大掃除


 総帥が開場し、地面に取り付けられたハンドルを回すと、錆び付いた音を立てて地下への入口が開いた。地面にぽっかりと空いた穴へと足元の空気が落ちこんでいく。体をすり抜ける風に体がぶるりと震えた。7月上旬の夜は、まだ少し肌寒い。


 俺たちは黙って穴を見つめた。風の吹き込みが終わると、今度は埃っぽく淀んだ中の空気が戻ってくる。

 これが地下街だ。

 今でこそ見回りのために月に1度開くこの扉は、地下街に人が住んでいた当時はほとんど開くことがなかったという。当たり前である。外から虹化体が入ってくるのを防止するための扉なのだから、パカパカ開けていては意味がなくなってしまう。なので作りも頑丈で、戦闘服によるパワーアシストがなければおそらく開けるのも苦労することだろう。


「よし。相変わらずこの扉は固くて嫌になるね……じゃあ、突き当たりまではみんな同じだから進もうか」


 辺りを見回してから告げられた総帥の言葉に続き、20名も居ないだろう俺たちはゾロゾロと入口の階段を下っていく。最後の一人が地下街のひび割れたコンクリートを踏むと、総帥も降りてきて扉を閉めた。一瞬辺りは暗黒に包まれるが、壁の電灯が順に点灯していく。ところどころ寿命を迎えているのかチカチカと瞬いているが、十メートルほどの視界は確保できるようになった。


「じゃあぼくはここで待っているよ。各自端末に送信した地図データに従って、頑張ってね」


 言い終わると同時に、常に携帯している端末にメールが届いた。添付画像を開くと、正方形というには少し歪な空間に無数に引かれた折れ線……そう、今居る大東京地下街の全体図が表示される。その一部が赤く点滅しているのは、きっと俺と蘭堂の担当するルートだということなのだろう。

 周りの破虹師たちが次々と自分たちのルートへと足を向けていく中、俺と、端末を覗き込んでくる蘭堂は顔を見合わせた。


「ついてないっスね……これ、1番長いルートだ。日付が変わる前に終わるのは絶望的じゃないスか」

「……やっぱそうか……」


 長い長いため息を吐く。長時間地下にいられるのは大変ありがたいことなのだが、それだけずっとコイツと行動を共にしないといけないのはキツイのだ。しかも、俺には地下街の悪夢の原因を突き止めるという目的がある。コイツが俺の不利益になるようなことをするとは思えないが、お荷物を背負ってしまった感は拭えなかった。

 ルートをもう一度確認する。地下街への入口、つまり現在位置は大東京地下街の南東にある。俺達が回るルートは、そこから外周へ出て、ぐるりと1周回る行程になっていた。肝試しをするにはいささか長すぎるので、いわゆる「ハズレ」ルートと呼ばれている。


「外周って結構もう……ボロいっスからね。どっかで崩落が起きててもう無理! 帰る! なんてことになってくれれば最高なんスけど」

「グチグチ言ってないで行くぞ。帰るならお前一人で帰れ」

「嫌っス! お供させて頂くっス」


 嫌がる蘭堂を振り切るように一歩踏み出したが、それは叶わなかった。後ろから総帥の視線を感じつつ、ようやく大掃除に乗り出す。2人分のくぐもった足音が辺りに響きはじめた。


 薄暗い地下街において、光源は2つしかない。


 ひとつは壁に取り付けられた電灯である。驚くことに、地下街が現役だった時代は、現在の半分ほどの数しかなかったのだという。

 もう1つの光源は、俺達が着ている戦闘服にいく筋も走る赤いラインだ。ここには虹素が充満していて、俺たちの身体能力をアシストしてくれる。日の下では分かりにくいが、暗い場所ではぼうっと赤く光るのだ。もちろん、漏れれば俺たちの体に甚大なダメージが加わる。……この武装もまだまだ発展途上という訳だな。


 もっとも、虹化体対策が完璧であったなら、《地下街の悪夢》が起きることもなかったのだが。


「そう言えばっすけど」


 しばらく無言で歩いていた所に、蘭堂が話しかけてきた。


「慧央さんってご友人とかいらっしゃるんですか?」

「ぶふっ」


 吹いた。何言ってんだこいつ。こんな時に。


「いやー、オレが慧央さんを見かける時って、大抵依呂葉さんといる時か、山田さんといる時なんで……」

「結構見てんじゃねーか……気持ち悪い……」

「慧央さんがコソコソなんか買ってるのもオレは知ってるっすよ」

「はぁ!?いや言わなくていいが……まるで千賀ちがみたいなやつだなお前……」


 ぽろりとこぼれた名前に、蘭堂の目が光った。

千賀。そう。友人のほとんど居ない俺が、唯一親友と言える関係を築いていた男である。

俺がアレ・・が好きで好きでたまらないことを知っているのは、これまでアイツくらいだったのに……


「千賀……さんですか?その方は破虹師じゃないんです?」

「まあな。アイツに黙ってここに来ちまった部分はある。破虹軍って高校を卒業しないと志望資格がないだろ?でも俺は世世さんの推薦を受けて、高校に上がる時に軍に来たんだ。その時、千賀を置いてきた」


 あの時のアイツは、いつも薄笑いを浮かべている普段とはうって変わり、珍しく激怒していた。電話越しに粛々と怒られたが、……俺の心は変わらなかった。

こういう所が、俺に友達の出来にくい理由の一つなんだろうと思う。


「俺が軍に入ったのは、依呂葉のそばに居たかったからなんだよな。弱いしめんどくさいことは嫌いだったけど、辞める気にはならなかった。……言い方は悪いが、千賀より依呂葉を取ったということになる。アイツ、頭はそこそこいいのに俺と同じ高校に進学しようとしてやがって……」

「ふうん……お話を聞くにその方、かなり慧央さんを気にかけてるみたいっすけどね。今何されてるんすか?」

「たまに会うんだよな。討伐中に。俺の事見張ってんじゃねえかと思うくらい、ふらっと……。いや何してんだアイツ。俺が高校に行かないと聞くなりすぐ高校やめたみたいだしな」

「最後に会ったのはいつすか?」


 ここまで聞かれると、さすがに足を止めた。蘭堂は俺より数歩進んだ位置で止まり、こちらを振り返る。


「慧央さ……」

「何が目的だ、お前。俺の話なんてそんな面白くもないだろ」


 ぺちゃくちゃお喋りをしている場合でもない。大掃除のルートはもう半分が過ぎようとしていたが、これまでにおかしな点はゼロ。ゴミ一つなかったのだから。

 俺にはもう、時間も余裕も残されていないのだ。

睨む俺の目を見て、蘭堂はその赤い・・目を静かに伏せる。


「それは……」


 ようやく口を開いたその時、突き上げるような激しい揺れを感じた。

 目眩かと思ったがどうも違う。しっかりと足を踏ん張ると、辺り一帯の地面が激しく波打っているのが分かった。地下道の強度保持のために一定間隔で設置されている鉄枠が、キリキリと音を立てる。


「何だこれは……って、さすがにこれは総帥に連絡を……」

「危ない!」


 いそいそと端末を取り出した俺の背中を、蘭堂が思い切り強く押した。その瞬間、視界がぱっと白く弾け、瞳孔が絞られきる前に侵入してきた光が、容赦なく網膜を焼く。それに飽き足らず、バランスを崩して地面を二転三転する俺の耳に、全身に、幾陣もの衝撃音が突き刺さってきた。


「蘭堂!」


 この衝撃音……落石か何かだろう。つまりアイツは、俺を庇ったということになる。必死に足をついて慣性を殺すと、ぐるりと振り返って地を蹴った──


つもりだった。


 蘭堂の元へ戻ろうとした俺の足は、地面と反発して体を浮かすことなく、ずぼりと底にはまってしまったのである。抜けない。膝下まで埋まってしまったそこを見れば、俺の足を起点として、四方八方に地割れが起きていた。視線はがくんがくんと下がっていく。

 どうやら俺は、地下街の底を、踏み抜いてしまったらしい。いや、それだけじゃない。ようやく目の眩みが収まってきた視界には、ガラガラと崩壊を始める地下街の床や壁がいっぱいに広がっていた。


……崩壊だって?地下街のその「下」に、地盤以外の何があるというのだ。


「とんでも、ねえ……!」

「え、慧央!……さん」


 刻刻と砕けていく床の端に、頭から血を流している蘭堂が這いつくばっていた。俺を庇った結果何か食らったらしい。脳震盪を起こしかけているのか、声も弱々しい。それでも落ちていく俺を助けようと、手を伸ばしていた。かなり距離があったが、頑張れば届く距離だ。


 それを取ろうとして、やめる。


「よかったな蘭堂、お前は地上に戻れ。崩落が起きたんだ。大掃除どころじゃないだろ。……そこもじき崩れる。俺にはやることがあって、お前を巻き込む訳には行かないんだ」


そうして目を合わせたのを最後に、俺の足を絡めていた岩盤はワッと崩れた。降り注ぐ瓦礫に身体中を殴打されながら、下へ下へと堕ちていく──

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