第30話

 手品の数々は智大を大層驚かせた。種も仕掛けもないと言いつつ実際は種も仕掛けもあるのだろうけれど、どれだけ目を凝らしても魔法にしか見えない。しかし朱璃いわく、奇術とは魔術ではなく技術とのことらしい。


「貴方の選んだカードは、これですわね」

「違うかも」

「えっ⁉」


 もちろん失敗もないわけではないのだが、それを踏まえても、とても人間業とは思えなかった。


 窓から覗く夕暮れが部屋を鈍く照らす。

 手品に一区切りついたあと、朱璃は部屋の電気をつけた。けっこう眩しい。ケースの中のローストチキンが、脂で反射して光っている。聖夜だ、と智大は思った。


 パーティー開けした大袋のチョコレートをつまみながら、朱璃は四杯目のジュースを飲み干していた。


「もうこんな時間ですのね」

「あっという間だなあ」


 智大の答えにさらに落ち着きがなくなる。彼女は微妙に目をそらしていた。その視線を塞ぐように目を合わせる。


「黒塚さん」


 朱璃の瞳孔が智大の顔に焦点を合わせた。


「はい」

「今日は一緒に遊んでくれてありがとう」


 智大は瞳の深い部分を覗き込む。


「……貴方からのお誘いですもの」


 一瞬他所を見て、また見つめ合う。似たやりとりは前にもした。けれど言葉の意味がまるきり違っていることは、智大にもわかった。


「黒塚さん」


 もう一度名前を呼んだ。


「プレゼントがあるんだ」


 智大は足元のバッグに手を伸ばし、プレゼントボックスを取り出した。クリスマスカラーのラッピングが施されていて、丁寧なことにリボンまでついている。

 おやつを一旦端にどけると、智大は笑顔で、


「メリークリスマス」


 と言って手渡した。


 沈黙。

 いつもより開いた目で、朱璃はプレゼントと智大を交互に見ていた。


「開けてもよろしくて?」


 第一声はそれだった。もちろん、と智大は笑いかけた。慌てて目線を手元に持っていく朱璃。引っ張られたリボンがはらりと解け落ち、数秒の間を置いて箱が開かれる。


 中身はマフラーだった。薔薇のような赤色で、シンプルだが高級感のあるデザインをしている。


「君に似合うと思ったんだ。まあ、要らないなら適当に処分してもらって構わないから」

「そんな、とんでもないです。このような素敵なものをわたくしのために選んでくださったなんて」


 彼女を誘った意味について、智大は答えを考える。考えつつ、何も思考しない。


 智大は感情が薄い。しかし、朱璃にはことあるごとにドキドキさせられてきた。この胸の高鳴りがなんなのか、智大にはずっと、自分の気持ちがわからなかった。もし彼女に恋をしているのなら、プレゼントを渡す流れで告白することも視野に入れていた。

 だがさきほどの手品で確信したのである。


 僕のドキドキは『驚き』だ。


 喜びも悲しみも欠けた心の中で、それは確かに鼓動している。猫騙しをくらえば人はたまげる。魔法を見れば人は驚く。

 簡単なことだ。僕が求めていたのは黒塚さんではなく、黒塚さんの手品そのものだったんだ――。



「友達だからね」



 それが少年の答えだった。


 朱璃は一瞬黙り、けれどやっぱり嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。大切にしますわ」

「喜んでもらえたなら嬉しいよ」


 内心無感情に返した。

 とはいえそれは智大だけのようだ。一方の朱璃は箱からマフラーを持ち上げて、鼻歌交じりに眺めている。


「着けてみてもよろしいですか?」


 朱璃が不意に訊ねた。


「暖房ガンガンだけど」

「じゃあ早速」

「……ん?」


 朱璃は会話のボールをホームランで返すと、丁寧な所作で首にマフラーを巻きつけた。そのまま椅子から立ち上がり、見てくださいと言わんばかりにくるりと回ってみせた。


「どうでしょう、変じゃありませんか?」


 美しさというものにいささか価値を感じない性分であったが、こうして見上げてみても、整った容貌は際立っている。


「僕個人としては雰囲気に合う物を選んだつもりだよ」

「なんだか含みのある言い方ですわね」

「だって、僕の個人的な主観でしかないだろう。不特定多数の人間に感想を募っていない以上、その問いに対する明確な回答は得られないと思うけど」


 智大は遠慮せず言った。彼女には本性を知られているので、取り繕う必要性を感じなかった。というより大抵の嘘は見抜かれそうだった。


「それだけで充分ですわ。貴方から頂いたプレゼントなのですから」


 赤い顔をマフラーに半分埋めたまま、えへへ、と朱璃ははにかんだ。


「だから、その、ね……嬉しいわ、浦本君」


 聞き慣れない口調に驚かされて、智大はドキドキした。



 チキンを食べ終えたのは夜の八時過ぎだった。冷凍ピザも平らげて、シメにはやはり塩パンが出てくる。そのうちの一本を智大に渡して、


「結局食べきってしまいましたわね」


 名残惜しそうに朱璃が言った。


「素敵な一日でしたわ」


 とも。

 彼女が塩パンをくれたのはこれが初めてだった。


「僕も有意義だったよ」


 そう言って作り笑いを浮かべる智大に、朱璃は儚く微笑む。


「貴方は大切な友人ですわ。この気持ちは、いかなる時でも変わりません」

「それは光栄だ」

「だから貴方には本当の意味で有意義な時間を過ごしていただきたいのです。幸せを探す時間ではなく、幸せを感じる時間を」

「……理解しかねるな。そんなことをする義理、君にはないだろう」


 それを聞いた朱璃が得意げに笑う。この笑顔は決め台詞の構えだ。


「手品とは、人を騙し、驚かせ、そして笑顔をもたらすものです」

「笑顔……」

「わたくしは奇術師です。大切な人を幸せな気持ちにできずして、奇術師を名乗れましょうか」

「なるほど」


 智大は感心したような声を上げた。普段の奇人っぷりからしても、手品にかける思いは並大抵ではないのだろう。それがどこまでも対極的だと思った。

 

「そこまで言い切るとはね」

「ふふふ、手品はわたくしのアイデンティティですから」

「言いたいことが先走りすぎて会話が成り立ってないんだけど……」

「ご期待ください。いつか浦本君に最高の手品をお見せしてみせますわ」


 にこにこと笑みを浮かべる少女に、智大は小さな希望のようなものを感じていた。

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