8月25日(3/3)


 大罪虹化体が恐れられているのは、恐ろしく強力な戦闘能力と、高い知性を持っているからだ。


 ほかの虹化体がゾンビのように食欲によって動いているのならば、大罪虹化体はキリスト教における7つの原罪──より複雑な感情を行動指針としている。

 つまり、憤怒は常に何かに怒りを覚えている個体なのだ。人を食べることにはそこまで興味が無いので、普段は人里へは降りてこない。だからその生態はまだまだ研究途上なのだ。


 ……話せるほどの知能を持っていたなんて、今初めて知った。


「胸を一突きしただけでその体たらくか。目ェ、覚ませよ……オイ。7年会わなかっただけでそんなに落ちぶれるもんなのか?」


 だが、何を言っているのかは全く分からない。


 7年?

 俺に幼い頃の記憶はない・・・・・のだが、会ったことがあるとすれば10年前ではないのか?


 いや、虹化体の戯言を真に受けてはいけないだろう。俺の事はどうでもいい。大事なのは、こいつが憤怒であること、それだけだ。


 憤怒は俺達の家族を殺した。

 瀕死の俺を担ぎあげて罵倒している。

 依呂葉を殺しただけに飽き足らず、その頭をミシミシと踏みつけながら。


 こいつは……本当に……


「そーだそーだ! その目だよ! そのくそ生意気な目! 懐かしいなぁ……オメェを起こすために・・・この女も殺してやったんだし。殺し合い、しよーぜ?」


「俺の、ために?」


 今なんと言った?


「そうだぜ? オレはお前を7年間ずっと探していた。そして見つけた。……オレはお前を殺したかったんだ。その女、お前……大切にしてたもんなぁ……兄貴はつれぇなぁ! どうだ? 怒りを感じるか? 感じるよなぁー!」

「黙れよ」


 自分でも驚くほど、低い声が出た。同時に、ナニカが外れる感覚。ぼやけていた視界はクリアになり、感覚は研ぎ澄まされる。

 皮膚にぶつかる酸素分子すら知覚できそうなほど、力が漲っていた。体が熱い。ぽっかりと穴の空いた胸が塞がっていく感覚がある。


 何だかよくわからないが……怒りで頭がおかしくなりそうだ。この世の全てが憎い。全てを潰して、殺して、メチャクチャにして、やりたい──!!


「お出ましか」


 憤怒はそんな俺を見て口笛を吹くと、容赦なく数メートルの高さから俺を落とした。憤怒から目をそらすこともなかった。普段の俺ならビビりあがってもがくのだろうが、今は全く気にならなかったのだ。普通なら骨の一、二本も折れそうなものを、痛みすらなく着地する。見れば、足元に黒くぶよぶよした腕がわだかまっているのが見えた。

 虹化体の腕だ、と直感した。

 そして、これは俺が作ったものなのだ、という事も。


「はは……」


 簡単な話だ。

 胸を突かれて死んだ俺は、憤怒への強い憎悪によってこの世に繋ぎとめられ──その身を虹化体へと落としてしまったということだろう。

 実際、虹化体は自然発生するのと同じくらい、殺されかけた生者がその身を虹化体に堕として発生することも多いのだ。


 まあ、そんなこと、どうでもいいがな。

 依呂葉を失った俺にとっては、全てがどうでもいい。今はただ、この怒りを何かにぶつけたくてぶつけたくてたまらないのだから。

 依呂葉が憎む化物として、化け物らしく、暴れたいとしか、考えられない。


 俺は自分を支えていた黒い腕──黒腕とでも呼ぼうか──を起こし、憤怒へと向ける。

 もはや言葉はいらなかった。

 奴は何故か俺を憎んでいるし、俺も奴のことを心の底から憎いと思っている。それだけでいいのだ。


 お互いの視線が交錯し、いよいよ足を踏み込んで……


「だめ!」


「ぐっ!」

「ぎっ!」


 ……戦闘を始めようとした時、何かに視界を塞がれた。これはなんだ……小さくてふくよかな……手のひら?

 憤怒も俺も虚をつかれ、数歩下がった。

 すぐに手は振り払われ、目の前に見知らぬ白い少女がいるのが見える。


「なんだお前」

「だめ! にーたんじゃ、かなわない」

「あ? どけよ。俺はアイツを殺す……!?」


 それを押しのけて憤怒と相対しようとした、のだが、当の憤怒の様子がおかしかった。

 体の端々が黒く凍りついている。それはまるで、核を潰した時のようだった。俺へと腕を伸ばそうとするが、固まって動かせないのか、ガタガタ震えるばかりである。


 あまりに唐突な出来事に、渦巻いていた怒りが一気に冷めてしまった。


「これは、ながくもたない」

「お前、一体」


 白髪にきらきら光る7色の瞳という、派手な見た目の少女は、俺の声に目を伏せる。


「それは……いえない。ただ、にーたんのねがいを、かなえにきた」

「願い」

「……ねーたんを、依呂葉ちゃんを……たすけること」


 どくん、と胸が強く打った。

 一旦冷静になったことで、現状を強く理解したのだ。


「いまここでおじさんをたおしても、……ねーたんは、かえってこない。それに、おじさんはつよい。にーたんじゃ、かてない」


「そんなの、無理だろ」


 悶える憤怒の隣で、俺は項垂れる。

 勝てない、と言われたことに怒りを覚えないでもなかったが、もとより俺も勝てるとは思っていなかった。よくて相打ち。虹化体に堕ち果てたこの命を捨てる覚悟で、飛びかかろうとしていたのだから。

 それに、死者を蘇生させる方法なんて……虹化体にしてしまうこと以外にはない。つまり、理性ある人間へと蘇生することは不可能なのだ。

 虹化体を憎む依呂葉に虹化体としての生を与えるなんて、そんな辛いことは無いだろう。


  八方塞がりだ。

 こんな訳の分からない子供の相手をしている暇はない。せっかく拘束してもらったのだ。さっさと、憤怒が動けないうちに始末して、──


 そして、俺も死ぬ。

 それで終わりだ。


 そうあきらめると、目の前がぐっと暗くなった。


「むりじゃない。にーたんが、あきらめないかぎり」


 だが、少女の目の輝きはちっとも褪せていなかった。


「にーたんには、あの子の呪いがかかってる。だから、だいじょうぶ」


 さっき訳の分からないことしか言わないこの少女は、微笑むと顔を近づけてきた。30センチ、10センチ、5センチ──そして、ゼロ。触れ合うような、柔らかいキス。

 それは、ようやく目の前の事態が理解出来た俺が動き出すまでの数十秒にもわたって続いた。ばっ、と肩を突き放すと、沸き上がる怒りを吐き出す。


「何してるんだよ、お前。状況分かってんのか。──俺は、虹化体だ。訳の分からんことばかりするなら、殺すぞ」

「わかんなくないよ。だってほら、おそら」


 少女につられて空を見上げた俺は、もう今日何度目か分からないほどの驚きに震えた。


 夕焼けに沈んでいく空が、その端から……ペンキをぶちまけたような白色に塗りつぶされていくのが見えたのだ。

 それはさながら、世界の終わりのようで。しかし、平然と笑っている白い少女の顔には、絶望なんて欠片も見えない。それが当然の結果であるように、目の前の出来事を全て受け入れている。


「おやすみ、にーたん。向こうでも、がんばってね」


 俺の心はもう限界だった。

 依呂葉の死と、訳の分からないことの連続。それに脳が悲鳴を上げ──10個近く年の離れているように見える少女にあやされるように、その場に倒れ込んで眠ってしまったのだった。


*・*・*


 2100.7.7

《7週間前・東京都》


 虹が全てを支配する現代において、7は特別な意味を持つ数字だ。そのあまりの人気に、名前に七の漢字を入れることが禁止されたり、7の付く車のナンバーが闇オークションで非常に高値で売れたりする。街に並ぶ店の看板にも、7にあやかった名前が書かれていることばかりだ。

 本日7月7日に開催される七夕祭りは、そういう訳で、日本で1番大きなお祭りなのである。


「よい……しょっと!」


 左目にある泣きぼくろが印象的な少年・山田は、少々ジジくさい声を上げながら箱を持ち上げた。

 中身は大量の……笹と短冊である。

 町中に設置されていた笹に、人々は願いを込めた短冊を吊るす。七夕もふける夜中になると、破虹師たちがそれを一本一本責任をもって回収して川に流すのだ。

 もちろん笹は本物の竹からとったものだし、短冊だって自然由来の素材でできている。自然物ゆえに分解されるので、引くほど大量に川に流したとしても……少々魚が死ぬくらいで環境に問題はないのだ。


 山田は破虹軍の裏口にあった箱を正面玄関まで運ぶと、1度下ろした。そこで自動ドアの前に立ち、ノックする。奇妙な絵面だが、ウィィンと開くドア以外に、それを指摘するものはない。ドアが閉まる前に、山田はそそくさと外へ出た。


 夏とはいえ、まだ夜は涼しい頃だ。

 遠くの祭りの賑わいが、風に乗って山田の耳まで届く。僕も行きたかった、と誰に宛てる訳でもなく呟いたその時。

 山田はあることに気付いた。


 日々多くの破虹師が出入りする軍の中庭は、破虹師たちの憩いの場となるようにと広めに作られている。が、その中のひと区画だけは、立ち入りを禁止する柵が設けられているのだ。

 そこは、かつて虹黎明期に人類が住んでいた、地下街へと繋がる場所である。


 軍の隆盛とともどんどん入口が潰されていった地下街は、7年前にここを残して完全に封鎖された。


 唯一残されたここを通る以外には、もう東京地下街へと足を踏み入れることは出来なくなったのだ。もっとも、安全上の問題から普段は閉じているのだが。


 そのスペースになにやら見慣れない塊が落ちているのが、山田には見えたのだ。


「何だろう」


 首を傾げつつそこに近づくと、──その塊は、微かに蠢いているのが見えた。

 ピンと来た。人だ。

 人が倒れている。


 その瞬間、山田は箱を投げると駆け出した。


 一気に柵を乗り越える。

 柵が擦れ合うとんでもない音に、周囲にまばらにいた破虹師たちの視線が集まった。


「だ、大丈夫!? そこで何して──って」


 だが、倒れている人物を仰向けに起こして、絶句した。


「慧央くん、どうしてここに? 今日は遠くまで行ってたんじゃなかったっけ?」


 そこに倒れていたのは、全身アザだらけの……慧央だったのだ。身にまとっている戦闘服は穴だらけで、血が滲んですらいる。

 今日、慧央はチームを組んでいる山田と依呂葉と分かれ、1人東京の片隅へと討伐依頼を遂行していたはずなのだ。

 時間と場所的に、依頼を遂行してここまで帰ってこられるのはありえないと山田は思った。


 明らかにただ事ではない。


 虹化体と戦って、ここまでボロボロになることだって珍しいのだ。山田は眉を顰める。


 ……そうとは知らぬ慧央は、山田の揺さぶりに身動ぎをした。全身を覆う痛みに呻きながら、血のように赤い目を開く。


「……山田さん、今までどこに行ってたんですか。そうだ、憤怒、憤怒は……」

「憤怒? え、何?」

「そうだ、依呂葉! ……っうう……」


 はね起きて呻きつつ、慧央は何かに浮かされたように辺りを這い回る。そして目に付いたのは……箱に入った山盛りの笹だった。


 そんなものを出しているのは、1年であの日くらいだというのに。


「慧央くん、落ち着いて。とりあえず医務室に行こう。そのケガは一体」

「山田さん、今日は一体、何月何日ですか」

「え? ……そりゃ、七夕……7月7日だけど」

8月25日・・・・・ではなく?」


 山田には慧央の意図が掴めなかった。

 1日2日間違えるならともかく、そんな──7週間後の日付と今日を間違えるなんて、ありえないと思ったからだ。

 しかし、慧央はショックに顔を青ざめさせている。


「……マジか。俺、俺……」


 山田には読み取れなかった・・・・・・・・のだが、慧央はこの時こう呟いていた。


 ──俺、7週間前にタイムスリップしてる。




*・*・*


 ……こうして、妹を殺され、自らも虹化体へと身を堕とした少年は──時を紡ぎ直す権利を得たのであった。

 1人の少年が妹を守るために戦う、7週間の英雄譚の、はじまり、はじまり。

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