第51話

「えっ」


 智大は戸惑いを隠せなかった。返事を待っているようなので、疲れで回らない頭を必死に回す。


 ……いや、どういうことだ?


 理解が追いつかない。朱璃がぶっ飛んだことを言っているのか、智大の頭が熱にやられておかしくなったのか、ベッドの中でいつの間にか熟睡して夢を見ているのかの三択までは絞り込めたが、そこから先がわからなかった。


「黒塚さん」

「はい」

「この前義弟とクイズ番組を見てたんだけどさ」

「は、はい」

「フィフティ・フィフティって実在しないのかな」

「これはだめそうですわね……」


 朱璃が頭に手を当てた。スプーンと空になったお椀をダイニングテーブルまで持っていくと、朱璃は振り返り、


「泊まるのは、お嫌ですか?」


 じれったそうな口ぶりになる。

 改めて考えてみれば、泊まること自体にそこまで抵抗感はない。いや、彼女の身内のことも思うと素直に頷けるわけはないのだが、個人としては受け入れられる。


「本当にいいのか?」

「……浦本君だから言っているのですよ」


 朱璃は照れくさいのを隠すよう前髪をいじった。


「使用人たちはどうせ気にしませんし、明日は土曜日ですし」


 とも付け加える。


「そこまで言ってくれるなら」


 その美しい目を眺めながら、智大は口走っていた。

 朱璃の言う通り、今の自分はだめになっているのだろうと思った。


 もしもお泊りに誘ったのが麻耶や凛だったら、自分は迷うことなく断っていただろう。もしもベッドが朱璃のものでなかったら、この胸の高鳴りは起きなかったかもしれない。

 ただの仮定なのに、確信めいたものがある。彼女といるからこそドキドキする。それが何ゆえなのかはわからないけれど。


 ミサキさんの言うとおりだ――。


 ドキドキする事実がありながら自分の気持ちがわからないのもまた、心の矛盾なのだろう。


 心臓に針が刺さったような気持ちで智大は、朱璃と一晩過ごすことになった。友人の家に泊まる、といった趣旨のメールを家族に送った。時刻は午後八時を回っている。東曰く「コスプレさせられながらこき使われてる彼氏」と使用人に思われているらしいが、本来の終業時間を朱璃のベッドで迎えるのはしっくりこない。



「悪くはないと自分でも思うのですけれど」


 朱璃はベッドの足元の辺りに腰かけながら言った。


「そうだろうね。僕と君が付き合えば、一定以上の相性の良さは期待できる」他人事みたいに智大は言う。


「良かったですわ。もしぶった切られていたら、この部屋に面倒な女が一人増えていたところです」

「まだ告白の返事をしたわけじゃないよ」

「であれば、今夜お誘いしたのは正解だったと言えましょう。来るべき返事の日までにできるかぎり成功率を上げておきたいですから」


 朱璃は弾んだ声で言って、言葉を切って足をぶらぶらさせている。

 本人の前で成功率だの何だの言うあたりが朱璃らしいと思ったし、それで成功率が下がることはないと理解しているのが、信頼を示す何よりの証左だった。


「この際だから訊くけど、なんで僕のことが好きなんだ?」


 肘で軽く身体を起こしながら智大が言った。


「わたくしたちが初めて話した日のことを憶えていますか」


 朱璃は一度立ち上がり、智大のすぐ隣に座り直して、上品な笑みを向けた。


「きぶし公園だよね」

「はい、出し物の練習をしていたときのことです。あの日偶然貴方が居合わせて、下手くそな手品を見てくださって、仲良くなんてなかったのに、練習までお付き合いしてくださいました。でも、不器用すぎて付け焼刃にすらならなかったんですよね。それで当日も派手に失敗して……懐かしいですわ」

「それが理由?」

「いえ、これはきっかけにすぎません。理由は――」


 一瞬黙り込んで、それから悪戯っぽく笑った。


「まだ秘密ですわ」

「そっか」ミステリアスぶっているようだ。


「そんなことより未来の話をしましょう」


 朱璃はスキニーパンツのポケットからスマホを取り出した。慣れた手つきでフリック操作し、これです、と印籠の如く見せつける。


「……ん?」


 智大は体を完全に起こし、マットレスにぺたりとあぐらをかいた。液晶画面をのぞき込むと、そこにはネットニュースが映っていた。


 内容はとある社長令嬢の結婚発表だった。相手は一般男性らしく、田舎町の幼馴染なのだとかどうとか。


『いつも大変お世話になっております。この度――』令嬢の毅然とした顔写真と共に謝辞が書き連ねられている。


「この方は恋愛結婚をなさったのですよ」

「そうなんだ」

「どうです、良いと思いませんか」


 自分のことじゃないのに、朱璃の声は得意げだ。


「どうって言われても」

「現代は恋愛結婚が主流ですわ。政略結婚を全否定するわけではありませんが、こんなふうに尊重しあえる方とのお付き合いは素敵だと思いますの」

「もしかして君の告白って結婚前提だったりする?」


「結婚記事はただの一例ですのでご安心ください」朱璃はスマホを引っ込めた。「申したではありませんか、浦本君を縛り付ける気はない、と」


「君が言うと何でも胡散臭く聞こえるなあ」


 本気寄りの冗談を智大が言って、苦く笑った。


「胡散臭いのは否定できませんが、縛り付けたくないのは本心です。相手を無理矢理縛り付けたって幸せな恋愛はできないでしょう?」

「幸せとか、そういうのはいまいちわからないけど」

「浦本君らしいですわね」

「僕らしい?」

「はい」


 子猫みたいに顔を近づけて朱璃は微笑んだ。触れ合わない程度に身を寄せて、彼女は話を続ける。


「突然ですが……手品を披露する上で、楽しませるのが最も難しい観客をご存じですか?」

「なんだろう、迷惑客?」

「楽しむ気のない方は論外です。正解は子供ですわ」

「子供……。意外だなあ、そういうのって子供の方が簡単に喜んでくれそうなのに」

「そうでもありませんのよ。子供は正直ですから、少しでもボロがあればケチをつけますし、つまらないものはつまらないと言います。その点大人は、ある程度空気を読んで騙されてくれますから」

「そうなんだ」


 言われてみればそのとおりだった。

 大人になるというのは社会性を身に着けることであり、それはつまり、自分という個を少なからず殺す行為なのだろう。


「浦本君は以前、感情が薄いと仰っていましたね」

「うん」

「それは事実なのでしょう。自分の気持ちに対して無垢で、初々しい。だからこそ手品をお見せするときも、純粋に驚いてくださっているのが伝わってきますの」


 朱璃はゆっくり言葉を選ぶ。


「無邪気だ、って思うんです。それが良いのか悪いのかはわかりませんし、貴方にとっては疎ましいことなのかもしれませんが」


 そこで言葉を詰まらせ、今まさに手品を披露しているかのよう手遊びをした。

 智大は、新鮮な気持ちでいっぱいだった。ベッドで朱璃と語らうこともそうだが、無邪気という言葉が自分には似つかない気がしていた。


「でも、貴方を好いている理由の一つは、そういったところですわ」

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