第8話 家に帰ろう

 ユージンは基本的に、争いごとが苦手である。


 刃傷沙汰や怒鳴り合いはもちろん、子供の口喧嘩でさえウンザリする。繊細で優しい心の持ち主だと自負しているのだ。


「わたしは人が沢山いる所では寝れないんだよ?」


「悪いけど、私にも当てはまるね。こればっかりは譲れない」


「だからアンタはウチに来いって言ってるだろう!」


 だというのに、村にたどり着いてさっそく揉め事が起こっている。


 胃が痛い。他人の言い争いでも嫌なのに、自分を囲むようにがなられては、小さなハートがズキズキ痛む。


 毛を逆立てて、縄張りを荒らされたボス猫みたいになっているのが紅。それを軽くあしらいながらも、冷たいオーラで対応しているのが冬だ。なぜか一緒にユフィまで熱くなっている。


「おい、落ち着けよ。別に受け入れることはやぶさかじゃないが、それはこっちで選ぶから」


 一行が村に戻って最初にしたことが、今夜の寝床の確保である。


 王都に行くと言っても、すぐに出発できるわけではない。まずは近くの町から早馬を王都に送り、何日か滞在してから出発するのだ。


 20人近い異世界人たちを預かれる大きな屋敷など、ユージンの住むクロノ村には存在しない。必然的に各村人の家に分散する形になるのだが、都合のいいことに彼らの人数と村の家の数はピッタリ同じだったのだ。


 つまり、ひと家庭に1人ずつの計算で、その割り振りで揉めているのが現状である。


 遠慮がちに様子を伺う彼らの中で、最初に動いたのは紅だ。


「モブ農民の家はひとり暮らしなんだろう。だったら部屋がいっぱい余っているはずだ!」


「そりゃあ、爺さんの使ってた部屋はあるが」


「わたしがそこを使ってやる、光栄に思って美少女の汗を吸ったシーツを家宝にするがいい!」


「いや、汚ねえからすぐ洗う。というかオマエを泊める気はない」


 こっちにも客を選ぶ権利があると思います。


 ユージンは噛みつこうとしてくる紅の頭を抑えた。いくら手足をばたつかせようが、こうなってしまっては無力である、ざまあ。


 今度はスルリと、冬がユージンの隣をキープする。


「いくら紅でも譲れない。私は知らない人間のテリトリーがダメなんだ。人は少なければ少ないほどいい」


「いや、冬も泊める気ないよ?」


 そもそも、ユージンの家に争う価値なんてない。王の客を泊めることに難色を示す村人は居ないし、それどころか村長は目を剥いて声をかけていたぐらいなのだ。


 結局王城への知らせを書くとかで、「ユフィ、きちんと我が家にご案内するのだぞ」と言い残して村長は先に帰ったが、特に紅への勧誘はしつこかった。


 ギフトを使ったことで興味をそそられたのか、はたまた自称「勇者」という肩書きに惹かれたのだろうか。


 豪華な食事だの、広いベットだの。紅も最初は村長のセールストークに目を輝かせていた。


 だが話が自慢の村長コレクション(村長は王都の行商人から珍品を買い漁るのが趣味だ)のくだりに入ったところで興味を失い、高価な育毛剤を勧め始めたところで完全に目が死んだ。


 ようやく解放された紅は、その後ろ姿に「あかんべえ」とガキのようなことをしていたくらいだから、さすがに鼻息の荒い中年ハゲ親父に迫られるのは堪えたらしい。


「オマエらだけは絶対ダメだ!ユージン、なんとか言えよ」


 一方で、そんな2人に噛み付いているのがユフィである。こいつも大変だ。きっと村長の期待に応えようと頑張っているのだろう。そんな姿は健気なはずだが、こっちまで睨まれるのは八つ当たりだと思います。


「あ、ああ。とにかく我が家は異性を受け入れるつもりはない。他を当たってくれ」


「そうだ、特にオマエらはユージンに近づくの禁止。なんだよ、出会ったばかりのくせにベタベタと」


「そうだそうだ!だいたい被害者の家に加害者が来るのは謝罪の時だけでよろしい。ん、ベタベタ?」


「うっさいユージン!」


 なんかユフィに怒鳴られた。ひとりぐすんと鼻を啜っていると、冬が静かに宣言する。


「残念だけど、私たち以外全員決まったみたいだね」


「げ」


 確かに冬の言葉通りだった。気がつけばみんなホームステイ先を決めていて、談笑しながら各々の家に散っているではないか。


「「さあ、どっち?」」


 強制的に二択を迫られる形になって、ユージンは狼狽えた。ユフィに至ってはこの世の終わりみたいな顔をしている。


 しかしそんな顔を眺めてユージンは閃いた。解決策はすぐそばにあったのだ。


「えーと、2人ともユフィの家に泊まればいいんじゃないのか。おまえの家なら空き部屋2つくらいあったよな」


 ユフィがものすごい勢いで頷いている。金色の髪がバッサバッサと上下する様は不気味だが、よく考えれば村長の家は我が家より2回りはデカイ。ゲストがひとりふたり増えたくらいで困らないはずだ。


「そうだ、さっさと来い。アタシがたっぷり歓迎してやる!」


「なんだユフィ、こいつら気に入ったのか?」


「殺すぞユージン」


「なんで!?」


 それは八方が丸く収まる提案のはずだった。村長は紅を誘いたそうだったからユフィの顔も立つし、紅も冬も広い家で個室を使える。


「美少女は守備範囲内だけど、あのハゲはやだ」


「偏見がすごい!オマエの未来の旦那だっていつかハゲるかもしれんのだぞ」


「物理的なハゲじゃない、心のハゲだよ」


「いっそうわからん」


 紅のきかん気は理解できたが、意外なことに難色を示したのは冬の方が強かった。


「悪いけれど、私はキミの家に泊まるくらいなら野宿を選ぶ」


 それはゾッとするほど冷たい声だった。


 その後の「嘘つきは嫌いなんだ」、という小さな呟きは、ユフィには聞こえていない。たぶん意図的に抑えたのだろう。むしろユージンが聞き取れてしまったのが、彼女にとってはイレギュラーに違いない。


 その声が泣き出しそうなものに聞こえて、ユージンは深々とため息をついた。


「わかったわかった、俺の家を使っていい。2階はアンタらが使って、俺は一階のソファーで寝る」


「はやく行こう!一回やってみたかったのだ、村人の家の壺を割って回るやつ!」


「オマエ本当に頭おかしいだろ!」


「箪笥に小さなコインはちゃんと用意してありますか!」


「はあ?つーか俺の家はそっちじゃねえ!」


 元気いっぱい走り出した紅を見送って、ユージンは冬に手を差し出した。


「まあ、狭いがくつろいでくれ」


「すまない。いや、ありがとう」


 泣き笑いのような顔を浮かべる彼女を伴って、ユージンはゆっくりと歩き始める。なぜだか眉を吊り上げたユフィまで伴って、ユージンはようやく異常な1日から、愛しの我が家へ生還するのだった。

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