第3話 はしゃぐ前に謝れ

 喧々囂々、再び畑は狂騒にまみれている。


「異世界転移とか、絶対にチート持ちじゃん!」


「俺、ハーレム作るんだ」


「鏡見てから言いなさいよ」


「いや待て、こういうのは意外と地味なやつがハネるんだ」


「家に帰れなかったらヤバいじゃん」


 衆人は口々に喋り出し、場は収拾のつかない喧騒へと突入する。


 あまりの勢いに、ユージンはわけもわからないままその場に立ち尽くすことしかできない。喧騒がぴたりと止んだのは、誰が言ったかも分からない小さな呟きだった。



「誰が勇者かな」



 水を打ったように静まった後で、居合わせた大半の人間の視線がひとりの少女に集まる。


 信じ難いことに、そいつはその視線を堂々と胸を張って受け止めていやがった。



「わたしだあああああああああああああ!!」



 叫んだ紅の瞳には、得体の知れない力強さが宿っている。


 ガバリと冬に抱きつくと、その場でぴょぴょん跳ね回る。


「異世界だよ冬っち。これはもう主人公は超絶美少女のわたしに決まりだよね!」


 ユージンからすれば、ちちんぷいぷいぽけぽっぽーだ。要するに微塵も理解ができない。


「ちょっと待て、どうしていきなり『この中に勇者が居る!』なんてぶっ飛んだ話が出てくるんだよ」


「悪いね、こっちの世界のお約束の話なんだよ」


 混乱するユージンが冬から聞かされたのは、とんでもない世界の話だった。


 彼らが日本という国で学生をしていたこと。先ほどまで塾の夏期講習で教室に集まっていたこと。鉄の板はスマートフォンという、通信機器であること。


 どれも信じ難い話で、知らない固有名詞の洪水に頭が痛くなる。


 それと同時に、彼らにとってもこの場に現れたのはイレギュラーな事態で、無差別に破壊を楽しむ輩でないことも理解できた。


 そうなると難しいのは、畑の損害をどうするかという問題だ。


 こちとら農民とはいえ自営業である。他人の畑を手伝う小作人なら補償もあろうが、ユージンは小さいながらも一国一城の主だ。


 要するに、このままでは今年の収入がなくなる。


 ユージンの最大目標はこの瞬間、怪しげな集団から村を守ることから、自分の冬を越す糧を確保することに切り替わった。この辺の逞しさが庶民の知恵である。


ユージンと冬の打算的な瞳が交錯して火花が散る。


「お互い災難だったってことだね」


冬の先制攻撃。うちに責任はありません、だ。


「故意でなくても過失は過失だよな?」


ユージンのカウンター、どんな世界でも文明社会なら共通するモラル。


「さあ、異世界の通念はまだわからないかな。だって私たちは身一つで来たばかりだから」


強烈なボディブロー。ない袖は振れません。まずい、それは本当にどうしようもない。


「出世払いか労働か、若いうちの苦労は買ってでもしろっていうらしいぜ」


「悪いけど、そういうのは年号が二つほど前の価値観なんだ」


冬は手強い相手だった。お互いの顔に好敵手を認める笑顔が浮かぶ。しかし紅にとっては、もっと大切なことがあったらしい。


「私を置いてけぼりにするなモブ農民、勇者様なるぞ」


ユージンと冬の水面下での思惑など全く気がつかず、向こう脛をつま先でガンガン蹴ってくる。地味に痛いので仕方なく、ユージンは視線を下げた。


「1億歩譲ってこの中に勇者が居たとしよう」


 真っ直ぐに腕を伸ばして、浮かれるバカを指差す。


「どう考えてもコレだけはないだろ」


 ガブリ。紅がユージンの指に噛み付いた。


「痛え!しかも汚ねえ!」


「うふはいこのハゲ!モブ農民如きがわたひを指差すな」


 ユージンは腕を振って引き離そうとするが、しつこい紅の歯がそのたびに食い込む。その顔は勇者の威厳とは程遠く、よく見積もっても「なかまに なりたそうに こちらをみている」モンスターだ。


「アンタら正気か?どう考えたってコイツだけはダメだろ。まだしも冬の方がしっくりくるわ」


「ワタシは柄じゃないよ。紅はこう見えて人気はあるし優秀なんだ」


「……優秀?」


 ユージンはぶら下がる珍妙な生き物を見下ろしたあと、冬の顔をまじまじと見つめた。冗談を言っている顔じゃないのが恐ろしい。


「そのままの意味さ。成績もトップだし、部活じゃ全国まで行ってる」


 言葉を失うユージンに、紅は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「フハハハハ、わたしの才能にひれ伏せ愚民」


「そのセリフもう魔王!」


「おまけに実家は金持ちで、美少女に生まれました」


「自分で言いやがった、一瞬でもおまえを可愛いと認識した眼球を新しいのに取り替えてえ!」


 ちゅぽんと、指から紅の口が離れた。


「お、おう。わたしは可愛いだろう」


 その頬はほんのり朱に染まっている。妙な沈黙が生まれてしまう。ユージンは気恥ずかしさを振り払うために、コホンとひとつ咳をついた。


「失言だ、それより口の周りが涎でベタベタで、危ない薬をキメた人みたいになっているぞ」


 ガブリ。ハンカチを差し出してやったのに、また噛まれた。


「乙女心をもてはそぶな変態!」


「やかましい、大した根拠もなく自分から勇者を名乗るような輩は、ちょっとアレな狂人じゃ。むしろシラフの方が怖いわ!」


「根拠ならあるもん!空から落ちる時、夢中で腕をバタバタさせてたらビームでた!」


 ユージンの脳みそが凍りついた。そんなことはお構いなしに、紅は勝者の笑みを浮かべている。


「あれがギフトってやつだよね。一番最初に力に目覚めたとか、フラグじゃん」


 地面を蹴った。飛んだ。両足を揃えた。


「やっぱおまえじゃねえか!」


 たぶん、人生で一番綺麗に決まったドロップキックだったと思う。


 紅は「ぶヒャああああ」という珍妙な鳴き声をあげながら綺麗に飛んだ。相手がギフト持ちだとか、その後の反撃による命の危機とかは頭になかった。


 後先考えなくてもいいのが、地位も財産もない農民の良いところだと思います。


「し、信じらんない。蹴った、この美少女に悪役レスラーばりのドロップキックをかました!」


「俺は男も女も、その真ん中の人も平等に扱う主義だ」


「わたしは男も女も可愛いモノが優遇される社会の実現を目指します!つまりわたしには優しくしろ!」


「おまえ絶対に権力持つなよ」


「やだ。わたしの将来の夢は女性初の総理大臣だ」


 紅はそう言って跳ね起きると、ユージンに掌を向けて右腕を突き出した。ユージンの背中に冷たい汗が吹き出す。


「ま、待て。それは洒落にならんぞ。人肉の肥料で育ったリンゴなど誰も食いたがらん」


 畑を吹き飛ばしたギフトなどまともに食らえば、ユージンの体くらい簡単にバラバラになるだろう。


 救いを求めて視線をさまよわせると、「いや、そこは自分の身体を心配しなよ」なんて、冷静に言っている冬と目が合う。その口元に楽しげな笑みが浮かんでいるのは、気のせいであって欲しい。


「冬っち、たぶんコイツ魔王の手先だよね?」


 紅も冬を横目でみて呟いた。その瞳は完全にイッちゃっている。もはや最後の望みはこの場で唯一話の通じそうな、冬の存在だけである。


「うーん、まあ。畑の賠償も面倒だもんねえ」


 コイツも地雷だった!ユージンは覚悟を決めて足に力を込める。ビームって避けれるもんなのだろうか。


「死ねええええええええええええ!」


「ぜったい勇者のセリフじゃねええええええええ!」


 ふたりの叫びがハモった瞬間、ユージンは渾身の力でダイブした。もうやけっぱちである。


 ビームの行き先など確認する余裕もない。


 地面に倒れ伏すこと、数秒。


「あれ?」


 静寂が流れる。もうギフトは放たれたのだろうか。追撃が怖いので、恐る恐る顔をあげる。


 そこには顔を真っ赤にしてうんうん唸る紅と、その腕を掴んで空に向けさせている冬の姿があった。


 紅の手のひらからヒョロヒョロと元気のない小さな球が打ち上がり、真夏の青空にポヒョンと情けない音を立てて溶けていく。同じくらい情けない紅の声が漏れ聞こえてくる。


「うう、いっぱいでない」


 ユージンは寒々しい空気の中で立ち上がり、身体についた土を払う。そのまま妙に艶かしく身体をくねらせる紅の元へと歩み寄る。


「そういうのは人に向けちゃいけません!」


 亜麻色の頭をスパンとはたくと、今度こそ、景気の良い音が青空に響いた。

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