北斗七星
破虹軍の奥深くには研究室がある。ここは技術課兼医療課の課長を務める久世世世が、たった1人で占有する場所でもあった。
足の踏み場もないほど散らかされ、さらには怪しげな機器で奥も見通せないような部屋と、その中央にぽつんとあるデスク。そこに不健康そうな冷たいライトを立て、白髪の女性──世世は一心不乱に何かを凝視している。その顔は険しい。
「やはりこれは、……にしか見えんが……」
手元にあるのは黒い布だった。
ズバリ、タイムスリップしてきた慧央が着ていた、戦闘服である。発見直後の慧央の様子がおかしいと思った世世は、それをこっそり頂いていたというわけだ。ポンコツな慧央は全く気づいていないが、今慧央が着ている戦闘服は、その時にすり替えられた全くの別物である。
息をするようにスリを働いた世世は、肩のあたりの繊維を蜺素でできたナイフでブチブチと切り取った。悪びれもしない。蜺素は虹素と相反する物質で、つまり虹素のように物理兵器への耐久力を持っていて、かつ虹素にも強い。これを加工するためには、貴重な蜺素を使わなくてはならないため、骨が折れるのである。
「……慧央、お前……」
そうして切り取った布を、特殊な顕微鏡でネチネチと観察した。
「血は争えんな……」
*・*・*
2100.7.8
《タイムスリップから1日・破虹軍資料室》
討伐報告を依呂葉に任せた俺は、あることを調べるために資料室へと来ていた。色とりどりの背表紙が並ぶ書架を、ザーッと目で追っていく。
すると時折、「相友」という著者名が目に入ってくる。その度についつい目を止めてしまい、進む足も止まる。
俺と依呂葉はこうして学問とは無縁の職についているが、実は両親の代まで我が家は研究者の一族だったのだ。なんやかんやその界隈……虹素研究の界隈では、相友という名前は有名だったらしいが、俺にはもう関係ない。
研究資料も設備も、今は千葉の立ち入り禁止区域の中に閉じ込められているからな。
10年前の《千葉大災害》──俺たちの家族が殺された日の被害の後遺症のようなもので、あの辺の虹素濃度は、一般人が立ち入るには少し高すぎるのである。
「お、あった」
ようやくお目当ての本を見つけた。ちょうど目の高さにあったその本のタイトルは、「北斗七星について」というもの。
北斗七星。
北極星の周りに輝く7つの星、ではない。……いやそれもあるか?
とにかく、7に強い願いが込められがちな現代日本においては、この星座の名前は特別な意味を持つ。
さあ読み始めよう、と思ったところで、持っていたスマホが震えた。驚きはない。3時にアラームが鳴るよう設定していたからだ。俺は本を抱えるとそそくさとその場所を離れ、
そこへ、ふんふ〜ん、と上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。
……依呂葉だ。間違いない。
ここに今日の3時、依呂葉がやってくることは俺の「記憶」と寸分の狂いもなく一致している。だから隠れたのだ。分かってはいたが、こうも記憶通りにことが起こると、後ろめたいことをしているような決まり悪さがある。
いやいや。それなら7週間後に死ぬ予定の依呂葉の命を延ばそうとしている俺は、明らかに世界に背いていると言われても仕方ないし、こんな小さいことは今更ノーカンだ。うん。
依呂葉は数列先の書架の裏に俺がいることなど知らずに、資料室の最奥を目指していく。
奥へ奥へ、そして、壁の前でピタリと立ち止まると、頬をパチンと叩いた。俺の方がビクリと震える。そして壁に取り付けられた端末に顔を突き出すと、ピロリン! という間の抜けた音とともに、すぅっと壁が縦に裂けて……
依呂葉は、その先に現れた更なる空間へと消えていった。
依呂葉の足音が遠ざかっていく中、割れた壁はまた滑らかに閉じ合わさり、元のように裂け目すらなくなってしまう。
その中に何があるのかは、俺でも知っている。
軍の中でも限られた人物だけが閲覧を許される、禁書庫だ──
(はぁ……)
詰まる息を吐き出す。見つからなくてよかった。依呂葉は気配に敏感だ。見つかって絡まれたら気まずいどころの話じゃないし、……俺はもう、依呂葉の目の前にはなるべく立ちたくないと思っている。文字通り、住む世界が違うのだから。俺と依呂葉の顔はよく似ている。だが、俺ではあの顔認証は通り抜けられない。
今更そんなことで傷つくような俺ではないが。
ちょうど良かった。あの依呂葉の姿こそが、俺の目指す姿なのだから。
そのまま、手元の本に目を落とし、ページをめくる。
北斗七星。
正しくは破虹軍選抜部隊という。
読んで字のごとく。強力無比な戦闘能力と軍への忠誠を兼ね備えた、選ばれし破虹師たちのことだ。だが、七星というのだから7人しかいないのかといえば、それは違う。北極星に見立てた破虹軍のトップ──総帥に忠誠を誓う破虹師たちの姿を、北極星の周りをクルクル回る北斗七星に見立てているだけで、実際は日本全国に何人もいる。もっとも、首都圏以外の地域に、
それはさておき。
天に愛された最強美少女依呂葉も、もちろん北斗七星の一員で、その特権の1つ・禁書庫閲覧権を俺の前で使って見せたというわけだ。
だが、元来勉強をそこまでしてきている訳ではない依呂葉が、北斗七星に
読み進めていくうちに、ちょうどそのあたりの記述があるページに差し掛かっていた。俺はもう一度辺りを確認すると、行儀は悪いが床に座り込む。
北斗七星に与えられる特権は、実はふたつある。1つは禁書庫閲覧権だが、これはむしろおまけだ。依呂葉が求めてやまない、そして俺も求めざるを得なくなってしまったのは、2つ目の特権の方である。
「大罪虹化体との、交戦権」
古めかしい本に、ぬらぬらと光る黒文字がそう踊っている。簡単な10文字だが、その重みは俺の肩にずしりと乗って離れない。
そう。依呂葉と俺の共通の宿敵である《憤怒》の虹化体を倒すには、まず北斗七星にならないといけないのである!
理由は簡単だ。
ヒラの破虹師が大罪虹化体と戦うと、昨日の俺のように簡単に殺されてしまうから。
破虹師は万年人手不足であり、そして大罪虹化体は出会った人間をほぼ確実に殺してしまう。無駄な被害を抑えるために、この北斗七星というシステムが生まれたという訳だ。
ああ。掃いて捨てるほどいる市民と、替えのきかない訓練された破虹師……現在の1を捨てて未来の10を取るためのシステムなのは疑いようがない。これが現状なのだ。虹化体を俺たちだけで圧倒できるのであれば、そもそも依呂葉が復讐に心を売ることもなかったのだから。
正直昨日は切羽詰まっていた。このことが頭から抜け落ちており、無謀にも俺はヤツに突っ込んでいこうとしたのだ。
大罪虹化体と戦わなくてはならなくなるなんて、これまでは思ってもみなかったのだから。
さらにページをめくる。そこには、北斗七星の選考方法が記されていた。
①5人以上の連名で推薦されること。だが、誰も好き好んで友人を死地に送り出しはしない。推薦で北斗七星になった人物というのは、俺の脳裏には1人しか思い浮かばなかった。
②事務室に自分で申請書類を出し、後日総帥と面談をする。……そこで認められれば俺は晴れて北斗七星になれる。依呂葉と同じステージに立ち、同じ敵を追うことが出来る。
……自慢じゃないが、俺に信頼出来る5人の知り合いなどいない。世世さんと依呂葉を含めたとしたって、俺と仲の良い破虹師なんてあと山田さんくらいしかいないからな。だから、俺には1つ目の方法はどうひっくり返っても取れない。2つ目……依呂葉と同じく自薦で北斗七星になるしかないのだ。
ちなみに、推薦で北斗七星になった人物というのは、実は山田さんである。
山田さんは戦闘能力は人並みだが(俺よりは戦える)、その高い読心能力を買われたのだ。独房に放り込まれた犯罪者たちの尋問を担当させられてしまっている。総帥に頼み込まれて、俺も山田さんの推薦書類にサインさせられた記憶があるな。山田さん自身はその仕事があまり好きではないようで、ときたま恨みがましい目を向けられたりもする。
もうしばらく本のページをめくったが、あとは歴代北斗七星(しかも古い)の偉業がつらつらと並んでいるだけで、めぼしい情報はなかった。本を閉じ、立ち上がる。これからやることは決まっ……
(何だ……?)
急に立ち上がったせいか、ぞっと立ちくらみがして、目の前の景色が乱れた。しんと静まり返った資料室を、ごぼごぼとこもった俺の耳鳴りだけが這い回っている。
あれ、でも、ほんとに何だ?
一瞬で治まるかと思われた視界の乱れは、秒針を刻むほどに強くなってきた。頭を抱えてみても、耳を叩いてみても、その違和感は消えない。むしろ意識すればするほど、現実から意識がそれていき、ついにはふわりと──重力の感覚すらなくなった。
立ち上がった俺が耐えきれずに再び座り込んだ、その時。
重く猛々しい足音が、俺の耳に入り込んできた。
「……こんな所で何をしている」
一音一音に鉛を含んでいるようなバリトンの声が、遥か頭上から降ってきては俺を貫く。そこから放たれる圧に、呼吸もままならない。
「相友兄、聞いているのか?」
それに抗って顔を上げ、見えたのは……
短く立った黒髪。猛禽類のような黄金の瞳と、その右目を貫く大きな裂傷痕。練り込まれた筋肉が浮く浅黒い肌は、戦歴の長さを窺わせて──
(ツイてねーな……!)
一言で表すなら、最強。
日本中の破虹師に恐れられる、最年長にして最も強い男である。
俺はこの男が苦手である。頬を垂れる冷や汗を拭うことも出来ないまま、黙る亜門から視線を動かせずにいた。
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