第9話 疲れ果てても眠れぬ夜もたまにはある
家に帰ってからもひと騒動だった。
まずユージンに紅、冬となぜかそのまま居座ったユフィは、簡単な食事(これでも年齢が一桁の頃から自炊しているので、味は満足していただけたようだ)を済ませた。
それから食器を片付ける(まともに手伝ったのは冬だけで、紅とユフィは何やら言い争っていた。途中から乱入してお気に入りの皿を2枚も割りやがった。アイツらなんであんなに仲が悪いんだ)ところまでは、まあ。まだ良かった。
次の揉め事は誰がどこで眠るかである。
「はい!わたしはおまえのベットは臭そうなので嫌です!」
普通に傷つくが、まあこれは良い。
「ベットはふたつだよね。それじゃあ私はこのソファーを貸してもらえるかい?」
「いや、すまないが消去法だ。冬は俺の寝室を使ってくれ」
冬は元から行儀が良い。多少の腹黒さが垣間見える時もあるが、どこぞのバカにはニワトリ小屋で十分でも、ゲストにそんな扱いはできない。
「冬っち、変なキノコとか生えてても食べちゃダメだよ!」
「ふふん、ユージンは綺麗好きなんだ。そんなもんあるかバカ女」
「ツンツン美少女からの罵倒はご褒美です!」
「ぎゃー、抱きつくな!ユージン、こいつ気持ち悪い!」
だから寝室のある二階を女性陣が使い、一階にあるソファーでユージンが眠るのが良いだろう。というわけで。
「ユフィ、おまえ帰れ」
ユージンは飯まで満足そうにたかりやがった幼馴染に告げる。ユフィは紅と組み合ったまま、ユージンを見上げてため息をついた。
「あのなユージン、オマエは変な所で寛容すぎる。他はともかく、コイツはすでにギフトで畑を吹っ飛ばした前科があるんだぞ」
「まあ、そうだな」
「お人好しなユージンに変わって、優秀な幼馴染が一晩監視してやろうと言ってるんじゃないか」
ユフィの言葉には、確かに一理ある。
「だが断る」
「なんでだよ!」
「まず、おまえにソファーを貸すと俺の寝床がなくなる。そしておまえらはすでに、その無駄な取っ組み合いでうちの皿を2枚も割っている。つまり、ゴー・ホームだ」
ドアを指差し宣言しても、ユフィは動かない。
「いいよ、アタシが床で寝る。それか、その。一緒にソファーを使っても良いけど」
「わーい、金髪ロリ美少女の添い寝オプションだ。冬っちも一緒に寝よう!」
「だー、こっち来るな!おまえだって大して変わんない背丈だろう!」
再び紅がユフィに覆いかぶさり、じゃれあいが始まる。団子になった少女たちはゴロゴロと床を転がると、置いてあったリビングの棚にぶつかった。
その衝撃で、ユージンが2週間かけた作りかけのボトルシップが床に落ちる。ガラスの中身の船は、嵐にあったようにバラバラだ。船長、我が船は出港を待たずに遭難しました。
そんな様子を冬は微笑みながら見守っている。もうほんと、全員表に放り出したい。
「わかった、泊まっていいからからやめろ!」
結局白旗を上げたのは、家主であるはずのユージンだった。
それでも、船を破壊した嵐はユージンの家の中にまで吹き荒れる。やれ一緒に風呂に入ろうだの、髪の乾かしあいっこだの。おまけにユージンの部屋の家探しだの。
ヘトヘトになりながらも、やかましい女性陣を2階に押し込めたのは日付も変わってからだ。
ようやく静けさを取り戻した空間で、ユージンは深々とソファーに背を預ける。
思えば、人の気配がある家など久しぶりだ。そう悪い気分ではない。窓から吹き込む夜風に誘われて、ユージンは食器棚からグラスを取り出す。
ボトルを開けて中身を注ぐと、グラスの中で透明な泡が小気味よい音を立てて弾ける。
シードルは、リンゴを使った発泡酒である。まだ試作品だが、出来は悪くない。
「悪いね、お楽しみ中だったかい?」
背後からかけられた声に、ユージンは驚かなかった。別に立派でもない我が家の階段は、2段目と7段目を踏んだ時に軋んで大きな鳴き声を上げる。
ただ、その気配はユフィのものだと思っていた。
「いいや。俺のベットの寝心地は紅の言う通りだったみたいだな」
階段を降りてきたのは冬だった。冬はぽすんと、ユージンの隣に腰を落とした。鼻をくすぐったベルガモットの香りは、ボディソープの匂いだろうか。
「いやいや、むしろ君はよほどの綺麗好きだな。急な来客でも、シーツはいい香りだし部屋も整理されている」
「荷物が少ないだけさ。眠れない理由は他にある、か」
彼女たちの話では、この世界よりもっと安全で、快適な場所に住んでいたのだろう。驚いたのも怖かったのも、受け入れた側だけではないのだ。
ユージンは会話の糸口を探した。残念ながら、いの一番に頭に浮かんだ話題はトラブル娘の話だ。
「ずいぶん信頼しているんだな」
冬は数瞬視線を彷徨わせると、ふふっと小さく笑う。
「紅のことか」
「案内は俺だけで良いなんて、普通は止めるだろ」
「こればっかりは付き合ってみないと納得いかないだろうね。でもあの子はそうやって、みんなを引っ張っる不思議な魅力がある」
「積み重ねてきた信頼と実績ってやつか。長いのか?」
「私はそうだね、高校も一緒だから。でもそんなに時間はかからないんじゃないかな。紅はずいぶん君を気に入っている」
「やめろ、怖気が走るわ」
クスリと笑って、冬は階段に目を向ける。
「あの子はね、本当に主人公みたいな子なんだよ。真っ直ぐで、優しくて。でも可愛い」
「後半二つは同意しかねる。家事を手伝ったのも、家主に気を遣ったのも冬の方だろう。その評価はアンタが受ける方がふさわしいよ」
「どちらかというと、可愛げがないと言われるんだけど」
冬は少しだけ照れたような仕草で俯いて、すぐにまた微笑んだ。
「まあ家事や常識に関しては、多めにみてあげてくれないか。あの子も言っていただろう、良いところのお嬢様なんだ。皿洗いなんて初めてしたんじゃないかな」
きっとメイドや執事がやっているのだろう。ユージンには想像もできない生活だった。
「冬は手慣れていたな」
「私も一人暮らしだから。それにあの子は、あれで本当に色々な才能があってね。年は3つ下だけど、中学をスキップして高校に入っている。いや、私はもうすぐ18になるから4つか。とにかく常識に疎いのはそのせいさ」
「げ、まじでただのアホじゃないのか」
「だから君にバカと呼ばれるのも、新鮮で嬉しいんじゃないかな。たぶん言われたことないと思う、IQが200を超えている人間にバカと言っても自虐にしかならないしね」
「いや、どんだけ頭が良かろうが、行動がバカならそいつはバカだ」
「ふふっ、いい考え方だね。でもあの子を見ていると救われるんだ。私のような消去法で生きてる人間は」
どういう意味かは聞かなかった。彼女が嘘つきを憎む理由にも、関わっているのかもしれないからだ。代わりにユージンはもう一つグラスを用意して、林檎酒を注いで冬の前に置いた。
「美味しい。甘いのにしつこくないね。口の中をスッキリと洗い流してくれるみたいだ」
舐めるようにグラスに口を近づけると、冬は目を丸くして、すぐにもう一度琥珀色の液体を流し込む。
「くっくっ、実は日本では未成年の飲酒は禁じられているから、飲んだのは初めてなんだ」
「え、すまん。こっちじゃ18歳はもう」
肩に重みを感じて、ユージンは言葉を飲み込んだ。慌ててグラスを下げようとした手を引っ込めたのは、右肩に冬の頭が寄りかかっていたからだ。
「悪い男だね、君は」
そんな呟きを最後に、耳元に可愛らしい寝息が聞こえてくるのだった。
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