第54話

「ふうん、あいつまだカードゲームやってんだ」おしぼりを手にミサキが笑う。


「そうなんですよ。僕も詳しくはないんですけどね」


 智大はそれとなく視線を上げた。彼女は髪を団子にくくっているので、長さがわかりづらい。


 今日は、恋愛相談を建前にミサキと会っていた。最初は普段通りぼうぼう広場で話す予定だったのだが、今にも振り出しそうな空模様だったので、急遽ミサキおすすめのカフェで雑談することになった。

 バス停近くのこの店はいわゆる昭和レトロな雰囲気だ。カフェと居酒屋を足して割ったような内装で、客の少なさからして夜に賑わうタイプの店らしい。


 ミサキはメニュー表の最後のほうにあった「揚げポテトカマンベールチーズ餅」とやらを口に運んだ。


「んひょー、これこれぇ!」

「好きなんですか?」

「これ食うためにこの店来てるようなもんだよ」

「そうなんですね」


 その感覚は理解し難かった。智大は適当に頼んだパスタをすすった。


「で、浦本君。恋愛相談っちゅうのは具体的に?」

「どこから話しましょうか。僕、黒塚さんに告白されたんです」

「ほうほうアカリンに」


「あの……」智大はコップの水を飲んだ。脳内で言葉を選択し、最初の疑問をミサキに向けた。「黒塚さんとは仲がよろしいのでしょうか? あだ名でお呼びしているみたいですけど」


「マブダチ! ……だとあたしが一方的に思ってるだけ。アカリンがどう思ってるかは知らん」

「そう、ですか」


 コメントしづらい関係性だ。


「知ってることとしては、アカリンが君のこと好きってこと。あと近々コクるって話をちょっと前に聞いたくらいかねぇ。なんも知らんもんだと思って話してくれたら助かる」


「わかりました」智大は続ける。「それで、黒塚さんに返事をしなければならないんですけど、自分の気持ちがわからないんです」


「返事は待ってもらってる感じ?」

「はい。待たせたくはないのですが、適当な返事をするわけにはいきません」


 ミサキは揚げなんたらを箸で掴んだまま、探るようにじっと目を見つめてきた。何か変なことを言っただろうか、やはり待たせるのはよくないのだろうか、などと考えを巡らせる。


「完璧主義」ミサキは呟いた。


「……ん?」

「一切の妥協を許さず、百点のみを自分に求め続ける。君ってそういうタイプっしょ」

「よくわかりますね」

「天才だもの」


 ドヤ顔で言い、止まっていた箸がようやく動いた。


「それがどうかされたのですか?」

「どれだけ足掻いても、完璧な答えなんてこの世の中にはないよ」

「はい」

「だからまずは、白か黒かの二極化で答えを出そうとするのをやめな」

「答えははいかいいえしかない気がしますけど」

「そいつは結果の話。好きだから付き合う、とか、好きになれるかもしれないから付き合う、とか、一言で付き合うっつっても色々あんのよ」


 腑に落ちなかった。付き合うなら好きだし、付き合わないなら好きではない。細かく区分するよりも単純明快だろう。

 でも、それだと僕の気持ちは――悩む少年を見かねて、ミサキは頬をつっつく。


「そういうとこだよ」と。


「じゃあ方向性を変えてみようか」

「方向性?」

「相談相手にあたしを選んだ理由を聞かせてちょ。同年代の知り合いを差し置いてまであたしを選ぶのには根拠があるんじゃないのん」


 そう言ってえくぼを作るのを見て、智大はまたもや考え込む。

 恋愛相談はミサキを知るための建前である。裏を返せば建前として成立する話題なのだということ。変装の是非は無論明かすものだとして、あわよくば告白の答えも見つけられれば、と思っているのは事実だった。


 『朱璃への気持ち』と『羽根田ミサキ』。無関係なようで、その実二つは繋がっている。少なくとも智大の心のどこかでは。だから無意識のうちにミサキを選んだのだった。ミサキに相談するのが最良であるとから。


「ミサキさんは黒塚さんと協力して、僕に便箋を渡しました。あの変装は僕に会うための対価という話でしたね」

「そだよん」

「ずっと違和感があったんです、なぜ変装が対価なのか」

「事実としてあたしは協力に応じた。前にも話したと思うけど」

「ええ、ミサキさんは確かに協力しました。具体的な内容まではわかりませんが」


 ミサキと向き合い、考えを言葉にしてみることで、違和感の正体を捉えつつあった。


「ようやくわかりました」

「何が?」

「貴女が変装したことに違和感があるわけではなかった。変装を持ちかけた黒塚さんに違和感があったんです」

「へえ」


 ミサキは箸を置くと、木製のテーブルに肘をついて顔を近づけた。細めた目は興味に輝いているようだった。


「麻耶さんにお会いしたがらないことを知っているであろう黒塚さんが、マンション近くでの変装をミサキさんに持ちかけるとは思えません」

「なんで、そう思うわけ?」


 優しく訊かれ、智大は一呼吸置いてから言ったのだった。


「――『大切な人を驚かせ、笑顔にする』。黒塚さんはいつも……周囲の幸せを望んでいました。変装計画は彼女の信念に反しているんです」


 それを聞いたミサキは、嬉しそうに笑っていた。


「……信じてんだね、朱璃のこと」

「はい」


 智大も満面の笑みを返した。

 とても不思議なことなのだが、朱璃が語ってくれたあの矜持は理屈なしに信じられた。だからこそ思うのだ、変装計画は彼女の嘘であると。


「だから」


 変な接続詞だと思いながら、智大は告げた。


「だからミサキさん、髪を解いていただけませんか」


 一見して脈絡を感じられない発言に、ミサキは大きく頷いたのだった。


 でもさ、と、思い出したように背筋を正す。


「そうまでしてあたしのことを知りたい理由は何かな」

「理由、ですか」

「麻耶の味方で在るという義務感? それとも、知らないことが許せないから?」


 それは、恋愛相談の終着点だった。


 智大は眉をひそめる。自身の細かい感情なんて知ったこっちゃないが、朱璃を知りたいという純然たる感情は、確かに脈動していた。事実朱璃は手の込んだ変装計画を実行したのだ。タネにミサキを仕込んでまで実行するのにはきっと意味があり、それはおそらく、黒塚朱璃という女の子を知る上で避けられない道なのだと思う。


 ミサキの言葉を何度も咀嚼し、大きく深呼吸する。智大は戸惑いを振り払った目でミサキを見つめ、


「義務感じゃありません。麻耶さんのためでもない。心から満足できる答えを見つけるために、僕が知りたいんです」


 と、告げた。



 ミサキは、目を瞑って逡巡した末、「了解っ」と人懐っこい笑顔を浮かべる。そうして後ろ髪に手を伸ばし――次の瞬間、写真そっくりの長髪が靡いたのだった。

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