第53話

 垂れ下がったサイドテールを見て、智大はぽかんとする。「何の謝罪?」


「最近当たり強かったでしょ。その、謝れてなかったからさ」

「ああ、そのことか」


 間の抜けた声で言うと、麻耶もつられて頭を上げた。


「もしかして気にしてたのあたしだけ?」

「僕は何とも思ってなかったけど」

「あー……そなんだ」自慢の帽子を整える。安堵したような、それでいて肩透かしを食らったような様子だ。


「お姉さん、見つからないみたいだね」

「そうなんだよねぇ。けっこう探してるはずなんだけど」

「参考になるかわからないけど、東さんは何も知らないみたいだ」


 大貴にも内緒、とミサキ本人が言っていたから。本来ならそう続けるのだが、それを口に出すわけにはいかない。


「ふーん」麻耶の眉が疑りに歪む。「それ、わざわざ教えてくれるんだ」


「どういう意味だ?」

「あんたも黒塚さんから聞いたと思うけどさ、変装してたのは姉さんで、あの便箋はイタズラだったわけじゃん」

「そうだね」

「当初の約束通りニセモノの正体は暴いた。GPSについても弁明を済ませた。もうあたしに協力するメリットなくない?」


 思考して、智大は首を振った。「……まだ、全部は暴けてない」


 ミサキが変装までして朱璃に協力した理由は何なのか。そして、なぜ麻耶や東に会いたがらないのか。協力者の謎はまだ残っている。それに――。


 智大には予感のようなものがあった。――それにあの便箋は、本当にただのイタズラだったのか?


「居場所がわかってないだろう。約束は終わってないよ」

「律儀なお隣さんだねぇ」


 この約束は思考の産物だというのに、麻耶の表情は嬉しそうだ。


「でも、そっか。何も知らないなら東のヤローに会いに行く理由はなくなったかな」

「いいのか? 訊けること自体はあると思うけど」

「ホントのことを知りたいとかそれっぽい理屈こねくり回してたけどさ、あたしは結局姉さんに会いたかっただけなんだよ。きっかけが黒塚さんってのが癪だけど、ちゃんと話したおかげで気付いたんだ」

「そうなんだ」

「もう自分に嘘つかない。今どうしてるのかわからないけど、姉さんと……ちゃんと向き合ってみようと思う」


 愛想よく笑う麻耶の顔に、もうわだかまりは見えない。朱璃とどんな会話をしたのかは謎だが、この数日間で自分なりのなにかを見つけたのだろう。


「それに、東のヤローとはほぼ初対面みたいなもんなんだよね」

「挨拶した程度って言ってたね」

「ぶっちゃけ何話しゃいいかわからん。とまあ、そういうわけなんだけど」


 麻耶はわざとらしく呆れ顔を浮かべる。


「姉さんレアモンスターか何かなん? もう河川敷のスポーツクラブの子たちと顔なじみになっちゃったんだけど」


「ははは……」ミサキのことは話しづらいので笑って流しておく。「そうそう、章信が心配してたよ」


「そっか、ごめんね」

「ちょうどお昼食べ終わったところだし、良かったら会ってあげなよ」

「わかった」


 どうぞ、と言ってドアを開いた。麻耶が靴を脱いで廊下を進み、声に気付いたらしい章信がドタドタ駆け寄ってきた。


「麻耶姉ちゃん!」

「おひさー。元気してた?」

「うん。麻耶姉ちゃんは?」

「もちろん元気百万倍っ!」


 興奮して止まない章信に、麻耶は年末年始のバイトで忙しかったのだと説明した。


 それからは、邪魔するのも申し訳ないくらい二人の世界に入り込んでいた。特にカードで遊ぶわけでもなく、けれど心からの笑顔で、なんでもない話を続けていた。


 麻耶はスナック菓子を遠慮なくむさぼり食い、


「章信章信ー、今度一緒に散髪行かん?」


 と声を高くした。


「散髪?」

「あたしそろそろ髪切ろうと思ってんの」

「今は寒くない?」

「急いでるとかじゃないんだけど、あんま伸ばすの好きじゃなくてさー。いい美容院あればいいんだけど」


 それからキラキラした目で智大を見て、「ヘイ浦えもん、近くでおすすめの美容院ってある?」と、便利アイテムみたいな感覚で尋ねてきた。


 彼は難しそうにうなった。


「美容院は詳しくないからなあ」

「言われてみりゃ美容とか興味なさそうか」

「いつもは安いところに行ってるよ。それで充分だし」

「彼女が髪切っても気付かんタイプだこいつ」


 彼女というワードにやはり章信が反応して、麻耶も乗っかかって面白がる。


「興味がないと注意が向かないからなあ」


 髪型ではないが、卓球で似たような経験はあった。

 卓球のラケットにはラバーを張りつける。ピン球を打ち返す部分の、赤や黒のゴムシートのことだ。ラバーには、軽くて扱いやすいものや、変化球を繰り出しやすいもの、とにかく弾速が出るものなど、様々な種類がある。中学時代に県三位の実力を有していた智大はラバーごとの特徴を熟知しているし、他部員がラバーを張り替えたときも、打ち合うだけでその変化に気付いた。それと似たようなものだろう。


 髪型もそうだ。女性は男性と比べて基本的に髪を伸ばすので、ヘアスタイルの自由度が高い。その点で男性に気付けない部分があるのは致し方ないと……髪型?


 そのとき智大の心に疑念が浮かんだ。否、疑念というにはあまりにも遅いものだった。まるで、マークシートの解答欄が全て一段ズレていることに気付いたような。



 ――僕はどうしてこんな単純なことを見落としていたんだ。



「……浦本?」


 自分はどんな顔を浮かべているのだろうか。疑問を浮かべた麻耶を、今度は智大が引っ張っていく。「ごめん章信、ちょっとだけ羽根田さん借りるね」


 また玄関前まで飛び出して、扉が閉まっていることも確認した。


「びっくりするじゃん」麻耶はくわえていたポテチを飲み込む。


「すまない。ミサキさんの写真、もう一度見せてくれないか?」

「姉さんの? まあいいけど」


 不思議そうな顔でスマホをスワイプし、差し出された画面を焼けるほど凝視する。


 美しい長髪だ。キャップにはとても収まりきらないくらいの。


「背が低いぶんにはともかく、高すぎると誤魔化しようがない――協力者について、以前僕たちはこう推理しただろう」

「それがどうかしたの?」

「髪の毛にも同じことが言えるんじゃないか? 短いぶんにはウィッグなんかがあるけど、長すぎると収まらない」

「えっ……」


 麻耶も気付いたようだ。

 髪の毛は一ヶ月につき約一センチ伸びると言われている。便箋を渡されたのがクリスマス前。もしミサキの髪が写真どおりの長さだとすれば、変装は破綻する。


「でもほら、あのときはバイアスがかかってたとかどうとか」

「だからこそだよ。身長も体格も曖昧なのに羽根田さんだと認識した。裏を返せば、髪型は完全に一致してたんだ」

「……なんかさぁ、またあたしが怪しいみたいになってんじゃん」勘弁してくれと言わんばかりの顔だ。


「それは、まあ」彼女の目的や態度からしてそこまで疑っていないのだが、状況証拠でいえば疑わざるをえないのは事実だ。


 弁明を考えているらしい。麻耶は姉の写真をじっと見つめながら悩んだ末、「そうだよっ!」と得意げに笑った。


「昔は伸ばしてたけど、今の姉さんの髪型はわからないじゃん」


 と。


「仮に長かったとして、あたしに変装するなら当然長さは合わせてくるだろうしね」

「…………」

「ほら、黒塚さん100円ショップで帽子について訊いてきたじゃん、あれは変装のための情報収集だったんだよ」

「……そう、かもね」

「よっしゃ反証完了! 浦本は複雑に考えすぎ。そもそも髪型なんて、姉さんに会えない限り確認のしようがないんだから」


 知恵比べをしているわけではないのだが、麻耶は勝ち誇った顔を浮かべていた。


 思えばミサキは髪をくくっていた。これは麻耶の言うとおり、会えない限り確認のしようがないことだ。


「そうだね。あれこれ考えても仕方ないか」


 智大はそう答えた。だって、会えば確認できることなのだから。問題は答えの出るものから解いていけばいい。朱璃に対する気持ちもそう。順に紐解いていけばわかることがあるはずだ。薄っぺらい笑みをたたえ、章信のもとへと戻る。



 けれど僕は、それを解明してどうしたいのだろう――。



 答えの出ない問題を、智大は胸にそっとしまう。

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