそれは今や醜く土を絡めている。黒いボロきれだけを纏って倒れ伏すその体には、無数の擦り傷と打撲痕がある。何かに吹っ飛ばされたという様相だ。


「う……ん」


 その身を震わす地面の振動に、気を失っていた少女はようやく目覚める。傷が痛むのか顔をしかめた。


「ボク、一体……って、あっ」


 突き上げるような揺れ。首から下げる小さな鍵を握りしめて、黄金の瞳を闇にこらす。それほど苦労せずとも、少女には事を理解することが出来た。


 光源のない闇に浮かび上がる、無数の赤い目──


「まるで、悪夢だね……☆」


 小さな体に、虹化体の黒い群れがまさに襲いかかろうとしていたのだ。


「冗談じゃない。ボクはこんなところで死んじゃいられない……んだから」


 しかし、少女は怯えることはしなかった。大きく息を吸って、何かを叫ぼうと口を開ける。


「おい! そこのアンタ! 大丈夫か!」


 その声が形になる直前、少女の前に黒い人影が滑り込んできた。傷を見るなり、左腕で腹を抱えあげる。重さを感じさせないその所作に、少女は人知れず目を細めた。


「う、うわっ、待ってよ破虹師のお兄さん! ボクは」

「ここにいたら殺される! 見えないか、俺の後ろ・・から虹化体が山ほど来て──」


 ぐああっ! という嘶きが、破虹師──慧央の耳を貫いた。前方・・から虹化体が迫っているということは、まだギリギリ強化が残っている聴力に頼らずとも理解される。慧央の顔がさああっと青くなった。


「マジかよ、俺……走ってたら後ろから虹化体に追われてここに来たのに」

「挟み撃ちーって、ヤツ?」


 慧央の後方からも、2人を喰わんとする化け物がわらわらと集まってきている。2人の近くに分かれ道などはなく、──言い訳のしようもないほど、完全に包囲されているのは自明だった。


 これが死か。と呟いた慧央の言葉は、ほとんど虹化体の声にかき消される。


*・*・*


 ──やってらんねー!


「……アンタ名前は?」

たまき……タマちゃんって呼んでよ☆」

「なんでそんなに能天気なんだよお前。ここで傷だらけで倒れてたくせに! 俺はもう正直、心が折れかけてるぜ」

「なんでって……」


 絶望的な状況だ。前からも後ろからも、虹化体の群れ。一体や二体じゃない。この暗い地下にどうして元となった虹素があったのかと聞いて回りたいくらいには、沢山いる。人からこの状況を聞いたら、冗談だろと腹を抱えて笑うレベルだ。


 無理だろこんなん。


 これが、《地下街の悪夢》……今から一週間後に地上を襲う、災厄だ。災厄を目の前にして、心に灯る火が揺らぐのを感じる。


 災厄。それがタネも仕掛けもなく、文字通り地下に潜んでいたということは、もう……よく分かった。これから逃げるために走り続けていた心臓はうるさいほどがなっている。

 少なくとも今日……《地下街の悪夢》1週間前には、地下に虹化体がわんさかいて、増殖を続けていたということだろう。いや、この分だと、7年分・・・溜め込まれていたと言っても何ら不思議じゃない。大量の虹化体を一瞬で生み出す魔法みたいな方法を思いつかなくとも、──地下の地下。地上の民が思いもよらなかったこのスペースに隠れていたのだとすれば、不思議な点はもうほぼなくなったといっていい。月に一度の大掃除のその度に、少しずつ虹素が地下街に蓄積していた。それが虹化体に変異し、じわじわ、ゆっくりと増えていく……呑気にくっちゃべる俺たち破虹師の足元で、災厄は牙を研いでいたということだ。

 そうしてこの地下通路の容量がパンクするほどまで増えたこいつらは、いよいよ天井を突き破って地下街に侵入。緩みきった破虹師たちをなぎ倒すと、地上へ──


 それを俺一人で何とかしようだなんて、少々思い上がりが過ぎていたのかもしれない。運命は、歯止めがきかないからこそ運命と呼ぶのだ。


 だが、少女改め環を俵抱きから背負う姿勢に改めると、彼女は朗らかに笑った。


「なんで能天気かって、そりゃ……死にかけるのは、慣れてるから……だよね☆」


「あ……?」

「お兄さん! 後ろ!」


 言われて振り向くと、俺を追ってきていた方の虹化体の群れの先頭が、黒い触手をこちらに伸ばすところだった。反射的に両手で握る蜺刃を振り上げ、居合の要領ですっぱ抜く。虹化体は一瞬怯んだが、それで退くようなタチなら誰も困らない。


「ヒュー! かっこいい☆」

「言ってる場合か!」


 俺は環に見えない位置で、ぼたりと地に落ちた触手の破片を踏み潰した。──虹化体は虹素で出来ている。つまり、その体の一部はほぼ純粋な虹素の塊だ。ゲル状を成していたそれは弾け飛び、虹素となる。たちまち他の虹化体に利用されそうになるのを、「奪い返した」。

 なんというか。虹素を使うにあたり、より欲望が……使う意志が強い方に、虹素は従うらしい。触手を千切られた虹化体と俺の睨み合いの結果、虹素たちはふわりと俺の周囲に漂った。


「アンタその格好……確実に破虹師じゃないよな。軍の関係者でもない」

「あったりー☆ やんなっちゃうよね。急にバクハツしたと思ったら、ここで倒れててさ……」


 俺は環に構わず(今はバレるとかそういうことを言っていい事態じゃない!)虹素で黒腕を精製した。そのまま、目の前の虹化体を思いっきり殴り付ける。湿った音と共に、前方の群れが数メートル後退した。その時に飛び散った虹素をもれなく回収し、2本目の腕を作る。こうしておかないと、虹化体はどんどん増えていくからな。俺の体への負担も無視できなくなっていくだろうが、仕方がない。


「……おおー……」

「念の為に聞くが、アンタ……地下に詳しかったりするか? 俺たちもう死ぬぞ、これ」

「そりゃもちろん! ボク、生まれも育ちもここ・・・・・・・・・だから☆」

「……」

「ビックリしないでよ! 7年前──地下街が完璧に封鎖されたでしょ。その時、ボクたち・・は逃げそびれて地下に閉じ込められたままだったんだ。それが、急に崩れてこの有様だよ。みんなと離れちゃった。いや、もしかしたらもう誰も生きてないかも」

「今それどうでもいい! お前が地下民・・・なのはよく分かった。この状況、もうどうしようもないぞ……!」


 環の独白と交差するように、前後から虹化体が迫ってきた。額に汗が流れる。環の甲高い声が脳をほじくり回すかのようだった。

 頭上に触手が飛んできて大きく屈むと、環は楽しそうに笑う。


「ここは地下街の更に地下。もっと臆病だった地下民たちが勝手に作った、言わば《地底街》だね。すぐシェルター代わりに瓦礫で侵入者を閉じ止められるように、壁が脆く作られてるんだ……ってより、掘りっぱなしなんだけど」

「!」

「唯一できることがあるとすれば……お兄さん! その腕で──壁をブチ抜いて☆」


 俺より戦闘手段に乏しいのだろう環が、何故この状況で楽しんでいられるのかは全く分からなかった。しかし、今はこの得体の知れない地下民の少女に従うことしか、生き残る道はないことは事実。


「……分かった。やってやる!」


 俺は息を吐くと、黒腕2本をフルパワーで壁にぶつけた。脆いと言った言葉通りか、はたまたコイツが馬鹿力なのか……壁には大きなヒビが入る。ダメ押しのようにもう一度突いてやれば、人が通れそうなくらいの穴が空いたのがわかった。環に確認を取る前に、そこに飛び込む。


「お兄さんのソレでも、これを全部やっつけるのは無理なの?」

「当たり前だろ。というか多分、殺れば殺るほど……増える」


 壁の向こうにも当然地底街が広がっていた。一心不乱に走っていたので道のりは忘れてしまったが、もしかするとさっき俺が選ばなかった分かれ道のその先に出てきているのかもしれない。

 今通った穴をすり抜けてこようとする虹化体を、黒腕で掴んだ。俺は依呂葉ではないから、コイツの核の位置を正確に掴むことは出来ないが……ずぼっと腕を入れた先に、運良く核を見つける。

 それを潰してみせると、虹化体はびしりと固まり、砕けて、虹晶になる。通常ならこれで再起不能となり、あとは回収して一件落着なのだが。


「おおー……確かにね」

「やっぱり」


 地面に落ちた虹晶は、3つに分かれて瞬く間にとろみを取り戻した。うねうねと動き、やがて赤い目がぬるりと開くと……虹化体になる。しかも、三体だ。──これは虹化体の特徴である。

 近くに強い感情の塊……すなわち、他の虹化体が大量にいるような場合、虹化体は互いに共鳴して無限に増え続けてしまうのだ。

 今回はたまたま、俺が固めてやった虹晶の塊が大きく3つに分かれていた。だから三体になった。核も3つあるし、今はまだ体も小さいが、直ぐに共鳴を深めて、他の個体と変わらぬ大きさまで肥大するだろう。

 そこまで見届けるわけもなく、虹化体たちから逃げる。


「こうなるから、倒すのは得策じゃない。一欠片も残さず虹晶を回収できるなら別だが」

「分かった。ならあれはどこかに追い込んで閉じ込めちゃうのが一番かな。落とし穴トラップ、どこかにあったはず」

「それで消滅するのか? あそこまで増えてしまったものを」

「それはもう、やるしかないよね……もしくは、さっさと地上から応援を呼んでもらうか。お兄さん端末は持ってないの?」

「あっ」


 反射的に腰を探って、首を振った。

 端末は、さっき蘭堂に突き飛ばされた時に落としてしまったようだ。


「……お兄さん、使えな〜〜」

「黙れ。無いもんは仕方ないだろ。──それと、俺の名前は慧央えおだ。環……道案内は頼むぞ」


 名前を告げると、環はにししと笑った。


「りょーかいだよ慧央くん。ボクに任せて☆」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る