作戦


2100.7.10.

《2日後・作戦決行日》


 山田さんと話した2日前、俺の脳裏に浮かんだのはタイムスリップした日の朝に読んだ新聞だった。

 《地下街の悪夢》──そう呼ばれる大きな事件をマスコミが根掘り葉掘り調べ……あることないこと書きなぐったそれはあまり気持ちの良いものではなかったが、その分印象に残っている。


 事件の内容を一言でまとめると、軍の管理する施設から虹化体がわっと湧きだし、死人が出たということになるか。


 地下街は虹が出来た87年前当時、まだ虹化体と戦う術を持っていなかった人類が、虹の光から逃れるために作った街のことである。破虹師の質と量がそこそこ安定してきた最近ではもう使われなくなり、次々と地上へ繋がる穴が封鎖されてきていた。7年前に大規模な封鎖ラッシュが起きたのを最後に、現在では軍の敷地の中にたったひとつを残すだけまでに減らされたのである。これは、当時就任したばかりの破虹軍現総帥の公約でもあったことで、かなり話題になったらしい。残念ながら俺に7年前の記憶はないので定かではないのだが。


 こうして人類は地下から完全に脱出した。亜門さんや世世さんの尽力もあって、虹化体を討伐する体制もかなり整ってきている。

 ──搾取されるだけの時代はもう終わりだ。我々は地上の覇権を取り戻した。

 人類はそう信じてやまなかったのだ。……今から1週間後までは。


 ……いくら閉鎖されたとはいえ、東京の地下にだだっ広い穴が空いているというのは、安全上よろしくない。月に一度程度は、破虹師が中を見回る決まりになっている。

 埋め立てればいいだろとは俺も思うが、そのためには資金も人員も足りないようだ。いつだってそう。1度安寧を手に入れてしまったが最後、目先の楽に引きずられて事は進まなくなる。


 俺らはその見回りのことを、《大掃除》とか《肝試し》とか呼んで冷やかしていた。その通り、危険なことは何一つないと思われていたし、7年間ただの1度も何かが起きたことは無かった。


 今からちょうど1週間後、《地下街の悪夢》のその日にももちろん《大掃除》があった。

 しかし始まって間もなく、その時大掃除に向かった破虹師全員との連絡が途切れ──地下街の入口は決壊。慌てふためく破虹師たちをよそに、大量の虹化体が街へと溢れ出し、多くの市民の命が散った。


 まさに、悪夢だった。


 人々の認識の隙をついた凄惨な事件。7年間溜め込まれて・・・・・・・・・いたとしか・・・・・考えられない程の・・・・・・・・虹化体が、真っ黒な津波となって街へ降りたのだ。


 虹化体は時間はかかりつつも全て討伐されたが、当時の混乱は凄まじかった。下っ端である俺でさえ、寝ることすらままならない日々を過ごした記憶がある。地下街の調査ももちろん行われたものの原因は分からずじまい。だから全容解明とかいう新聞の見出しは嘘っぱちだ。俺たちにとっても、不測の事態だったのだから。精神的苦痛に耐えかねた同僚たちはどんどんリタイアしていった。俺も、依呂葉がいなければどうなっていたか分からない。忙しさのあまりアニメを見られなくなった山田さんも大荒れだったし……

 戦闘服を着て肉体的には強くなった破虹師たちも、精神まで訓練されている訳ではないのだ。あれは、ほんとうにこたえた。


「次の方〜」


 声が聞こえて、思考を取りやめた。ここは破虹軍のロビー。俺は虹化体討伐報告をする破虹師立ちに交じって、あることをする為に窓口が空くのを待っていた。辺りを見れば、不躾な視線が突き刺さってくる。どうやら次は俺の番らしい。


「あ、慧央さん。お待たせしてごめんなさい。お疲れ様です」

「綾間か。ラッキーだな」


 俺を出迎えてくれたのは、事務員の綾間あやまこころだ。年齢は俺のひとつ下だったか。破虹軍三美人の1人にも数え上げられる可憐な少女である。洗柿色のゆたかな三つ編みと、同じ色の心配そうに垂れる瞳。大きな黒縁メガネは、俺たちのような戦闘員で掛けている人はめったに居ないから、ここではかなりのレア度を誇る装備だ。

 なんでもない事で謝ってくるのがちょっと鬱陶しいが、基本的には善良で、俺的には軍の良心だと勝手に決めつけている。


「本日はどうされました? 今日の慧央さんの討伐報告は山田さんから既に受けましたが」

「ああ、その件なんだが、……地下街に入りたくて、許可証を貰いたいんだ。大掃除は来週だが、別に入って悪いということはないだろ?」


 思ってもみなかったのだろう俺の要望に、綾間は目をしばかせた。


 ……そう。俺のやりたいこと、それは……


(《地下街の悪夢》を、事前に食い止めることだ)


 聞く人が聞けば何を馬鹿な、と言われてしまいそうな事だが、俺が亜門さんを出し抜けそうなことはこれしか思いつかなかった。


 《地下街の悪夢》事件後の調査では証拠は何も見つからなかった。しかし、そんなはずはないのだ。物事には原因がある。7年分の討伐数に匹敵するほどのおびただしい虹化体を一瞬で魔法のように生み出す手立ては、ない。事件が起こる前の今なら、もしかしたら何か手がかりをつかめるかもしれないと思ったのだ。


 つまり、1週間後の亜門さんに出来なかったことを、今の俺なら出来るかもしれないということ。


(かなり遠回りだ。こんなことをしても、勝手に地下を這い回ったことで怒られるだけかもしれない。俺の知らない魔法のような何かが本当にあるのかもしれないし、仮に証拠を上げても、それが地下街の悪夢に繋がるだなんてことを信じて貰えないかもしれない)


 ただそれでも、俺に出来ることはこれしかない。

 ラッキーだと言ったのは、この無理な頼みも、綾間なら流されて聞いてくれるだろうと思ったからだ。もうひとりいる受付のおば……お姉さんは、大変、怖いからな……

 だが、そんな俺の目論見とは裏腹に、綾間は申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんなさい、ちょっと今それは難しくて……」

「そこをなんとか無理か? というか、今はってどういう」


 綾間の視線が泳ぐ。


「……本当は極秘の内容なんですけど……実は、大掃除の日程が1週間ずれて・・・・・・、……今日になったので……」


 もう受付は終了しているんです、と頭を下げるのを見て、俺は目を見開かざるを得ない。


 何が起きてる?


 未来が変わったということなのか? 前回タイムスリップ前そんなことがあったなんて俺は聞いていなかった。

 前回と今回で異なる要素は、俺がタイムスリップしているかどうかだけしかないはず。それもまだ周りにバレている様子はない。となると、本当に何が……俺の知らないところで、何かが起きているとでも?


 巡る思考は、俺のどこか深い深いところで、カチリと音を立てる。


 こうなったら規則に背いてでも、地下に潜り込んでやるしかない。結果が出れば何だっていいのだから……


「慧央さん、大丈夫ですか?」

「……あっ、ああ、うん、大丈夫だ。悪かったな、無理を言って。……それなら、またの機会にさせてもらう」


 ふっ、と思考が切り替わった。俺、今サラリと怖いことを考えていたかもしれない。傷の治りの速さといい、黒腕を召喚できるようになったことといい、肉体的に人外になってしまったことはもう疑う余地はない。

 だからといって、まだ心までは堕ちていないと思っていたのだが……


 そんな動揺も押し隠して何とか笑う俺を、綾間は相変わらず申し訳なさそうにチラチラ見ていた。


「……何かあるのか?」

「あっ、いや……慧央さんは……でも……」


 お?


「頼む綾間。何でもいい。俺今メチャメチャ困ってるんだ。どーーしても地下街に行きたくて」


 パチンと手を合わせて頼み込む。綾間もアワアワと謝って来たが、最終的には小さくため息をつき、顔を上げてくださいと言った。


「間もなく、大掃除のミーティングがあります。そこで許可証を配布するので、そこに間に合えば地下に入れるかもしれません」

「本当か!」

「こ、声が大きいです。バレたら総帥に怒られちゃいますから……でも、厳密に人数を決めている訳では無いですし……って、こんな良くないことを……」


 ごめんなさい、と虚空に向かって謝る綾間に、親指を突き立てる。ナイスプレー以外の何物でもないだろう。これは。


「何か言われるようなら、俺に脅されたって言えばいい。ともかく本当にありがとう。場所を教えてくれ」


*・*・*


 場所を聞くなり駆け出していく慧央の後ろ姿を、綾間は複雑な思いで見つめていた。


 こうならないように・・・・・・・・・これまでの数年間、気をつけていたと言うのに。少し頼まれただけで、こうだ。


「やはり私はいずれ、殺されてしまうのでしょうね……どんな言いつけも、守れない、ダメな子です……」

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