第一章 喪失とタイムスリップ
8月25日(1/3)
2100.8.25
《東京都》
がさりと新聞を開いて見えた文字に、顔をしかめてしまった。
大見出しは『地下街の悪夢 全容解明!』だ。もうここ一週間変わっていない。
何回全容を解明したら気が済むのだろうか。そうでなくても1ヶ月以上一面はこの話題で埋め尽くされているというのに。
文字を拾い読みするだけでも、『破虹軍は悪魔』『罪なき民間人を大量虐殺』『地下街の管理体制に致命的な欠陥あり』などなど……強い言葉が所狭しと並んでいる。
「仕方ないんじゃない?」
「うわ!」
肩越しに聞こえた声に、思わず新聞をぐしゃりとつぶした。見れば、山田さんがこちらを覗き込んでいる。
「僕たち破虹軍のミスで、虹化体を閉じ込めていた地下街が開け放たれて──結果、人が死んだ。それは事実だし、こんなに責め立てられちゃうほど、軍は市民にとって心の拠り所だったんだよ」
「……分かってますよ」
左目の泣きぼくろを除けば特徴のない……げふん、優しげな顔をした山田さんは、言動も穏やかだ。この荒れた世の中には不釣り合いなほど。
これで俺と年齢が1つ違いって言うんだから、まあ、俺の未熟さにはほとほと呆れてしまうが。
西暦2100年の現在、人類は過酷な戦いを強いられている。
数十年前……数えると87年前になるか。それくらい前に、大空に虹がかかったのが発端だ。雨上がりの空に虹がかかった、というのなら、珍しくはあるが驚くことじゃない。
──なんの前触れもなく、快晴の空に現れたのである。雨粒ではなく
虹素は言わば魔法の物質だ。
《願いを叶える》力を持っている。
事実、虹素のおかげで俺たちの生活はガラリと変わった。電気の代わりに家庭まで虹素が引かれるようになると、発電所は軒並みただの虹素の仲介所となったし、病院では薬はどんどん虹素でできたものに変わってきている。環境問題その他もろもろが一気に解決した形だ。
「だけど、その影響がいい事だけとは限らない」
「……だから、心を読まないでくださいよ」
つらつら考え事をする合間に、山田さんが割り込んでくる。
今現れた時もそうだった。山田さんは人の心が読める。読めるくせに、俺が嫌がっていることは都合よく無視する。構ってもらえるのが嬉しいのだろう。この悪口も無視されるのだが。
事実、山田さんは少しニヤついた後、得意げに解説を始める。
「願いを叶える……ということは、人の欲望を満たすということ。それが暴走して、《生きたい》という人の欲望を叶えてしまうこともある」
「はぁ……そうですよ、それが」
皆まで言わずともわかる、この世界における強大な災厄だ。
これを倒すのが、俺達破虹師の役目である。
まあ俺は、虹化体を倒すことへの熱意とやる気はないんだけど。俺が戦うのは妹のためだからだ。
*・*・*
「今日はついてないね、
「シッ!
「聞こえてるよー」
それから1時間後、軍の食堂で腹ごしらえを済ませた俺達は、もう1人の仲間──であり俺の双子の妹でもある依呂葉と落ち合った。
依呂葉と俺は双子だけあり、よく似ている。
癖の強い黒髪と、どこか挑戦的な目付きは、髪の長さが同じなら見分けがつかないと言われるほどだ。短く切りっぱなしの俺と違い、依呂葉はそれを腰まで伸ばしている。さらに、依呂葉は……軍で一二を争う豊かな胸部を持っている。間違われるはずもない。
まあ、俺達のもっとも目を引く違いは、瞳の色だったりするのだが。
依呂葉が髪と同じ漆黒の瞳を持つならば、俺は血のように赤い目をしている。
依呂葉は手を振ってこちらまで来ると、手のひら大の端末を掲げてみせた。
「二人ともこれ見たー?」
画面には、《西地区B地点、虹化体発生確率88パーセント》という文字が記されていた。
これは天気予報のようなもので、街のストレス濃度を計測し、悪い感情が吹き溜まる場所を察知することによって、虹化体の出現予測を行うシステムだ。
破虹軍が誇る技術者が精力を上げて開発したもので、これによって、虹化体による市民への被害は格段に減った。惜しむらくは、まだ範囲が東京都全域にしか渡っていないことと、完璧に場所を絞り込むのは難しいということだろうか。
「おはよう。今日もお仕事頑張ろうねっ。ほらほら見て見て! 早速虹化体の討伐依頼が来てるよ!」
「知ってるよ……それを見たからここに来たんじゃないか」
「おっ、早いとこ済ませようぜ」
テンションの高い依呂葉と対照的に、俺たちの声色は暗い。
誰が朝から肉体労働をしたいと思うのだろうか。……いや、依呂葉に協力したくないとか、そういうのでは全くないのだが。
虹化体は黒くてドロドロした半固体の体をしている。戦うと色々あって固まるので、もうどこも出歩けないほどバキバキになってしまうのだ。めんどくさい。非常に、めんどくさい。
俺は窓の外を見た。大空にはやはり虹がかかっている。……綺麗な虹から、どうしてあんなにおぞましい化け物が生まれるのか、不思議でならない。
不服そうな俺たちに、依呂葉はむくれる。何故かぎゅっと身を縮めると、──ぐわっと、こちらに飛び出してきた。
「むうー、つまんないの。せっかく朝から2人にサプライズしようと思ったの……に!」
「うぉ!」
依呂葉は並ぶ俺たちの間に入り込むと、両腕を俺たちの腕に絡めてしまった。そのままずんずんと、大の男2人を引きずるような形で、軍の建物を出る。
──なんて、馬鹿力だ。
俺や山田さんだって、そりゃ、パワー系ではないけど、化け物と戦えるくらいの身体能力は持っているのに。
後ろを向いている俺の視界には、唖然としている周りの破虹師たちの顔がありありと見えた。
「朝から、虹化体をぶっ殺せるなんて……めちゃめちゃハッピーなのにさぁ!」
*・*・*
戦闘狂・依呂葉に連れられて、あっという間に虹化体の出現予想がなされている地点までやってきた。辺り数キロには不快なサイレンが鳴り響き、人っ子一人居ない。全員家の中に閉じこもっているからだ。
虹の支配する世の中になってからというもの、全てが化け物から身を守ること中心になった。こうなれば学生は自宅学習を余儀なくされるし……そもそも、学校まで行かせること自体が珍しくなりつつある。
「多分ここに出るぞ。予想時刻はいつだ?」
武装を展開しながら尋ねた。
俺はカンがいい。虹化体が出る場所が何となくわかる。その嗅覚がここだと告げている。あとは時刻を待つだけだ。
「あと3分ってところかな」
「なかなか迫ってるね……はぁ、僕、毎回緊張して……」
1人で体を伸ばしていると、山田さんの声が途切れた。何かあったのだろうか、と振り返って驚く。
けたたましいサイレンの鳴るこの通りを、一人の少女がふらふらと歩いていたのだ。
まだ中学生ほどだろう幼い体に、昨今絶滅が危惧されているセーラー服を纏い……桃色の髪をツインテールに結い上げ、…………なぜか、うさみみカチューシャをはめている。
妙ちきりんな見た目はさておき、あんな格好をしているからには戦える様子でもなさそうだ。破虹師ではない一般人なのだろう。
さっきまでいなかったのだから、サイレンを聞きながらもここに迷い込んできたに違いない。
俺達3人は顔を見合わせると、少女の元に走る。
「おい、あんた、何でここにいる! サイレンが聞こえないのか?! そんな耳までつけてるのに!」
「これは関係ないです……いや、その……この大音量で、気分が悪くなって……」
そう言う少女の顔は青い。嘘を言っているようには見えなかったが、山田さんの目は厳しかった。
「……慧央くん、依呂葉ちゃん。僕、この人を安全な場所まで送り届けてくる。2人なら大丈夫だよね、戦闘も」
「分かった! でも、なるべく早く戻ってきてね!」
依呂葉に見送られて、山田さんは少女をおぶって去っていく。
山田さんがあんな顔をするなんて、一体何があったのだろうか。
山田さんは人の心が読める。つまり、嘘をついている人はお見通しだという事だ。……あまり考えたくはないが、やはりあの少女はただ迷い込んできた訳では無いと言うことなのだろうか。
いや、それでも俺たちに事情も告げずに去っていくなんて、山田さんらしくない。
あれこれ考えているうちに、2人の姿はすっかり見えなくなってしまった。……訳は後で聞こう。まずは化け物を倒さないと、か……
「あ」
その時、依呂葉が声を上げ、屈んだ。
「お兄ちゃん、これ……」
「ん?」
再び立ち上がった依呂葉が拾い上げたのは、ピンク色のカードケースだった。手渡されて開くと、そこにはファンシーな名刺がたくさん入っている。《
「名刺? あんな女の子が? いや、しかもこの職業って」
職業:
たんてい? 探偵って、あの……
刹那、脳が痺れるような悪寒が走った。
「お兄ちゃん! 時間だよ!」
「な、……くそ、間が悪いな!」
朝日に照らされる街並みに、黒い亀裂が走る。
空間が黒く裂けているのだ。……いや、そう見えているだけか。この黒い物質に、実体はないのだから。
もうこの光景を何百回と見てきた。
平和な街にのしかかる、災厄の形だ。
──虹化体が現れる。
俺が刀を構えるとなりで、依呂葉は黒い篭手とブーツをがしゃりと鳴らす。そして顔を見合わせると、形を作り始める黒い化け物に──勢いよく飛びかかった。
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