第45話
井崎ベーカリーの前を通り越して、智大は空を見上げた。曇り空だ。重苦しい鉛色の雲が空を覆い隠している。こんな日まで僕に会ってくれるなんて物好きだ、と智大は思った。
今日もまた、ミサキと会う約束をしていた。
麻耶とスーパーで話した日の夜、ミサキに『また近々会いたいです』とメールを送ったのだ。
『嬉しいな! 明後日とかどう? 暇だし』と遠慮なく言ってくれたミサキに『わかりました。ちょうどその日まで冬休みなのでゆっくり話せそうです』と返事して日課の勉強を始めた。どうして彼女は妹と会いたがらないのだろう。羽根田さんに代わって僕が暴かなければ。勉強の合間の休憩時間に、そんなことを思考していた。
ぼうぼう広場に向かう。まだ約束の時間の十五分前だというのに、ベンチにはすでにミサキがいた。
「や、浦本君」
「一昨日もそうでしたけど、来るのが早いんですね」
「そりゃあねえ、冬休みラストデイをあたしに費やしてくれるってんだから大盛りあがりよ」
嬉しいです、と、智大は言った。木製のベンチはところどころ変色していて頼りない。ミサキと距離を取って右隣に腰掛けた。
「今日は友人のことをお話ししたいんです」
「浦本君の友達かぁ。どんな人?」
「黒塚朱璃」
智大は早速切り出した。「ミサキさんにとってもご友人かもしれませんが」と。
柔らかい笑顔を維持して、妹そっくりの顔を覗き込んだ。ミサキは缶コーヒー片手に欠伸していた。……この人はいつも眠そうだ。
「知らない子だねぇ」
「知らないということは流石にないと思いますけど」
「そう思う根拠は?」
「黒塚商事の名前は、それなりに有名かと」
智大は優しい声を意識してみた。肯定も否定もしなかったので言葉を続ける。
「それに東さんの勤め先ですから。ご存知なのでしょう、東さんが現在どうしているかも」
ミサキの顔が強張ったのは、その瞬間だった。悲しみを詰め込んだような瞳で、
「なっはっは、まあね。あいつそういう家系らしいし」
と、小さい子のように笑った。
「東さんだけじゃありません。僕のことも、麻耶さんのことも貴女は知り尽くしている。だからこそ麻耶さんに変装できたんです」
「あたしは便箋について知ってただけ。変装なんて別に誰でも出来るじゃん」
「変装だけならそうでしょう。ですが、便箋にはこう書かれていた。『気もない女とベタベタしないで』。これは僕と羽根田さんの関係について詳しくないと成立しません」
気付くと詰問気味の口調になっていた。
「仮にあたしが麻耶の格好してたんだとして、便箋について知ってるっちゅうことをわざわざ君にばらすと思う? 変装の意味ないじゃん」
ミサキは気にせずコーヒーのプルタブを引いた。カキャ、と小気味よい音がぼうぼう広場に響いた。
「最初はそう考えました。あの便箋を用意して得する人間なんてそうはいません。僕と初対面のミサキさんがそんなことをする理由はありませんし、変装の犯人が変装についてばらすはずもありません」
「ふんふん」
「……と、僕にそう思わせるのが目的だったのでしょう。自身が犯人の候補から外れるために」
「だったら最初から君に会う必要なくない?」
ミサキはコーヒーを一口飲んだ。
こうなることは事前に予想していたのだろう。鋭い切り返しだが、智大も言葉は詰まらせない。
「僕も麻耶さんも貴女を探していました。見つかるのはどのみち時間の問題だったんです。であれば、最初から僕に会って口封じして、脅威そのものを断ったほうがリスクヘッジの観点からして安全です。真っ先に口封じを求めてきたことからも、優先順位の高さが窺えます」
智大は続ける。
「それに、実は一人だけ、あの便箋を用意しそうな人に心当たりがあるんです」
「へえ」
「その人ならば変装のための服や帽子も用意できるでしょう」
「それが黒塚朱璃ちゃんか。じゃあその子が変装したんじゃないの」
「いえ、便箋を渡されたとき彼女は自宅にいました。だから黒塚さんではあり得ないんです」
「……マジ?」
そのとき、ミサキが初めて驚いた様子を見せた。ぽかんと開いた口からはカフェインの香りが漂っている。
「はい。ですので『協力者』がいたと考えるのが自然なんですよ。東さんの存在を挟んで繋がる仲間です」
「そうなのかなあ」
再び疑問を呈するミサキ。静かに、けれど心から答えを求めるように。
「言い分はわかるけどさ、結局、あたしとその子の繋がりは証明できてないじゃん」
智大もまた、静かに口を開いた。
「ずっと疑問だったんです、なぜ黒塚さんは麻耶さんを知っていたのか」
「…………」
「答えは単純でした。彼女は、麻耶さんの姉である貴女と面識があったんです。もっと言えば手を組んでいた」
「論理が飛躍してる。他の可能性は考えられないわけ?」
ミサキはスチール缶を揺らして残りを確認している。
「考えられないわけではありません。しかし、数々の状況証拠からしてそう考えるのが一番自然です。なのでそこを追求します」
「へえ……」
「ニセモノが便箋を渡したあと逃げた先も証明の一つです。貴女は一昨日仰いました、目を盗んで話すのも一苦労だと。つまりマンションより北に住んでいるんですよね」
ははは、と、口の端に笑みとも呆れともつかないものを浮かべた。
「マジ頭切れるんだなあ。びっくりだよ」
でもさ、と、ミサキは体ごと智大に向き直る。
「そうまでしてあたしのことを知って、どうするつもり」
智大もまた目を合わせた。数秒思考して、真面目な顔で言った。
「僕は麻耶さんの味方です。だから、貴女が麻耶さんに会えない理由を暴きます。いつか会っていただきたいと願っていますから」
それを聞いたミサキは「そっか」と笑顔を作り、続けて公園の端に振り返った。
「ま、これ以上反論しても無駄そうだし、細かいこたぁ本人に聞いてちょ」
「本人?」
「つーわけでアカリン、パスッ!」
高らかに言ったその瞬間である。砂場近くの茂みから、朱璃の顔の上半分がにゅっと出てきたのだった。
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