第42話
朱璃と初詣に行った二日後、智大はぼうぼう広場へと南下していた。羽根田ミサキと話をするためだった。
『四日って予定空いてますか? 良ければお話したいです!』
メールを送ったのは智大からで、人懐っこい感じの文章を添削したのだった。だが馴れ合うつもりなどなく、フレンドリーに接することで効率的にミサキの情報を得たいだけだ。
新年の名残もほどほどに、道行く店屋が営業を再開し始めている。商店街を途中で曲がり、ぼうぼう広場に着くと、すでにミサキが待っていた。癖なのだろうか、ベンチで頬杖をつきながら爪を噛んでいた。
「浦本君じゃん。よっす」こちらに気付いたミサキは手を上げて笑った。
「すみません、お待たせしてしまいました」
「あたしが早すぎただけだから謝ることないよ。ぶっちゃけ正月なんてやることねぇし」
「あはは、確かにそうですね」
智大は少し距離をあけて座った。
「君結構モテるでしょ」
唐突な問いに智大は首を傾げる。
「突然どうしたんですか」
「いやね、浦本君って女の子にモテるんだろうなーって思ってさ。実際どうよ?」
「そんなことないですよ」
「隠さなくてもいいんだよ。あたしゃ別に自慢だなんて思わないからさ」
苦笑交じりに謙遜すると、ミサキは満面の笑みを返してきた。隠しても無駄だ、と言外に言われている気がした。
そうだ。便箋といい執事といい、この人は自分のことを異常なまでに知っている。下手な誤魔化しは効かない。
「モテるかモテないかで言えばモテるほうだとは思います。告白を受けたことは何度かありますので」適度な人当たりを保ちながら言った。
「だよねー。いや、なんかあたしが無理やり言わせたみたいになっちゃったけどさ。イケメンだし、頭も結構よさそうだし、運動もできそうな体格してるじゃん。納得だわ」
「褒めても何も出ませんよ」
「それは照れ隠しの言葉? それとも、ただの事実を言ってるのかな」
発言の合間にミサキは大きな欠伸をしたのだった。
「ま、事実ではあるんだろうね。軽くおだてた程度じゃあ何も出なそうだし」
「本題があるなら遠慮せず言ってくださって構いませんよ」
「この会話こそが本題だよ。あたしはね、ズバリ浦本君の心が気になってるわけさ」
「心……」
「そう、心。普段どういうこと考えてんだろうなーとか、そういうの」
彼女は以前言っていた。君と話がしたい、と。
「それが僕と世間話をする理由ですか」
「前に言ってたじゃん、『麻耶はお隣さんで、貴女を探すよう約束もしました』って」
「ええ」
「あのとき、君の心に何かが起きてるなあって、雰囲気的に感じたんだよねえ。どう? 合ってる?」
智大は一瞬無言になった。
確かにあのとき、智大はお隣さんを思考していた。麻耶とミサキを友好度という名の天秤にかけて、正しい答えを導き出した。
「合っています」
「おねいさん天才だからさー。君のそういう部分から、エンパシーなシンパシーをビビッと感じたわけ」
「はあ」
「もしかしたら、あたしの求めるものはそこにあるのかなってね」
智大は、その言葉の意味が胸にスッと入り込んでくるのを感じた。同じだった。智大が朱璃に何かを見出しているように、ミサキもまた、彼に対して思うものがあるのかもしれない。
「……今のは忘れていいよ。自分でも何言ってんだこいつってなったし」ミサキは失言したとばかりに力なく笑った。
「大丈夫です。言いたいことはなんとなく理解できました」
「こんなこと言うのもなんだけど、理解力あるね」
「いえ、僕にも似たような経験があったので」
へえ、とミサキは目を見開いて答えた。はじめて、彼女としっかり目が合った。
「どうかしましたか?」
「いや、初めて自分のこと話してくれたなって思ってさ」
「ミサキさんは自分のことをお話ししてくださいました。義理というわけではないですけど、会話を続けるためには必要な工程だと思いましたので。話すことで僕に不利益が生じるわけでもないですし」
「ぬはは。なるほど、とても機械的だ」
「ちょくちょく言われます」
智大は羽根田ミサキを見つめ返す。迷子の子供を見ているような、慈愛とも憐憫ともつかない目をしていた。
「おそらく君は、無感情に人と接しているね。麻耶に対してもそう。本当の意味で心が動くことは少ない。お前は馬鹿だと言われても怒りは湧いてこず、馬鹿だと言われた客観的な事実のみを認識する」
ミサキは
「そうそう、知ってた? 人って客観性が高すぎると、自我がなくなるんだって」
「自分個人ではなく、人の集合体としての一般社会を基準に設けるわけですからね。理屈では理解できます」
「んな感じで豆知識を披露したわけだけど、おねいさんは悩んでるわけですよ。あたしの自我は――自分を根拠付けるものは一体何なんだろう、なんてね」
「……それを僕と話すんですか?」
「チミしかおらんよ。なはははっ」
何が可笑しいのか、ミサキの頬がくぼんだ。
「だってさ、考えてみ。麻耶相手にこんな話をしたとして、会話が弾むと思う? 三分ももたんでしょ。カップラーメンできる前に空気ヒエヒエでしょ」
「それはそうでしょうけど」
死んだ目で欠伸を噛み殺す麻耶の姿が容易に想像できた。実の姉がそう言っているのだからなおのこと説得力がある。
「大貴になんて話してみ。会話が成り立つと思う? 三秒で破綻するでしょ。運動音痴の片足立ちとどっちが長く続くかレベルでしょ」
「ひどい言いようですね……」
とはいえこちらも想像できた。少なくとも、難しい話を嬉々としてする人間ではないだろう。
「おねいさんの一割は優しさで出来てるから、話し相手は選ぶよって話」
「はあ」
微妙な数値だ。
「つっても、麻耶と大貴に会えない理由は別にあるけど」
「僕としても無理に会わせるつもりはないです。でも大変じゃないですか? 麻耶さん、貴女のこと探してますよ」
「だよねえ。目ぇ盗んで君と話すのも一苦労だわ」
「ははは……」
――尻尾を掴んだ。
苦い微笑を崩さぬまま智大は分析する。
今の言葉が本当だとするならば、この公園に来るためには麻耶の目を盗む必要がある。言い換えれば、ミサキの自宅とぼうぼう広場の間に麻耶の目があることになる。麻耶の家はマンションだ。つまりここから見て、きぶし公園やマンションを通り過ぎて北上した先にミサキは住んでいるのではないか?
「黙っちゃってどしたん?」ミサキが顔を覗き込んだ。
「すみません、ちょっと気になってしまいまして」咄嗟に言い訳を考える。
「気になるってなんじゃらほい」
「麻耶さんや東さんとお会いしたがらない理由です。お話ししている感じ、お二人を嫌っている風にも見えなくて」
「へえ。でもあたしも気になるよ。逆に、どうして君はそこまでして麻耶の力になりたがるのか」
「それを餌にしたのはミサキさんじゃないですか。道理に合わない疑問です」
「君の身の回りについてはよく知ってるつもりなんだけどねえ。でも、君自身に対する理解は感覚的なものであって、理屈だったものじゃあない。そこに道理なんてないわけさ」
「なるほど。……人はわかり合えませんね」
それを聞いたミサキが愉快そうに笑った。後ろ髪を結んだ団子がこれでもかと揺れた。
「その通りだよん。別の脳を持つ別個体同士がわかり合えるわけない。だけど、心ってのは常に矛盾してるわけ」
「矛盾……」
「人って馬鹿だよ。目の前の事実を放り投げて、皆信じたいものに飛びつく。くだらない依怙贔屓で容易く惑うのが、人の心なんだ」
「……仰っしゃるとおりだと思います」
「浦本君も知ってるでしょ? 世界で一番身近な……それこそ苦楽を共にした家族とならわかり合えるって信じてる頭の悪いやつがこの世にはいんの」
『頭の悪いやつ』が誰を指しているのかは想像に難くなかった。
お隣さんとして、僕は彼女を庇うべきか――。思考に悩んで、それを見越したようミサキは続ける。
「ぬはは、その友人想いは一度引っ込めなさいな。あたしは別に、頭が悪いことが悪いことだとは思ってないよ。馬鹿にしてるんじゃなくて、馬鹿であるっていう事実を提示してるだけだから」
「はい」
「むしろそういうの超可愛くない⁉ マジヤバすぎなんだけど」
「いや唐突にギャルみたいな語彙で言われましても……」
「あたしゃこんなんだからね、家族の誰一人とも感性が合わなかった。その絶望的なまでの差こそが、あたしの胸を打つ家族愛。絵にもかけない美しさ、って浦島太郎にあるっしょ。それだよそれ」
ますます荒唐無稽なことを言っている。が、それは彼女が彼女たり得る一番の証明である気もした。
「共感は出来ませんが、理解はしました」
「うひょー! 理解してくれた!」
なんだかめちゃくちゃに嬉しがられた。
「言葉を額面通りに受け取るのって才能だと思うんだよね」
と。
「決めた。今日はカツサンド食う。ほな、またねい」
そしてあっという間に去ってしまったのだった。
ミサキに瓜二つの少女と偶然顔を合わせたのは、帰りのことだ。
まだら模様のエコバッグを持って、きぶし公園を通り抜けたところだった。
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