幕間 綺麗、汚い
その日、牢屋番のマックスは最高に機嫌が良かった。
なんたって今日は、一月で一番楽しい日である。
マックスは自分の仕事が嫌いだ。給料も安いし、夜勤もあって生活が不規則になる。だけど一番の理由は、マックスが綺麗好きだということだ。
牢屋の中は街で二番目に臭くて汚い。そして鉄格子の中に居るのは、もっと臭くて汚い奴らだからだ。
要するに街で一番穢らわしい、犯罪者どもである。
マックスはそんな牢屋の廊下を進む。
「やあ看守さん、今月はコレを頼みたいんだ」
「はいはい、承りました。差し入れられるか確認しておきますね」
鉄格子の隙間から差し出された用紙を受け取って、マックスはペコリと頭を下げる。彼は模範囚だから、毎月の刑務作業の手当で物を買えるのだ。
受け取った紙をポケットに捩じ込んで、マックスは再び歩き始める。
「マックス、手紙はきてないか。今月はちょっと多めに送金しようと思うんだ」
「偉いじゃないか、また確認してみるよ」
この男は飢饉の時に盗みを働いて捕まった。それからわずかな給金を嫁と子供に送っている。なんて素晴らしい心がけだろうか。
マックスの足取りも軽くなる。
ガシャン、とすぐ側の牢が音を立てた。冷たい鉄格子を握りしめた男が、なにか喚いている。
「やい牢屋番、今日は給料の支給日だろうが。だいたいテメエが当番の日は飯が少ねえ」
うるさいなあ。マックスは鉄格子を蹴った。コイツはダメだ。労役もサボるから、ろくに給金も生み出さない。
「ゆ、指があぁぁぁ」なんて、声まで濁って汚いやつらだ。愛しの天使とは大違いだ。
彼女の声はマックスを天国に連れて行ってくれる。彼女は綺麗で、いい匂いがする。綺麗好きのマックスにはぴったりだ。
「ローズが待っている、はやく仕事を終わらせないと」
マックスはうす暗い廊下を進む。はやくはやく。さっさと見回りなんて面倒臭いことを終えて、看守室に戻らなければ。
看守室には天使に会うためのチケットが届いているのだから。
「よお、兄ちゃん。ずいぶん機嫌がいいな。なにかツイてる儲け話でもあったかい?」
最後の部屋の前を通り抜ける時だけは、マックスは顔を決して上げない。ボスに目も合わせるなと、きつく言い含められているからだ。
他の牢より堅牢な作りの、もっとも凶悪な犯罪者のための牢屋だ。分厚い土壁に覆われていて、明かりの差し込む窓さえない狭い空間である。
鉄格子だってない。代わりに重い鉄の扉に小さな受け渡し口がついている。
男は明日にでも、王都のもっと大きな牢に移される予定だった。なんでも手配書の回っている札付きで、みせしめの処刑が行われる予定らしい。
「おいおい、つれないな。話の下手な男はケイトの好みじゃないぜ」
男の言葉は意味がわからなかった。どうせ死刑になるのだから、こんな男にははやく消えて欲しい。何人も殺した凶悪な盗賊が、自分の街の近くで捕まるなんて、ついてない。
足早に通り過ぎるマックスの足取りは、ほとんど小走りになっている。
「おっと、店じゃあローズだったか」
そんなマックスの足が止まった。どうして自分の天使の名前が、この男の口から出るんだ。
「ずいぶんハマっているらしいが、囚人の刑務作業費を抜いて娼館通いなんざ、いい身分だな」
今度は足だけでなく思考も止まる。どうして、それを、知っている。
「可哀想に。あの男に嫁も子供も飢え死にしたって、教えてやれよ」
「なんで」
「お役所仕事は遅くていけねえ。さっさと移送すればいいものを、2ヶ月も同じ街に居りゃあ、馴染みの女くらいできるさ」
その口振りでは、まるで夜な夜なこの街を自由に出歩いていたようではないか。
「あの女は股も口も軽いな」
そんな当たり前の疑問すら、マックスの頭からは吹き飛んだ。
「ボクのローズちゃんを汚したのかああああああああああ」
マックスは激昂し、ガン!!と鉄の扉を殴りつけて中に飛び込んだ。この男を殴り殺してやる。
「いつ出ても良かったんだが、おまえの当番の時が一番楽そうだったんでな。殺してもいいが、おまえの悪事が明るみに出れば騒ぎになる」
牢の中に、男の姿はなかった。代わりに分厚いはずの土壁にポッカリと闇が口を開いている。
「俺の脱獄の対応も、少しは手間取るだろう。アナグマのギラン様は慎重な男でね」
頭に衝撃。視界は暗転。
「さてさて、3000万ガロンの異世界人なんて噂を聞いちゃあ、怠けてばかりも居られねえ」
最後に耳にしたのはそんな言葉で、次に目を覚ました時。マックスはもっとも臭くて汚い奴らの世界に仲間入りしていた。
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