最強
亜門左門。
世を捨て戦いに身を投じる変人の集う破虹軍の、その戦闘力の頂点に立つ人物である。当然北斗七星だ。
蜺素でできた黒き鎧を身に纏い、捕食者のように超然と虹化体を駆逐する──そんなことが出来るのは、日本広しと言えどもこいつしかいない。
「相友兄。答えろ。その手に持っている本は一体何だ?」
「……うぐっ」
そんな、虹化体でさえ舌を巻いて逃げるような、身を捩じ切るがごとき圧を俺に向けるなと、声を大にして言いたくなる。
北斗七星になりたいということを、亜門に知られてはならない。何故か? 昔同じことを言った依呂葉が、とんでもない目に遭っていたからだ。かくいう俺も経験がある。
亜門には、とある口癖があった。
──弱きは、罪だ。
奴は、自分より弱い人間が戦うことを時間の無駄と言ってはばからない。被害者を増やし物資をドブに捨てるような行為だと言うのだ。
どんなに絶望的な状況でも、亜門がその場に現れれば全て解決する。犠牲者・怪我人は1人も出さない。圧倒的なまでの力で、虹化体を、潰す。裏返せばそういうことであり、悔しくもこれは事実だった。だから誰も何も言い返すことができないのだ。
亜門はその主義から、無駄に命を散らすべく入軍してきた新人を捕らえては、このように尋ねて回り、……
「お前のような弱き者が、軍で何を成そうというのだ」
トドメを刺す。
何度目になったって、この言葉は、俺の体をぐりぐりと掻きむしるような痛みをもたらしてくる。人間、
「……っ」
だから俺は、王者の圧に屈服しそうになる体を必死に制し、本を離さない。ここでまた折れたら、これまでと何ら変わりない、あるべき未来へと時は進むだろう。つまり、依呂葉を救うことができなくなってしまう。
「……な、なんでもねーですよ。たまには破虹師らしく軍の制度の勉強でもしようかと思いましてね」
「殊勝な事だな。だが嘘をつくのは頂けないぞ、相友兄……否、相友慧央。その本は2076年発行、
バケモンかよ、と悪態をつきたくなる。俺の抱える本の、ちらりと見える背表紙から著者名・書名・発行年まで言い当ててしまうのか、こいつは。
肉体的な強さな加えて記憶力と思考力も兼ね備えているとは、正直気持ちが悪い。
「……図星か」
「まあ、俺も、依呂葉の兄ですし」
逃げるように呟くと、亜門の眼がギリリと引き絞られる。
「愚かな」
腕をこちらに伸ばし、動けないでいる俺の襟首を掴むと、無理やり立たされる。それでも亜門と身長差のある俺は、その金色の視線に射抜かれて、全身が縮みあがった。突然のことにたまらず、本をぽろりと腕から落としてしまう。なんらかのページを開いて、死んだように動きを止めた。
それはたまたま、亜門について書かれたページだった。少なくとも、この本が発行された2076年──今から24年前の当時から、奴は北斗七星として第一線で戦っているということだろう。目が震えた。いや、負けるな俺。目的を、忘れるな。
視界が赤くちらつく。
「……愚かにも程がある。お前に何が出来るというのだ。もう3年目にもなって蜺刃の扱いは新人に毛が生えた程度。未だに1人で討伐を遂行したことは数える程も無いらしいな。そんなお前が、北斗七星になりたいだと? 笑わせる」
「それは」
「妹のためだ、というのは聞き飽きたぞ相友慧央。その妹より弱いお前に何が出来るのか、と聞いているのだ」
「盾……」
盾くらいには成れる、と言いかけて、口を噤んだ。なれなかったのだ。
「……出来なくても、やらなきゃならない時って、あるじゃないすか。それが今なんですよ、俺にとって」
「力のないものは何を言う権利もない」
「どこで死のうと俺の勝手です。それとも、罪深い、俺のような弱者のことを、気にかけてくれてるんすか」
「……」
「もう俺は弱いままではいられないんですよ……依呂葉のためにも。応援してくださいよ」
鋭くなった亜門の視線から逃げなかったのは、ほとんど奇跡だと言ってよかった。
亜門は無言のまま、俺を地面に落とした。かろうじて呻くのをこらえるが、本は亜門に手早く拾われてしまう。中を一瞥すると、何かを断ち切るように、音を立てて本が閉じられた。
「……そうだな。人は強く在らねばならない。弱きは罪なのだから」
「……」
「だが知っているか。この本はもう古い。この資料室にはまだ入ってきていないが、ちょうど去年、北斗七星関連の規則が改定され、新版が出たのだ」
「えっ……?」
初耳だった。
「相友慧央。お前は恐らく、
……筆頭? 初めて聞いた単語だ。などと、おどけてはいられなかった。これこそが新たに追加された規則なのだろう。これまでは北斗七星内に序列はなかった。
そして。
筆頭。そんな呼び名を付けるとしたら、それは亜門に決まっている。現役破虹師最年長にして最強。伝説のようなこの男を差し置いて、破虹師のトップを名乗れる者は、一人を除いていない。
頭の中で情報が噛み合っていくごとに、なにかがボロボロと崩れる音が聞こえる気がする。そんな俺を見て亜門は、珍しく、口元を歪めた。
「理解したか。北斗七星筆頭は──私は、決してお前を認めることはない。よってお前は永遠に北斗七星にはなれない。諦めて業務に戻るがいい」
何も言えなくなった俺から興味を失ったように、くるりと背を向ける。硬いソールが資料室の床を打つ音を聞きながら、俺は──
気付けば、寮の自室の前にいた。
ここまでどう歩いてきたのか記憶がない。ただひたすらに、現状に絶望していた。
決してお前を認めることはない。
亜門の言葉が、どうにも刺さって抜けてくれないのだ。何を弱気になっている。昨日のように命を落としたわけでも、取り返しのつかない事態に巻き込まれたわけでもない。俺の四肢はちゃんと残っていて、守るべき依呂葉は今も近くで笑っていて。
何をされた訳でもないのに俺はこんなにも打ちひしがれている。
それは一重に、……それほどまでに、亜門は絶対的な存在だからだ。体中の細胞が、奴には勝てないと白旗を上げている。奴に目をつけられた以上、俺は……
その時、ガチャリと目の前の扉が開いた。
「わっ、慧央くん、何してるのそんな所で」
同室の山田さんがひょこりと顔を出す。俺があまりにひどい顔をしていたからか、山田さんもつられてそのブラウンの瞳を曇らせた。山田さんは人の心を何となく読むことが出来る。だから俺が何を考えているのかはお見通しのはずだが、こういう時には何も言ってこないのが常だった。
「いや、討伐依頼完了したんで」
「そっか、お疲れ様……昨日の今日でホント大変だったよね。全く世世さんも遠慮がないんだから……」
1度気まずそうに泣きぼくろを撫でてから、山田さんは笑った。
「まあ、おかえりなさい。コーヒーくらいなら淹れるよ」
*・*・*
コトリ、と目の前にコーヒーが置かれる。山田さんは料理ができない。これもただのインスタントコーヒーのはずだが、山田さんが俺に何かを出してくれるというのが珍しくて、揺らめく液面を眺めてしまう。
「山田さん、これからは味噌汁くらいは自分で作って下さいね」
「えー? 嫌だよ。僕より慧央くんが作る方が美味しいじゃない。ホント、年下なのに料理が上手くて尊敬しちゃう」
「これは世世さんと依呂葉が全く家事をしないから身についてしまった悲しきスキルなんすよ」
俺と山田さんは、去年の春ごろからこの444号室でルームメイトの関係にある。ここ破虹軍では数年に一度大くじ引き大会があり、部屋が入れ替わる制度がある。色んな人間と寝食を共にし、いざと言う時に連携体制を取れるように……という名目らしいが、破虹師たちには不評である。
「まあ考えとく。……で、慧央くんには悩み事があるんだよね……」
「はい」
「うーん。いつもお世話になってるし相談に乗れるなら乗ってあげたいけど……」
内容が内容だけに、山田さんもなんと言って良いか分からない様子だった。
「慧央くん、急にどうしたんだい? 昨日の朝までは、そんな……なんというか、何かに追われているような感じではなかったよね? それが急に、北斗七星になりたいだなんて」
「やることがあるんですよ」
「まあそうだね。依呂葉ちゃんを守ってあげるというのは、兄として素晴らしい感情なのは分かるよ。でも……」
山田さんは
「慧央くんにしか出来ないこと。亜門さんに出来なくて慧央くんに出来ること……って何かないのかな」
「そんなのあったら苦労しませんって」
「いや、あるはずだよ。僕の勘がそう言ってる」
そう言われ、考えてみた。
身体能力や頭脳の方はてんでダメ。人望もなければ年の功もない。俺は本来より7週間ほど歳をとってはいるが、それだって……
「ん、何か思いついたのかい?」
「……はい。1つ。これなら、いける……かも」
コーヒーを片手に、山田さんは微笑む。その顔のつくりはあまりに無駄がなく、簡素すぎるという点で美しさを感じさせた。左目の泣きぼくろがいいアクセントになっている。均整のとれた顔立ち、とはまさにこのような顔のことを言うんだろう。
「それは良かった。──時に慧央くん、僕からも相談があるんだけど」
「何ですか」
「明後日の夜、どこかで外泊してきて欲しいんだよね」
「……そりゃまたなんで」
山田さんは整った顔のまま、言った。
「魔法少女ナミナミナミナ
口から放たれた文字列を咀嚼するのに数秒ほどかかり、そして、盛大にため息をついた。そうだった。俺の記憶でも、確か同じことを言われた。
山田さんは大のアニメオタク……正確には、特撮魔法少女オタクなのだ。
魔法少女ナミナミナミナは、
数シリーズ前から、ナミナの年齢の上昇とストーリーが大人向けになったことを機に、放送時間帯が深夜にもつれ込んだらしいが、今でも全世代に人気を誇る国民的なシリーズで……
頭の中で情報(山田さんに耳にタコが出来るほど聞かされた)を整理していると、体を前後にがくがくと揺すぶられる。
「トウィンクルスターは“マホナミ”の最高峰なんだよ! 第4期で、ナミナちゃんは10歳。何してても可愛い年頃だもん。天使。この世に顕現した天使……こんなの見ないわけにはいかないよ。もちろん、データは持ってるけど、地上波で直に流れてくるものと、ディスクに焼かれたものじゃ違うでしょ? ねえ慧央くん頼むよ。僕これが楽しみで七夕のシフトも了承したんだからさ」
「うわっぷ、分かりました、分かりましたから、やめてください! その日は用事作っときます!」
「ほんとかい!?」
これまた急に体を離されて、俺は思わずむせこんだ。目をキラキラさせている山田さんは、言っちゃ悪いが頭がおかしい。10歳の女の子しか性的に見ることが出来ない真正のロリコンなのだ。
だが、結果的には良かったのかもな。俺には今、1人で動ける時間が必要だったのだ。
「わーありがとう! このお礼はいつか必ずするから!」
「覚えときますね」
俺にあって亜門にないもの。それは……未来の記憶なのだから。
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