第2話 異世界転移

ベシャリ、という音とともに、頭の上から液体が流れてくる。それは無惨に潰れたリンゴの汁であった。リンゴ果汁はユージンの瞳に流れ込み、透明な涙と混ざりあう。


 同時にその涙は、真っ白になった意識を現実の世界に引き戻した。


「絶対に許さん」


 畑を破壊した集団を睨みつけて立ち上がる。ユフィが腕にしがみついているのを引きずりながら、足を踏み出す。


「待て待てユージン。あいつら絶対にギフト持ちだって。空から降ってきて畑を吹き飛ばしたんだぞ」


「うん」


「うんじゃなくて、まずは村に帰ってみんなに知らせよう」


「うん」


「絶対に殺傷能力のあるギフテッドだって!」


 もはや叫ぶように言うユフィの頭に乗ったリンゴの皮を、ユージンは優しく払う。ユフィの言葉は正論だ。だからこそ、謎の集団から目を離すわけにはいかない。


「なあユフィ、オマエが言ったんじゃないか。あいつら畑を吹っ飛ばしたんだぞ?」


「そうだ、だから逃げような」


 小猿のようにしがみつくユフィに向かって、ユージンは優しい慈母のような笑みを浮かべてやる。


「そ、そうか。わかってくれたんだな」


「オマエ、村カエル。オレ、アイツラコロース」


「い、いかん。ぜんぜんわかってない。落ち着けユージン、ハウス、ハウス!」


 この場合、犬の躾のようにハウスを連呼するユフィも、正気ではない。しかしユージンにはユージンの理屈がある。


「俺は正気だユフィ。下手すりゃあおまえや村の誰かが、潰れたリンゴみたいになってたんだぞ」


 ユージンとユフィが畑の中心にもう少し近ければ、例の光に当たっていたかもしれない。もしも晴れていて、村人たちが畑に出ていれば。


 そんな危険な存在を野放しにするわけにはいかない。


家の中にGが出た時だって、おぞましいけど目を離した隙に居なくなった時の方が怖い。だってどこかには潜んでいるんだもの、寝れないよね。


 ユージンの言葉で、ユフィは弾かれたように顔を上げた。すぐに立ち上がり、村に向かって駆け出す。


「くっそ、無茶するなよ。すぐに親父を連れてくる」


 その後ろ姿を見送って、ユージンは謎の集団に向き合った。


 奇妙奇天烈な連中だ。複雑な形状の靴や、派手な彩色の施された服は王都の流行りなのだろうか。ほとんどの者が、鉄の板のようなものを耳に押し当てたり、空にかざしたりしている。


 その光景は辺境の奇祭に見えなくもない。しかし無機物に向かって独り言を呟く様は不気味である。「モシモシ」のあとに一様に「出ない!」とは、悪魔でも召喚しようとしているのか。捕獲したい悪魔の名はワイファイというらしい。


「なんて禍々しい響きだ、悪魔ワイファイ」


 たぶん、欲しい時に限ってなかなか捕まらない困ったやつなのだろう。


 ハッキリ言って怖い。ものすごく怖いが、一年分の収穫をおじゃんにされて、黙っていることもできない。ユージンはなけなしの勇気を振り絞る。


「おい、アンタら。いったいどういう了見で人の畑を吹っ飛ばしてくれたんだ!」


 膝は震え、頭には潰れたリンゴが乗っているという情けない姿だ。それでも、ユージンは恐ろしいギフテッドの群れに立ち向かった。


「畑ってなに、わたしたちさっきまで教室に……うわっ、ここどこ?」


 するとひとりの少女が、ユージンの声に反応して振り返った。腰まで伸びた亜麻色の髪には、軽くウェーブがかかっている。こんな状況でなければ、目を見張るような美少女だった。


 少女は無遠慮な視線を向けてこちらを観察してくる。


 腰が引けているとはいえ、ユージンの振る舞いは大切な畑と村人を守るために立ち上がった、勇敢な農民の姿のはずだった。 


 しかし同時に、眼前で驚いている少女にとってはリンゴの皮を帽子がわりにしている奇人でもあった。


 つま先からジロジロと見つめて、視線が果汁でベタベタになった頭にたどり着いた瞬間、少女は友人に向かって叫んだ。


「冬っち、やべえヤツが居る!たぶん野菜に性的興奮を覚えるタイプの変態だ!」


「そんな特殊性癖ねえよ!」


 ひどい言い草だ。そんな超弩級の変態は地上から抹殺するべきだろう。誤解を解くために、ユージンは頭に乗ったへしゃげたリンゴを地面にそっと下ろした。


 その優しい手つきを、少女が慄きながら見つめている。


「やっぱそうじゃん。お姫様をベットに運ぶ王子並みの気遣いじゃん、キモっ!」


「アホか、これは俺の育てた畑のリンゴなんだよ!」


 いわば愛娘である。


「これを畑と呼ぶなら、スムージー屋のゴミ箱の中は南国フルーツパラダイスだね」


 少女の疑惑の目はいっそう深まった。


 ユージンがリンゴを横たえた地面はデコボコで、草一つ生えていない。それどころか、ぐしゃぐしゃになったリンゴが土にまみれて輝きを失い散乱している。


 悲しいかな、少女の言葉は正しかった。原型を知らない者の目には、生ごみをぶちまけた空き地にしか見えないだろう。


「ていうか汚ないなあ。きみの土地なら掃除くらいしなよ」


「ちくしょう!どう転んでも正しさが証明できない!」


 何が悲しゅうて、爆破犯に必死の弁明をせねばならんのか。


 ユージンを一時的にでも救ったのは、横合いからスラリと伸びてきた白い手だった。亜麻色の髪の少女の襟首を掴んで引き戻すと、声の主はさりげない仕草で両者の間に割り込んだ。


「はいはい紅子。アンタはまず人の話を聞くことから始めなさいって、いつも言っているだろう」


 声の主が冬っちだろうか、悪魔召喚に加担していない数少ない人物である。小顔に長身で、王国では珍しい黒髪のショートカット。冷涼な目元は中性的な美しさを湛えている。


「ごめんねお兄さん。アンタの言い分をそのまま信じるわけにはいかないけど、とりあえずお話しましょうか」


 ようやく話が通じる相手が現れて、ユージンの口から安堵のため息が漏れた。


「冬っちどいて、その変態を殺せない!」


 紅子と呼ばれた少女は、いまだにもがいて頬を膨らませている。コイツの方がよっぽどやべえヤツだと思う。


 代わりに冬っちとやらに向かって話しかける。それがなおさら気に入らないのか、「冬っち、変態と話すと危ないよ?変態は感染るんだよ?」とむくれる紅子を、ユージンは心の中の地雷リストにそっとつけ加えた。


「俺はユージン。この畑……だった場所の持ち主だ」


「こっちの人の話を聞かないのが虎丸紅子で、私は霜田冬だ」


「トラマルとソータか」


 2人の名は、ユージンの耳には聞き馴染みのない響きだった。異国風の音は発音が難しい。


「ソータじゃ男みたいだな。私は冬でいいよ。なんなら冬っちでも構わない」


「こんな形でも女でね」と、冬は鈴の音のような小さな笑い声を立てた。さすがに犯人と親しくなるつもりはないが、フユの方が発音しやすい。


「苗字は可愛くないから、わたしも紅でいい」


「仕方なくだから」と、紅は猛獣のような唸り声を上げた。犯人じゃなくても親しくなりたくないが、コウの方が呼び捨てにしやすい。


「なんか今ムカついた!」


「なんにも言ってないだろう、コウ」


「冬っち、コイツやっぱり悪いヤツだ!なんか言い方にいやらしさを感じます!」


 紅は案外いいところをついている。いやらしさではないが、「コウ」という名前には愛着があるのだ。


「すまん、不幸な偶然の一致なんだ」


「コウ」はユージンが昔飼っていたニワトリと同じ名前だった。そういえばあいつも、昼も夜もなく「コケッコッコー」と叫ぶやかましい奴だった。


 しかしなにを勘違いしたか、紅は胸を逸らして鼻の穴を広げた。本人に自覚はないようだが、せっかくの美少女が残念なファニーフェイスになっている。


「さてはオマエ、わたしのこと好きか?」


「いや、おまえの好感度はニワトリ以下だな」


「なんで!?」


 紅に関わっていると話が進まないので、ユージンは無視して冬にこちらの認識を伝えることにした。黙って聞いていた冬の周りには、いつの間にか他の子供たちも集まっている。


「王国に、ギフトか」


 聴き終えた冬は噛み締めるように呟いた。いちいち噛みついてきた紅も、話がギフトのくだりに入った辺りから大人しく聴いている。


「それってさ、ユニークギフトとかもある?超強力なやつ」


一通り話し終えると、紅が珍しくしおらしい態度で尋ねてくる。


「そんなもんは騎士団長とか、超一流の冒険者くらいしか持っとらんが、固有のギフトという意味なら、ある」


 そしてとうとう紅は震え出した。


「まさか、ここって……」


 その変化は紅だけでなく、他の少年少女たちにも同時に起こる。冬だけは眉を上げて口を引き結んでいるが、彼らは示し合わせたように叫んだ。


「「「「「「異世界いいぃぃぃぃぃ!?」」」」」」


 これが、いずれ勇者と呼ばれる傍迷惑な異世界人と、哀れな農民の初めての邂逅であった。

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