第6話 人生はストレートが分かり易い
ボロ雑巾のようになっているユージンに近づいてきたのは、冬だけだった。
他の面々は紅の元にわっと駆け出し、その功績を口々に讃えている。確かに結果として、マッドモンキーは勇者の会心の一撃で追い払われたと言えなくもない。
まあ。ユージンでも、勇者が隣の仲間にいきなりイオナズン唱えたら、びびって逃げると思う。威力よりも、その狂った倫理観に。
スッキリした表情で「いっぱい出た!」とかのたまう紅は、なにか大切なものを元の世界に置き忘れたに違いない。
「すまないね。あの子の相手は疲れるだろう、エネルギーが有り余っているんだ」
頭のすぐ側にしゃがんだ冬の足首は、抜けるような白さだった。
「この惨状をエネルギーで片付けられるとか、日本ってのはそうとう危険な場所なんだな」
「そうでもないさ。ただ私は詐欺にはひっかりたくなくてね。紅がああだから、自然と疑り深くなる」
冬はうつ伏せで倒れ伏したままのユージンの背中の傷を、しなやかな指でなぞった。指先は触れていないのに、ヒヤリとした感触があって、傷の痛みが和らいだ気がする。
「泥がついているね」
「マッドモンキーの異能さ。汗腺から分泌される泥をまとっているから、手だけあんなにデカいんだ」
「固まるとかなり硬いな」
「鉄のハンマーを振り回しているようなもんさ」
「すまなかった。謝るよ」
唐突な冬の謝罪の真意がわからずぼうっとしていると、初めて冬はリラックスした笑顔を見せた。それは先刻までのシニカルな笑みではなく、年頃の少女の微笑みだ。
「まあ要するに、キミのことは信用して良さそうだ」
差し出された白い手を握って、ユージンは痛む体を引き起こす。
「気にするな、とは言えん。でも俺だってあんたが悪人だとは思ってないさ」
禍福は糾える縄のようなものだという。
要するに幸運と不幸はコインの面裏のようなもので、一見悪いことのように思えても、案外それに救われることもあるってことだ。
だけどユージンの人生では、不幸は真っ直ぐ不幸だった。
最初に経験した大きな不幸は、爺さんの死だろう。
十にも満たない年齢で、ユージンは天外孤独の身の上になった。
けれどユージンは己の不幸を殊更に嘆くことはしなかった。
むしろ祖父の遺したリンゴ畑のおかげで飢えることもなく、何くれとなく気に掛けてくれる幼馴染がいるのは、幸運だとすら思った。
確かに畑を吹っ飛ばされ、変態の謗りを受けて。おまけに自分も吹っ飛ばされれば、さすがにこう、くるものがある。
それでもいつか、この数奇な出会いを思い返した時に笑えるのだろうか。
「にゃはははは、感謝しろモブ農民。勇者の大勝利だね!」
「笑えねえ!」
スッキリした表情でのたまう紅の後頭部に、ユージンは華麗なモンゴリアンチョップをかました。全身がバラバラになりそうなほど痛むが、思わず条件反射でツッコんでしまう己の気質が恨めしい。
「なにするんだよモブ農民!」
「こっちのセリフじゃバカタレ。はしゃぐにしたってそれなりの配慮があるだろう。こちとら死にかけたんだぞ」
「死にかけた?」
信じ難いことに、紅は首を捻って考え込み始めた。どうやらこいつの中ではギフトを使った結果、マッドモンキーが逃げ出したという部分のみが抽出されているらしい。
「オマエは2度と勇者を呼称するな。世界中の勇者の出てくる創作物を燃やしてまわりたくなる」
「だったらわたしの伝記で上書きします!」
「被害報告書と請求書の山のことだな」
チッチッチ、と舌を鳴らして指を振ったあと、紅は恍惚とした表情を浮かべる。口の端からじゅるりと涎が垂れているあたり、かなり重症である。
「子供たち用の絵本にもなるんだ」
「有害図書じゃねえか!」
「みんなの憧れ、わたし!」
紅チルドレンが巷に溢れる光景を想像して、ユージンは震え上がった。そんな国に未来はない。でもなぜか、国民は全員幸せそうに笑っている気もする。
「紅様、リンゴのタルトをお持ちしました」
「うむ、苦しゅうない。それはどんな食べ物じゃ」
「はい、とっても美味しかったです!」
「わたしのオヤツを食ったな、おまえ」
ダメだ、やっぱり絶滅する。
紅国王と紅大臣が取っ組み合いを始めたところまで想像して、なんだかユージンまで笑えてきた。
「はははは、おまえはポジティブお化けだな」
すると紅は「なんだとう、やるかこのやろう」と、腕をクロスするような構えをとった。ニホン人ってのはみんな好戦的な民族なのだろうか。だけど、どちらかというと、物事を悪く考えがちな自分にとっては褒め言葉だ。
伝わる必要もないので弁解もせずに、ユージンが言葉を続けようとした時だった。
「無事かユージン!」
開口一番叫んで、弾丸のような勢いのユフィが飛びついて来た。
ユフィはペタペタと顔や腕を触りながら捲し立てる。よほど全力で走ってきたのだろう。瞳も頬も真っ赤に染まっている。
「おお、腕はちゃんとついてるな。足も擦り傷くらいで立てている。顔は……可哀想に、仇は取ってやるからな!」
「顔面は一ミリも変わっとらんわ!」
どうやらまだ錯乱しているユフィは、異世界人の集団を睨みつけた。当然ユージンのもっとも近くにいた紅と冬が、その視線をまともに浴びることになる。
けれどふたりに、少なくとも紅に動じた様子はなさそうだ。
「冬っち、金髪ロリ美少女が変態に襲われてる!」
「心配しているみたいだし、友達じゃないの?」
「よく考えて冬っち。こんなに顔面偏差値の違う友情が成立するはずない。変態の心の中に劣情が見えます!」
コイツは喋れば喋るほど品性を落っことしていくのな。ユフィも、「ゆ、ゆうーじん。おおおお、おまえ」じゃねえよ。
ユージンはほっと一息ついた。異世界人たちをかばって、ユフィの連れてきてくれた村人たちに向き直る。
鍬や鋤はまだしも、鍋に箒にフライパン。みんな得体の知れない闖入者に備えたのだろうが、威圧的というよりこれから炊き出しでもするような光景だ。
その中心にはユフィの父親である、村長が立っている。
「みんな武器を下ろしてくれ。とりあえず、この子たちに危険はないよ」
しかし返ってきたのは予想外の反応だった。
「その方々から離れろユージン。おまえは引っ込んで居ればええ」
剣呑な瞳をユージンに向けると、村長はユージンの体を押し退ける。そして慇懃な態度で彼らの前に跪く。
「よくぞ我らの村においで下さいました。どうぞ後のことはこのバラガスにお任せください」
驚いたのは異世界人ばかりではない。見ればユフィは苦々しげな顔で父親の行動を見守っている。
「おいユフィ、どういうことだ。いつもの親父さんならさっさと追い出そうとすすると思ったんだが」
ユフィの父親は人に頭を下げるのが嫌いな人だ。特に余所者に向ける目は厳しい。なのに今は満面の笑みが広がっている。
村の出身だが長い旅に出て戻ったユージンの爺さんとも、そのせいで度々揉めていた。爺さんがリンゴ畑を始める時も、村で育てている野菜と違うからという謎の理屈で反対していたくらいだ。
「アレのせいだよ」
ユフィが顎で示した先では、村長は片膝をついたまま懐から一枚の紙切れを取り出している。
「こちらに王から国中に出された御触れがございます。あなた方の身なりによく似た特徴が書かれているでしょう」
「なるほど、スマホのことまで書いてあるね」
「そうでしょうとも!あなた方は王に招かれた客人なのです。発見したものは即座に王都に知らせを出し、丁重に送り届けるように書かれてあります」
王に招かれた客人。要するに国賓だ。村長の慇懃な態度の理由がわかった。
両手を広げて大仰に叫んだ村長に驚いて、書状を覗き込んでいた冬は飛び退いた。その口元が、「どこまでもお約束だね」と呟く。
下にも置かない待遇に、紅の方は満足げに胸を反り返らせている。なんちゅう単純な奴だろうか。
「むふふ、さすが村長だな。モブ農民とは理解度が違うぞ」
「出立の準備が整うまで、我が村でお休みください。おいおまえたち、皆様のお荷物を持たないか」
そう言うと、村長は後ろの村人を振り返った。確かに中にはリュックや鞄を背負っている者もいるが、彼らの中に赤の他人に荷物を渡そうとするものは居ない。
大人に急に慇懃な扱いを受けて戸惑っているのもあるだろうが、身一つで来た彼らにとっては、唯一にして全ての財産が詰まった大事なものなのだ。おいそれと初対面の他人に預けるのも不安だろう。
「荷物もいいけど早く帰ろう。とにかく今日はくたびれたよ」
角が立たないように、ユージンはおどけて言って、率先して一行の前を歩き出す。しかし村長はジロリとユージンを一瞥すると、どんと胸を突いた。
「黙らっしゃい。ことはもう、おまえのような孤児の領分を超えておる」
辛辣な言葉だ。それでもユージンは、ユフィの父親だけに強い言葉は言い返さない。確かに国が関わるような事案なら、ユージンのような普通の農民の出番はこれで終わりなのだろう。
それに事あるごとに向けられるそっけない態度には、すっかり慣れてしまっている。
「ちょっと待ってよ、ハゲちゃびんおじさん。そのモブ農民は関係おおありだよ」
「紅、おまえ……」
しかし紅はそんなユージンと村長の間に立つと、両手を開いて立ち塞がった。ユージンは驚いた、まさか紅がユージンを擁護するとは思っていなかったのだ。
紅はユージンを指差して、高々と宣言する。
「コイツ、あたしの事殴ったんだもん!」
「紅っ、てめえ!」
そしてやっぱり擁護する気はさらさらなかった。村長の凍える瞳がユージンを貫いた。
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