幕間 村長のドキドキクッキング

 クロノ村の村長の名を、バラガスという。


 まだ五十路にも到達していないが、頭には綺麗な更地が広がっている。本人はチャームポイントだと疑わない茹で卵ヘアは(あえて、ヘアと言っておこう)、いじり過ぎると傷つくので毛根同様デリケートに扱ってあげて欲しい。


 バラガスは机に広げた紙にインクを走らせている。もちろん王城に異世界人の発見を知らせる書状をしたためているのだ。


 バラガスには夢があった。


 田舎の村長で一生を終えるのではなく、都会の暮らしに染まりたいのだ。


 バラガスが生まれたのは、もちろんクロノ村である。父親も、そのまた父親も村長だった。


 不自由はなかった。他の家の子より裕福という優越感もあった。


 それでも幼い頃からバラガスは、田舎の小さな農村を心の底では嫌っていたのである。憎んでいたと言ってもいい。


 わずかに広い畑と、それを耕すたったひとりの年老いた小作人。優越感と言っても持っていたのはその程度だ。


 たまに畑に出て、小作人に文句を言う父は20年後の自分の姿。昨年より収穫が減ったと家の中でぶつくさ言う祖父は50年後の自分の姿だと思うと、大した起伏もなく死んでいく自分の未来を突きつけられる。


 それはたまらない気持ちにさせる、絶望に近い光景だ。死ぬまでのモデルケースと最高の到達点がすでに提示されているのだから。


「貴様は村長としての自覚を持て」


 父親にそう言われるたびに、腹の中にはドス黒い感情が渦巻いた。なにを偉そうに。所詮はおまえも片田舎の村でしか胸を張れぬ存在ではないか。


 街に出れば、田舎の村など村長も村人も一緒くただ。要するに土臭い農民でしかない。


「俺はいつか、こんな村を捨てて冒険者になる!」


 そんな風に嘯けたのは幾つの時までだろうか。剣を握っても3日で放り出し、商才など数字をいくら眺めて見てもさっぱりわからない。


 結局近くの村から嫁をもらい、一歩も村から出ることなく今に至っているのだ。


 そんなバラガスにとって、娘のユフィにギフトがあると解ったのはまさに天啓だった。ギフト、なんと甘く切ない響きか。選ばれし者にだけ与えられた天からの贈り物。


 やはり自分は、父親や祖父とは違う。一山いくらの農村のモデルケースのような人生から抜け出せると狂気した。


 しかしその娘が。己の中で唯一の可能性が。


 ユージンというたったひとりのガキのせいで、その未来を棒に振ろうとしている。それは憎悪すら通り越して、生理的な嫌悪に近い。


 バラガスはそもそも、ユージンの祖父が嫌いだった。


 最初にその存在を知ったのは、父親が何気なく語った思い出話からだ。


「俺の幼馴染は若い頃に村を飛び出して、世界中を旅して回っているのだ。たまに手紙だって寄越すんだぞ」


 珍しく、弾んだ声で語る父親が印象的だった。そしてすぐにその話に引き込まれた。手紙の実物も食い入るように読んだ。だってそこには、バラガスが憧れた全てが詰まっていたからだ。


 たぶん父親よりも繰り返し読んだに違いない。


 王都の喧騒、初めての海と潮の香り。獣人の国で兵士に捕まった話。


 そのどれもが胸を掴んだ。


 だけどいつしか、バラガスはその手紙を読み返すことは無くなった。それどころか、父が死んだ日に全て焼き払ったのは、もう自分がそんな夢を追えないと気がついていたからだろう。


 いつしか憧れは苦痛に変わっていた。手紙は努力を諦めた自分を嘲笑う告発文に変わっていたのだ。


 見よ、この突き出た腹を。冒険などもってのほか。畑仕事すら小作人に任せ、鍬すら振れない我が身が、どうして剣と冒険の日々を送れようか。


 だから手紙の主、ユージンの祖父が村に帰ってくると知った時、バラガスは暗い喜びを覚えたものだ。


 すでに父も祖父も死んでいたが、世界を周ろうとも結局この小さな田舎に根を下ろすのだ。ならば己と一緒ではないかと。


 しかしまだ幼児だったユージンと、若いリンゴの苗木を携えた老齢の男を見て、バラガスは身を焦がすような嫉妬を初めて知った。それは手紙を通して覚えた屈辱とは比べものにならぬほど激しかった。


「そうか、あいつも逝ったか」


 父親の墓に手を合わせたユージンの祖父の、なんと格好の良いことか。


 広い世界を見て帰ってきた男は、少しも自分と同じではなかった。


 緑の静かな瞳には深い見識が沈んでいる。それは自分の村すらろくに直視してこなかった農民とは、明らかに異質の存在だ。


 だからバラガスは、徹底的にジジイの反目に回った。


「リンゴの木を植えるなんてダメだ。うちの村の土には芋が合う」だの、「ユージンの親はどこにいる。素性の知れない者は村人が怖がる」だの。


 土壌のことなどなにも知らないし、子供を怖がる村人などいるはずもなかったから、正当性があるかと言われたら黙るしかない。それでもジジイは怒りもせず頭を下げた。


 ジジイが死んだ時は、ホッとしたものだ。


 だけどまだ、ユージンが残っている。


 天涯孤独となったユージンの身の上を悲しみながらも、ユフィはどこか浮ついていたようだ。まだ幼かったユフィは、単純にユージンが家族になると想像して、嬉しかったのだろう。


「ウチが面倒をみることは構わん。だが分は弁えさせねばならんよ」


 ユフィにはそう言ったが、養子にする気などさらさらなかった。小作人に押し付けようと、当時のバラガスは考えていた。泣いて縋りついいてくるならば、住み込みの下働きくらいなら考えてもいい。


 そうすれば、ジジイの残したものは枯れゆくリンゴ畑と、一生を農村から出ることなく終える下働きだけだ。それを眺めるのは、ある種の慰めになるだろう。


 暗い喜びの妄想にバラガスは浸った。


 しかしユージンはどちらの道も拒んだ。


「爺さんの畑を守ります」


 ユージンがそう言いにきた時、バラガスは確信した。その緑の瞳はジジイにそっくりで、どこか遠いところまで見通すような光を湛えている。こいつはやはりあのクソジジイの血縁だ。自分とは違う世界に生きている。


 バラガスはその日から、ユージンのことも大嫌いになった。リンゴ畑の土にこっそり塩を蒔いたりして、徹底的に邪魔をした。


 どうせすぐに泣きついてくる。そう高を括ってもう10年近いが、奴の畑の評判は上がるばかりである。


 ジジイに似た不気味なガキの成功は面白くない。なのにユフィが懐いているのが余計に面憎い。そうこうしている内に、村人までもが祖父の畑を守った感心な若者などと言い出す始末。


「だけど最後に笑うのはこの私だ」


 バラガスはしっかりと、異世界人の発見者が自分であることを強調した手紙を完成させる。それからバラガスは机の上の王都から回ってきた書状を手に取った。


 先ほど全員に見せたものだ。よく見れば、紙の半ばに不自然な線が入っている。途中を切り取って、もう一度貼り付けたからだ。切り取った方の紙は引き出しの中に隠してある。


 王の客である勇者を案内せし者には、謝礼金3000万ガロンを下賜する。


 それが、バラガスが慌てて切り取った部分に書かれていた文言だ。


「ウククク。それだけあれば、王都で新生活を始められる。おまけに王やその賓客とのコネクションを上手く繋げれば、更なる栄達があるかもしれん」


だからこそ、この紙片を見つけられるわけにはいかない。報奨金の事実を秘匿するためには、ユージンを王都に伴うわけにはいかないのである。


 完成した手紙を机の上に残して、バラガスは書斎を出て調理場に向かう。


 家中をひっくり返して、最高級の食材と香辛料を総動員するのだ。酒だってとっておきのワインをキンキンに冷やしてある。


 こう見えてバラガスは料理が好きである。ちなみにエプロン姿の父親を、ユフィが嫌なギャップと愚痴っていることなど露ほども気がついていない。


「さあユフィ、いったい誰を連れて帰るのだね!」


 できるなら、あの虎丸紅子という少女がいい。ギフテッドだというのなら、是非とも恩を売っておきたい相手だ。


 胸を高鳴らせて、バラガスは自分を王都へと運ぶ幸せの青い鳥を待つ。


 待った。


 待ちまくった。


 気がつけばスープに顔を突っ込んで意識を失っていて、バラガスが寝室に向かったのは小鳥が囀り始める早朝だった。

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