破虹軍総帥


 綾間に教えてもらった部屋にたどり着くと、そこには数人の破虹師たちが既に用意されたパイプ椅子に腰掛けていた。あまり目立たなさそうな真ん中あたりの席を見繕って、俺も席につく。時刻は20時を回っていた。そろそろ始まりそうだ。


 辺りを見回してみる。ここに居る奴らはどうやって日程変更を知ったのだろうか。


 いくら俺が周囲に疎いとはいえ、大掃除の前に地下に潜り込もうと考えていたのだから大掃除の情報にアンテナを張っていないはずはなかった。施設内の掲示板は全てチェックしたし、通知メール等が来ないことも確認していた。だから未来は俺の見てきた通りに進むものだと思っていたし、綾間にああ言われてあれだけ狼狽えてしまったわけだ。


 ここにいる全員が、俺と同じように邪な願いを持っているとは考えにくい。綾間も極秘と言っていたし、もしかすると、上の人間に招待された人の集まりだったりするのだろうか。俺に言えたことではないが、その割には全員パッとしない感じだが……


「隣いいっスか……って」

「ああ、どうぞ」


 ちょうど空いていた隣に人が来たのはいいが、声の主は何故か俺を見て固まってしまった。褪せた紫のような髪を無造作にくくる、長身の男だ。もちろんこんなに目立つ知り合いは俺にはいない。


「何か」

「慧央さん……っスか? そうっスよね!」

「そう、そうだから落ち着いてくれ。めっちゃ見られてるから……!」


 酷く興奮した顔で肩をバシバシと叩かれる。なんなんだコイツは。敬語を使う必要はないなと思いつつ、何とかなだめて座らせる。座っても俺より目線の高いこの男から、親を見る子犬のような視線が刺さってくるのがなんとも気持ち悪い。


「オレ慧央さんをめっちゃリスペクトしてるんスよ! やー、こんなところで会えるとは」

「い、意味がわからん……俺はお前のことなんて知らない」

「申し遅れました! 蘭堂らんどうっス! 名前は来弥らいや……みんなからはララって呼ばれてるっス」

「ああ分かった蘭堂。うるさいから喋るな。そろそろ始まるだろ」

「噂に違わぬ塩対応、サイコーっス!」


 変な方向に感動している蘭堂を、もう一度よく見てみた。しかし、マジで見覚えがない。こんなに目立つ髪色と身長なら、軍ですれ違ったら気付くはずだし、俺に興味を持っているというのなら尚更だろう。こいつのほうから近寄ってくる気がする。

 それに、俺をリスペクトしてるというのも変な話だ。自慢ではないが、俺は相友家の落ちこぼれである。得意なことは特にない。光り輝く依呂葉とその影である俺という双子で……言ってて悲しくなってきた。ともかく気持ち悪いことには変わりない。


「オレは依呂葉さんのファンクラブ・・・・・・会員でして、その血縁であられる慧央さんはもう、オレらにとっては神様みたいな存在なんスよ」


 そして、爆弾を投下した。


「ファン……クラブ」

「ええ。ご存知ないスか? 規則として依呂葉さんの半径2メートル以内に入れないんスよ。だから慧央さんと顔を合わせる機会がいままで無かったのかも……」

「ファンクラブ……」


 ファンクラブだと?

 俺は一瞬、自らに課せられた使命を忘れた。

 これは《怒り》だろうか。体の奥底から、熱い感情がふつふつと湧いてくるのが分かる。


「ふざけるな。依呂葉は誰にもやらん。俺のものだ。血も繋がっていないお前らの欲望の対象にされていい存在じゃないぞ、あいつは。そんなもの即刻解散させろ」

「アハハ! いくら慧央さんの頼みでも無理っス! 会員がどれだけいるかご存じスか? 依呂葉さんがひとたび『このガム美味しい』とでも言おうものなら、街から商品が消えてしまうくらいの人数はいるっスよ……?」


 なんだそれは。椅子からずり落ちそうになった。額を押さえる。目の前でニコニコ笑っているこの男が信じられない。脳内を駆け巡るのは、依呂葉を見て下卑た笑みを浮かべる野郎共の群れ。潰しても潰しても湧いてくる虹化体のようなそのうねりが、俺の背後にまで迫ってきて……


「……もう何も言うな。お前、依呂葉の害になることはしないんだよな?」

「それは勿論っス。結構統制が取れてる集団スよ。破虹師が多いから」

「だから言うなって言っただろ! はぁ……もう……」


 あれだけやる気に満ち溢れていたのが、一気にぶち壊された気分だ。部屋にアニメ鑑賞をして踊り狂っているのだろう山田さんがいなければ、今すぐにでも帰っていたかもしれない。そんなことはしない。しないがな。

 相変わらずこちらを見てくる蘭堂を無視し天井のシミでも数えようかと思っていた俺に、またしても近づくものがあった。


「今度は何……」

「おかしいね」


 振り返って見えた人物に、言葉を失う。


「きみ……相友慧央あいうえおくんだよね。依呂葉いろはちゃんの双子のお兄さん」


 俺を見下ろす緑色の視線。男性としてはやや長く思える同色の髪は、本人の冷たく浮世離れた雰囲気を助長している。頭にかけられたサングラスの位置をカチャリと直して、彼は……いや、この人は俺をもう一度よく見た。


「今日ここに集まってくれてるのは、ぼくが──破虹軍総帥・・であるこのぼくが集めた人だけのはずなんだけどな。そしてきみを呼んだ記憶は、ない」


 ぞわり、と周囲の視線が俺に向く。俺を他人と割り切り、意識から外していた人間たちが、どんどん俺を非難、排斥する方向へと心を動かしていくのがありありとわかった。背中に水が伝うように、気持ちが悪い。

 やってくれた……と舌打ちしそうになった。まさかこんなにすぐ見つかるとは思っていなかったから。隣にいる蘭堂の顔も不安そうである。


 弓手嚆矢ゆんでこうし。この男の名前だ。

 23歳にして日本の平和を守る破虹軍のトップを務めているとんでもない人物。その才覚とカリスマは確かなもので、彼が黒といえばどんなものだって──


 ぽん、と肩を叩かれた。


「……というのは冗談だよ。なに、ちょっとくらい笑ってくれてもいいじゃない。これはぼくなりのギャグってやつさ。別に大掃除の人員が1人増えようが減ろうが変わらないしね。ボランティアだから」


 へ、と反応する間もなく弓手さんは壇上へと上がっていく。心臓を撫でられるような感覚も消え、てらてら光っていた弓手さんの目は、緩く弧を描く人の良さそうなものへと変わっていた。演壇のマイクの首を少しだけ弄ると、ハキハキと話しはじめる。


「ようこそ破虹師諸君。今回の大掃除……急な日程変更にも関わらずよく集まってくれたね。まあ、暇そうな人をチョイスしたんだけど」


 アウトよりのセーフ、だろうか。

 この件で弓手さんに目をつけられるのは構わない。俺はただ地下に行きたいだけ……だからな。

 そして、ざわめくと同時に先程までの(主に俺に対する)剣呑な雰囲気を消していく破虹師たち。……本当にこの人は、人心を掌握するのが上手いと思う。


「日程変更はぼくの都合だ。そこは申し訳ない。でも、やることはいつもと変わらないよ。いつもより人数が少ないから、3人ではなく2人組になってもらって、常日頃やるように地下街の指定ルートを歩いて回ってくれればいい。何か異常があればぼくに報告する。なければただの肝試し。簡単だね」


 聞き惚れるようなテノールが淀みなく流れ、俺たちは質問するまでもなく内容を理解した。その後は何故か俺が蘭堂とペアを組むことになったり、何故か……予定より1人多かったはずの俺の分まで、あらかじめ地下街潜入許可証が用意されていたりした。


「じゃあ、みんな揃ったら行こうか。……地下に」


 弓手さんの張り付いたような笑みだけが、重く俺の心にのしかかっていく。

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