第29話
二学期の終業式は、クリスマスイブに行われた。式といっても午前だけで終わる簡単なもので、そのほとんどが教頭先生の長話だったのだが、もうアラサーらしい担任は「君たちがいないと一緒に過ごす人いないなあ……」と今生の別れみたいに寂しがった。それでクラスメイトたちは今日が聖夜であることを思い出し、思い出そうが思い出すまいが事実は変わらないというのに、葬式みたいな空気が教室中に流れたのである。
「そういや今日仏滅だっけか」
とぼとぼ教室を出ていく生徒たちを見送りながら、後ろの席で麻耶が言った。
ちょうど智大の前を通った治が、
「じゃあな浦本っ!」
一人だけ別の世界線で生きているようなハイテンションで、謎の雄叫びを上げて走り去り、その先で教師の怒鳴り声が聞こえてきた。「あいつやるねぇ」続けて麻耶の立ち上がる音が聞こえる。智大は振り返った。
「そんじゃね、おっさきー」愛想よく手を振った。
「またね。……お礼は後日」
笑顔で返すと、麻耶は教室を出ていった。
黒塚家に張り付いている理由、切り貼り文字の便箋、そして『二人目』の謎。詰問せねばならないことはたくさんあるが、少なくとも今日ではない。
それは朱璃も同様だった。
智大も教室を後にし、下駄箱に向かった。そこの隅っこに立っていたのは、イブを共に過ごす予定の黒塚朱璃だった。彼に気付き、「浦本様」と、そわそわした様子で歩み寄ってきた。
「待っててくれたんだ」
智大は上靴と下靴を履き替えた。
「あの雰囲気で一緒に教室を出るのは、少々気恥ずかしかったですから」
周りが騒がしく、朱璃の声は聞き取りにくかった。
「でも今から一緒に帰る……んだよね?」
「一緒に帰るのは、平気ですわ」
「そうなんだ」
基準のわからない線引きに困惑しながら共に帰宅した。
珍しく無口だった。このあとのことを考えているのか、はたまた無我の境地にでも至っているのか、朱璃は虚空を見ながらかつてない速さでコインロールを行っていた。他の乗客も見惚れるほどの神業である。とりあえず、あまり平気ではなさそうだということはわかった。
「このあと、どうしようか」
電車を降りたところで智大が言った。
「あまりプランとか立ててないんだけど、予定とかってあったりする?」
「特にありませんわ」
「よかった、今日は僕も完全に空けてあるんだ」
「お気遣い感謝いたします」丁寧ながらも弾んだ声で朱璃は礼を述べた。
「あはは、ゆっくり遊べそうだね。じゃあ一旦お昼ご飯を食べて、十二時過ぎくらいにそっちに迎えに行こうかな」
会話の後、智大は自宅に戻った。
「おかえりなさい」
家には章信がいた。同じく終業式から帰ってきたところだった。「お昼は何がいい?」「チャーハン! ラーメン! 豚骨!」そんなやりとりを経て、智大は昼食を作り始めた。
予定を空けてあるとは言ったものの、章信のことを気にしているのも事実だった。空き時間や休日など、義兄としてできるだけ構うようにしているのだが、章信との時間が減りつつあるのは、彼も自覚していた。
一応、年末年始は朱璃が休暇をくれたので、クリスマスプレゼントと合わせて埋め合わせをしようとは考えている。が、それだけで埋めきれるとは思えなかった。それほどまでに日々のタスクが義兄の手数を圧迫していた。
そういう意味では、遊び相手になってくれる麻耶の存在は非常にありがたい。しかもどういうつもりか、百貨店でプレゼントを買った帰りに「イブは章信君と丸一日遊ぶから、気にせず行ってきなよ」とまで言ってくれたのだ。
クラスメイトとしては信用していないが、お隣さんとしては信用しているので、結局、今日も彼女を頼ることにした。
炭水化物の山は凄まじいスピードで盆地と化した。章信はカードケースをバッグにしまい、『麻耶姉ちゃん』に会いに家を飛び出した。
智大も洗面所で顔を洗うと、カジュアルとフォーマルの中間みたいな服装で黒塚家に向かった。
「あっ、浦本様」
門の前にはすでに朱璃がいた。暖かそうなベージュのコート。思ったより普通の格好だ。
「待っててくれたんだね、ありがとう」
「なんだかじっとしていられなくてですね」
「君らしいな」
智大は思ったことを口に出した。二人きりになると、朱璃ははしゃぐ傾向にある。
「そうでした、おやつですわ、おやつ」朱璃が思い出したように言った。「よろしければ買い物に付き合ってくださいませんか?」
「いいね。どこ行くの?」
「まずはファーストフード店のチキンですわ。それから帰りにスーパーに寄って、お菓子も一通り買いましょうか。あと、ピザも外せませんわね」
「……お手柔らかに頼むよ」
屋敷を後にし、智大たちは店を回った。相変わらずの高燃費で、「余ったぶんは召使いへのお土産にすればいいので」と、身内を大義名分に気に入ったものを容赦なく買っていく。
そうして再び屋敷に戻ったときには、パンパンのビニール袋で両手が埋まっていた。
「これだけでしばらく生きていけそうだ……」
「お手間を取らせてしまい申し訳ありません」ついやってしまったとばかりに朱璃は肩をすくめた。
カーペットの敷かれた階段を登り、朱璃は早足で先行して自室の扉を開いた。
どうぞお入りください、と促され、智大は緊張した面持ちで入った。おやつの定義を問われる荷物をダイニングテーブルに置く。
時刻は昼の二時過ぎ。彼らはテーブルで見合っていた。「どうしましょうか」と、正面で朱璃。
どうするもなにも普段どおり気軽に話せばいいのだが、クリスマスイブに異性に誘われた、という緊張感ある状況がそれを許さないらしい。智大としても、仕事以外で彼女の部屋に入るのは新鮮だった。
適当な話題を切り出そうとしたそのとき、
「手品を見ていただけませんか」
微かに笑った顔で朱璃が言った。
「気の利いた感想とかは言えないよ。以前カフェで話しただろう」
「もちろん構いませんわ」
「ほんとにいいの?」
彼女は頷いた。
「わたくしがお見せしたいだけですから」
「そっか」
智大には理解し難い発言だった。そのくせ、心のどこかに昂ぶるものを感じていた。
「仕事ではないので、評価も必要ありません。今日は貴方を驚かせたいのです」
「そんなこと言われたら期待しちゃうよ」
「お任せください。観客を驚かせ、そして笑顔にするのが手品ですから」
にこやかに笑うと、彼女はどこからともなくトランプを取り出した。
乾いた紙の音を聞きながら、黒塚さんの手品が始まる、不思議な術にまた騙されるんだ、と胸の高鳴りを抑えられずにいた。
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