第10話 説得
朝日がカーテンの隙間からこぼれ落ちている。
2番目と7番目の音に気をつけながら、冬は階段を駆け降りる音に意識を向けた。
「冬っちが犯される!」「ユージンテメエぶっ殺す!」
けたたましい音を立てながら階段を駆け降りてきたのは、紅とユフィという少女だ。
「朝から息ぴったりじゃないか」
ボサボサの髪に寝巻き姿(と言っても、紅が着ているのはユージンのシャツである)の二人を、冬はコーヒーを片手に出迎えた。
「良かった冬っち、部屋にいないから心配したよ」
首に抱きついてくる紅の頭を撫でる。生まれつき色素の薄い亜麻色の髪は、今日も綺麗で羨ましい。
紅と同じ行動をしてしまったのがバツが悪いのか、ユフィは室内を見回している。
「ユージンは、って。くそっ、いつもの素振りか」
「彼なら早くに出かけていったけど」
ユフィは「アホらしい」と呟いて、キッチンからコーヒーカップを取り出した。ずいぶん手慣れているから、きっと何度もここに訪れているのだろう。そんなことを気にする自分に、冬は驚いた。
「なに想像してんだスケベ」「オマエが変なこと言うからだろう!」
すぐにまた始まったじゃれ合いに、戯れで口を滑らせてしまつたのはそのせいかもしれない。
「まあ確かに昨晩、私の初体験は彼に奪われてしまったけどね」
「こっちだ、ついて来い暴力女」「ガッテンだよ、ギルティだね!」
またもや息ぴったりに、二人は裏口に飛びついている。
昨日はどうやら、あのまま寝てしまったようだ。昨晩の自分の醜態を思い出して、冬はこっそり顔を赤くした。
もちろん彼は自分に乱暴などしていない。目を覚ましたのはユージンのベットだったけれど、衣服に乱れはなかったし。
自分の魅力のなさは少しだけ悲しい気もするが、朝の早い冬が目を覚ました時には、すでに階下から芳しい香りが立ち上っていた。
豆から引いたコーヒーは香ばしく、今まで飲んだコーヒーの中で一番美味しい。実はすでに二杯目だ。
その香りが心を落ち着かせてくれて、冬はドアに張り付く紅を呼び止めた。
「それより紅、本当に彼に案内役を頼むのかい?」
「うん。アイツは面白いからな」
「だったらちゃんと頼まないとね」
振り向いた紅は微妙な顔をしている。どうやら頭を下げるのは嫌らしい。「モブ農民の都合なんていいじゃん」、なんて拗ねた言い方をしているあたり、もしかしたら恥ずかしいのかもしれない。
「ダメだよ、ただでさえ迷惑をかけているんだ。危険のある旅なら、なおさらちゃんとしないといけない」
冬の言葉に、紅は小さく「うん」と頷く。紅のことを、破天荒な言動でワガママだと言う人もいるが、大抵のことは諭せば聞いてくれる。元々頭のいい子なのだ。
そんな紅を、ユフィも微笑ましげに見ていた。
「なんだ、みんな起きたのか」
そうこうしているうちに、彼が帰ってきた。
ユージンからは微かな汗の匂いが香ってくるが、不快感はない。その手には一振りの剣が握られている。その剣を見て冬は軽い驚きを覚えた。
彼の手に握られていたのは、剣というより日本刀と呼ぶ方がしっくりくる。いやむしろ、そのものと言ってもいい。こっちの世界にもあるんだ。
彼に武器は似合わない気がしていたけど、手にしている立ち姿は案外しっくりくる。
「お帰りなさい。ちょっと話したいんだけど、いいかな」
紅とユフィ、ユージンを促して4人でテーブルを囲む。隣に紅、正面にユージンだ。
「なんだよ改まって」
ユージンが体を寄せてくると、汗の匂いに混じってなにか甘い、いい匂いが漂ってきた。庭に花でも植えているのだろうか。
冬が視線で促すと、紅はお尻をモゾモゾさせながら話を切り出す。
「オマエも、勇者パーティの末端の下っ端の荷物持ちくらいには入れてやる」
「いや、結構です」
紅、それじゃぜんぜん伝わってないよ。
「じゃ、じゃあ大負けで下っ端構成Aくらいにはしてやる!」
「下っ端構成員とか勇者が抱えちゃダメだろ」
「Aだぞ、BでもCでもなくだ。モブ農民なんて本当はJくらいが妥当なんだぞう」
たぶん、ユージンにはその価値感ないと思うよ。というか、それは冬でも嬉しくない。
「そもそも名前が抹消される時点で降格だろ」
「なんだと、ショッカーはロマンなのに!」
「誰だよショッカーって」
いつまで経っても話が本題に進まないので、冬は仕方なく助け舟を出すことにする。
「紅、話が脱線しすぎてる」
じっと見つめると、「うぐぐっ」と呻いて紅は一息に言葉を吐き出した。
「みちあんないおねがいします、冬っち交代!」
早口すぎてユージンは首を捻っているし、白旗をあげた紅はすでに涙目だ。仕方なく、冬は話を引き継いだ。この子にしては頑張った方だろう。
「えーっと、要するに王都への道案内を正式にお願いしたいんだ」
「ああ、道案内お願いします、ね」
「もちろん畑のことも考える。だけど自分たちの状況を理解するためにも、王様の呼び出しには応じておきたいんだ」
「そりゃまあ、そもそも無視できるもんじゃないしな。だけどどうして俺なんだよ」
それは当然の疑問だった。手厚いサポートを約束している村長の誘いを断ってでも、自分たちとさして年齢も変わらない少年にこだわる理由は、説明しにくい。
ただ、紅がここまで理屈に合わないゴネ方をする時には、大抵何かあるとしか言いようがない。
去年の夏もそうだった。
目前に迫った修学旅行の行き先に、紅が猛然と反対したのである。当初の予定では沖縄に行く予定だった。
しかし紅は「今どき国内なんて辛気臭い!わたしはおフランスの風にあたるのだ」なんて言い出したのである。
最初は冬も止めた。だいたい、紅の家ならフランス旅行くらい自前でいくらでも行ける。だけどそんな風に説得しても、「修学旅行で行くことにこそ意義があると思います」の一点張り。
旅費の差額も、プランの見直しも全て虎丸家が持つというのである。
おや、と思っているうちに最終的には9割方の生徒が体育館に立て篭もる騒動まで発展し、とうとう教師が白旗を振ることになった。
みんな最後は騒動自体を楽しんでいた節があるが、あの時の紅の笑顔と先生の涙は記憶に新しい。ぶっちゃけ、先生たちも海外の方が良かったと呟いていたものだ。
そこまでなら笑い話だけど、フランスから帰って耳にしたニュースには背筋が凍ったものである。
学校が抑えていた沖縄行きの飛行機が墜落したと言うのだ。
天才的な勘なのか、それとも冬では理解のできない計算が、紅ののほほんとした顔の裏で行われているのかは分からない。
でも冬は、経験則として紅の「ワガママ」を信じている。
「いるったらいるのだ。このわたしが頭を下げているのにしつこいぞ、モブ農民」
「オマエがいつ、どこで頭を下げた。恫喝しかしとらんだろうが」
「ふん、いいのかモブ農民」
思索に耽っているといつの間にか、話はまた脱線している。紅は胸を逸らしてユージンの方を睨みつける。
「わたしは王都で美味しいもん食べたら、モブ農民のことなんて忘れるぞ」
「おう、かまわんかまわん。2度と俺に関わるな」
「きっと王様は楽しそうな演劇とかでもてなすぞ。美人のメイドとかエルフとかお姫様とかが、チヤホヤしまくってくれるんだぞ」
「良かったな、オマエが幸せで俺は嬉しいよ」
余裕を持って受け流すユージンに向かって、紅は会心の笑みを浮かべた。
「そしたらきっと、畑の賠償とかいうさじは真っ先に忘れるな」
「テメエ脅迫じゃねえか!いや、ダメだ。ここで屈服すると、猛烈に不幸な目に遭う気がする」
「フハハハハ、貴様の大切なものを取り戻したければ、我に従ええええ」
「やっぱ魔王だ!」
2人はもう立ち上がって言い争っている。冬はいつの間にか自分が笑っていることに気がついた。いい気分だった。
トントンと叩かれるノックの音が響くまでは。
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