第28話
きぶし川に向かうと、ちょうど麻耶が河川敷の石段を登って現れた。今度はマスクをつけていない。ビリジアンのジャンパーを着て、お気に入りのキャップを被っている。
彼女は何かを探しているようだった。挙動不審に辺りを見渡し、その際に智大と目があった。
「やあ、羽根田さん」
智大は手を振って近づいた。
「浦本じゃん」
麻耶の切羽詰まった顔が緩んだ。やはりというべきか、便箋について言及はなかった。
「探しもの?」
「んにゃ、ちょっと……散歩。最近やっとこの辺の地理覚えてきたんだよねぇ」
そして、さらりと嘘をついたのである。目を逸らすことなく、すまし顔で見つめて。
「急にどっか行っちゃった、って章信びっくりしてたよ」
「そか、ごめんね。って浦本に謝ってもしゃあないよね」
麻耶はわざとらしくお転婆に笑う。
散歩のはずはない。彼女は間違いなく便箋の麻耶に心当たりがある――。
「頼みがあるんだけど、時間大丈夫かな」
心に懐疑を秘めながらも、智大はあえて追求しない。
「どしたの?」
「実はクリスマスプレゼントを選ぼうと思ってるんだ。でも何がいいかわからなくてさ。良ければ手伝ってもらえないかなって」
麻耶は平たい胸を叩いた。
「そんくらいお安い御用よぉ。章信君のやつでいいんだよね」
「いや、黒塚さんの分も買いたいんだ」
「えっ」
麻耶は返答に窮したように黙ったあと、改めて口を開いた。
「黒塚さんって、それマジで言ってる?」
「こんな冗談言わないよ」
「ま、そだよねぇ。どうしたもんかな」
麻耶は当惑したように、キャップのつばを触った。
「何か問題があったかな」
「一応訊くけど、どういった理由でプレゼントするの?」
難しい質問だった。好きかどうかがわからないからこそ悩んでいるのだ。
「正直、自分でもよくわかってないんだ。だからその質問には答えようがない。ただ……そういうのを抜きにしても、普段から世話になってるから」
「あたしね、申し訳ないなって思ってるの」
麻耶は智大の顔をちらりと見た。
「申し訳ない?」智大は首を傾げた。
「あの人のことで色々煽り立てちゃったでしょ。面白半分で言ってたとこあったんだけど、黒塚さんの気持ち考えてなかったなって」
「謝るようなことじゃないと思うけど」
「『考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる』」麻耶が堅い口調で述べた。
「マーガレット・サッチャーの言葉か」
「流石浦本、よく知ってるね」麻耶は目を伏せて笑う。「あたしがおちょくったせいで変に意識しちゃったんじゃないかって思ってね。そういうの、なんか違うじゃん」
「確かに、君の言葉に考えが引っ張られている部分はあるかもしれないな」
「だから一度冷静に考え直してみて」
冷静に考え直す、か――。
智大は至って冷静に考える。なぜ麻耶は、今になって真逆のことを言い出したのだろう。見かけこそ反省しているといった風だが、それにしても切り替わりが極端すぎる。
これまでの行動から彼女を分析するに、「結局は黒塚さんの気持ち次第だもんね。骨は拾ったげるから全力で砕けてきなよ」などと言ってくることを予測していた。もとい、確信していた。
つまるところ、今の麻耶は予測の外にいる。章信の話も踏まえて、彼女の身にも予想外の何かが起きていることは間違いないだろう。
これまでの行動というのはもちろん、学校での表面上の人格だけを見て決めつけているわけではなかった。火曜木曜とアルバイトに行くふりをして、黒塚家に張り付く麻耶を陰から監視し、その上で分析しているのだ。全ては当たっていないにしろ、大きくは外れていない自信があった。
「やっぱり君の言葉は関係ないよ。いや、関係ないは言いすぎかもしれないけど、僕の気持ちに変わりはない」智大が諭すように言った。
麻耶は一瞬驚いたが、すぐさま笑みを取り繕った。
「そっか。浦本がそういうなら、そうだよね」
「ああ、でも、気になる女の子へのプレゼントくらい自分で選ばないとね」
智大は殊勝な言葉を並べた。しかしそのことが却って彼女を焦らせるようだった。
駅前の百貨店に連れられても、選んだプレゼントを見せても、まるで次の一手を考えるように、彼女はほとんど喋らなかった。
分析は正しかったようだ、と智大は思考した。
黒塚家を探る麻耶。
その麻耶に不可解な態度を示していた朱璃。
便箋を押し付けてきたもう一人の麻耶。
揃いも揃ってわけがわからないが、何にせよ、主人への火の粉は振り払わねばならない。
私と羽根田さんが対面する日は遠くないだろう――。
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