七章 オールバック
第48話
三学期が始まってから曇りばかりの天気が続いていた。
執事の仕事を再開した日も曇り、ストーカーの件を朱璃に謝ったのだと麻耶から報告を受けた一月十五日も曇りだった。
その日は勤務日でもあった。
屋敷での朱璃との距離感は、恐ろしいほどに変わりなかった。契約を結んだ主人と従者。それ以上でもそれ以下でもない。
対して、高校生の男女としての距離は一気に縮まったようだった。
理由の一つは席替えだ。朱璃は相変わらず窓際の席で、その右隣が智大ということになったのだ。
ああ、浦本君、近くで嬉しいです、また窓際なのが寒くてかないませんが、前よりは楽しそうですわ、これで教科書を忘れてしまっても――。
そう在るのが当然とばかりに孤独を貫いていた黒塚令嬢が、他の生徒、それも男子相手に気安く話しかけるのだから、クラスメイトの驚きは凄まじいものだったろう。斜め後ろの前川さんなんてお茶を吹き出していたほどだ。
席替えして一週間も過ぎると、二人が親密であることがクラスの当然になり、それにつれて周りの態度にも変化が見えた。朱璃を見る麻耶の目はやはり冷めていて、そんなことより姉を日々探していた。凛は不服そうで、治との喧嘩が増えた。その治は食事中にぼうっとすることが多くなった。
けれど、その当然に誰より戸惑っているのは智大だった。
――自分は黒塚さんのことをどう思っているのだろう?
便箋の真相を暴き告白を受けたあの日から、その疑問ばかりが心をさまよい続けていた。まるで呪いでもかけられたかのように。
そして、その不完全さが、彼をさらなる自己研鑽へと走らせるのだ。未熟な自分を許さず、自身を痛めつけるように勉強し、間違いを正す。全ては自分の望む答えのために。
それでその日も、智大は物思いに耽っていた。
放課後。靴を履き替えていると肩を小突かれた。はっとして隣を見、治の仕業だと気付いた。
「ああ、真鍋君。びっくりしたじゃないか」
「わりぃわりぃ」治は悪びれる様子もなく笑う。「今日は黒塚さんと一緒じゃねえんだな」
「まあ……そうだね」
「どうしたんだよ、なんか最近ぼけっとしてっけど」
「それは真鍋君の方じゃない?」
智大は首をかしげた。
「俺はあれだ、あれだよ、低気圧」
「今は時期じゃないよ」
「あー……」
治はしばらく黙ったあと、
「まあなんだ、今日部活ねぇし一緒に帰らねえか」
と言った。
「いいよ」
めちゃくちゃな誘い方だと思ったが、それを口にすることはなかった。
並んで校門を出た。一月の中旬ともなれば流石に寒く、刺すような突風に治が身を震わせる。
黒いネックウォーマーを鼻まで被せると、治にしては遠慮がちな声で喋りだした。
「黒塚さんのことか?」
「……ん?」
「いや、ほら、お前最近ぼーっとしてんだろ。話くらいなら聞けると思うぜ」
「君のことだからもっと茶化してくると思ったんだけど」
「茶化すにしても茶化し甲斐っつうもんがあってだなあ」
治はスポーツ刈りの頭をかりかり掻いている。
話してもいいか、と智大は思考した。真鍋治は友達だから。
「悩んでるんだ、黒塚さんのこと」
「付き合ってはいねぇのか」
「うん。なんていうのかな、自分の気持ちがわからないんだよね」
「白黒はっきりさせないと絶対納得しねえもんな、お前」
「中途半端が許せないんだよ。最善手として妥協するとかならともかく」
オープンテラスのカフェを曲がり、大通りの信号待ちに引っかかった。
「浦本を見てると……たまに思うんだ。その辺のやつらより遥かに努力家だけど、遥かに生きづらそうだなって」
「……そう? よくわからないな、これ以外の生き方を知らないし」
「そういうとこだっての」
治は半ば呆れたように水筒を取り出して、豪快に飲んだ。あー、とビールを飲み干すおっさんみたいな声を張り上げた。
「だけどよ、実際出ねぇもんは出なくね? 散々考えた結果わからないなら、それはもう、わからないでファイナルアンサーだろ」
「実は告白を受けたんだよ。急な出来事だったし、返事は今すぐじゃなくていいって言ってくれたんだけど、いつまでも悩んでいるわけにはいかないだろう。だからって適切な答えを導き出さないのは、黒塚さんの告白を踏みにじる行為だ」
「真面目だなあ」
地下鉄の駅が見えてきた。智大の利用する鉄道はここからさらに五分ほど歩いたところにある。治は地下鉄を利用するので、いつもこの駅前の広場で別れることになる。
治は噴水の前で立ち止まり、まとめを述べ始めた。
「前にも言った気がするけど、相性いいと思うんだよな」
「どういうところが?」
「二人ともミステリアスなとこあるだろ? なんかこう、物静かだけど上品なカップルって感じがしてさ。紳士淑女的な」
「はあ」
治は自分でも言っていることの馬鹿馬鹿しさに気付いたらしい。恥ずかしそうに苦笑いし、よそ見で誤魔化したそのときだった。
「またいらないこと吹き込んでるんだ」
同じく学校の方面から、山岸凛が歩いてきたのだった。
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