第39話
その日も麻耶は高架下の公園へと向かっていた。
正月のものか、はたまたクリスマスの使い回しか、道行く寒木にはイルミネーションが装飾されている。
あの二人は結局どうなったのだろう、と考えて、やっぱりうんざりしてやめた。わけわからんやつらのことを考えてもわけわからんだけだ。
凛が待っていたのは公園ではなく、その少し手前の小学校辺りだった。麻耶に気付くや否や「麻耶ちゃーん」とふにゃふにゃした声を上げ、手を振って近づいてきた。
「おはよ。今日も寒いね」
「だよねぇ、しもやけできちゃった」
凛は手袋越しに両手をこすり合わせたあと、彼女の自宅へと先導した。冬休みの課題を一緒に終わらせよう、という約束だった。
山岸家へのみちみち、凛は近くにできたテーマパークの話をした。そのテーマパークは雑誌でも紹介されていて、デートにぴったりなのだそうだ。それで、そのデートスポットを、凛は智大のためのとっておきにしているという。中でもジェットコースターが人気らしい。
麻耶にはどうでもいいことだった。どうでもいいことだったが、肩を並べてくっちゃべる凛を、どこか好ましく思っているのだった。
だからなのだろう。家についても、麻耶はなかなか本題を切り出せずにいた。
凛の部屋はいわゆる女の子の部屋で、別の話題を探すのには困らなかったが、それもせいぜい休憩に入るまでのことだった。
「そうだ、KGSはどうなったの?」
手作りらしいアイスボックスクッキーを皿に盛りながら凛は言った。
頂かないのも申し訳ないので一枚口に含む。市松模様のクッキーは見た目だけでなく、優しい舌触りと控えめな甘さが絶妙で、市販のものと比べても遜色ない出来だ。
「KGS?」
「長いから略そうって話しなかったっけぇ? 黒塚ぎゃふん作戦。略してKGS!」
「TKGみたいなノリだなあ……」
ツッコむだけツッコんで、その間に言葉を選ぶ。
「あたし、目ぇつけられた」
「目をつけられた? 誰に?」
凛が不安そうに首を傾げる。
なんかヤバい人格の浦本に、とは言いづらくて、
「黒塚さんの……執事」
「えっ」
気弱く濁したその時だった。ピンポーン、と割って入るようにチャイムが鳴った。
「誰だろ、ちょっと待っててねぇ」せかせかと部屋を出ていく凛。
間が良いのか悪いのか。そうやって安堵したのもつかの間、部屋まで届くほどの怒声が耳をつんざいたのである。
――なんなの!
思わずシャーペンを投げてしまった。何かあったのかと様子を見に行くと、凛が鬼のような形相で、内開きの玄関扉にもたれかかっていた。玄関前には真鍋治の姿もあった。灰色のネックウォーマーで口元を隠していた。
先に麻耶の存在に気付いたのは治だった。彼は楽しくなさそうな目元を幾分緩めて話しかけてきた。
「羽根田も来てたのか」
「真鍋……」
剣呑な雰囲気に、麻耶は名前を呼ぶことしかできない。二人の仲が悪いことはクラスメイトから聞いていた。
「さっさと帰ってよ。私たち勉強中なの」
いらいらした声で凛が言う。かなりの剣幕だが、治は怯むことなく言葉を続ける。
「話すこと話したら帰るっつってるだろ」
「どうせいつものやつでしょ。私の邪魔をしないでよっ」
麻耶は小さく首を傾げた。
「邪魔ってどういうこと?」
「こいついっつも止めてくるの。浦本はやめとけ、ってね。ま、立場上そうせざるを得ないんだろうけど」凛は言い聞かせるように、幼馴染を指差しながら麻耶を凝視した。「麻耶ちゃん、よく覚えといて。こいつが黒塚朱璃の――陰の協力者だよ」
「あのなあ」治はため息をついた。それから麻耶に話しかけた。「勘違いされてもあれだし、改めて自己紹介しとく。黒塚家使用人見習いの真鍋治だ」
麻耶が怪訝な表情で治を見る。使用人見習い? ということは、こいつも黒塚朱璃の関係者? 驚きもあったが、それよりは疑問が勝った。
「使用人見習い?」
「俺ん家は代々黒塚家に仕えてんだよ。使用人ってのはそういう古臭い慣習があるもんでな。悪目立ちするのも嫌だから、学校じゃあそのへんは秘密にしてんだ」
「協力者ってのは?」
「凛が勝手に言ってるだけだ。黒塚さんとの繋がりからそう考えてるんだろうが、生憎俺は使用人でしかない」
「ならなんで凛ちゃんを止めるわけ? ただでさえ黒塚さんとバチってるのに、幼馴染の君まで敵に回っちゃあ雁字搦めでしょ」
「浦本は……凛とは釣り合わねえ。だから俺個人としてやめとけって言ってる」
体のいい方便かもしれなかったが、言葉の意味は麻耶にもなんとなく理解できたのだった。
浦本智大。彼がどこかまともではないことには感づいていた。そして、彼の友人である治はそれをよく知っているのだろう。少なくとも、引っ越してきたばかりの自分よりは、ずっと。知った上で友人を続ける理由は気になるところだけれど。
……考えてみれば、朱璃が固執する理由も謎だ。
あの女は彼について相当詳しい。ルックスで惚れるタイプには見えないが、まあ、理屈っぽいの同士惹かれ合うものがあるのかもしれない。類友みたいな。
「意味わかんない。そうやって私を邪魔する理由を後付けしてるだけでしょ」
凛の口調は攻撃的だ。
その後、しばし会話が途切れた。緊張で五感が冴え、クッキーの香りが鼻を通った。寒風がやけにうるさく聞こえる。あたりの空気が質量を持っていて、上から圧し潰してくるような息苦しさだった。
少しして、治はネックウォーマーで目から下を覆い、眉間にしわを寄せながら、
「黒塚さんの通学鞄からGPSらしきもんが見つかった」
と言った。
私を疑ってるってわけ? と食って掛かる凛を横目に、麻耶は気が気じゃなかった。彼女は黒塚家を探っていて、その話を智大としたばかりなのだ。そのうち事情は話すにしても、今ここでばれるわけにはいかなかった。凛も嫌がっているし、適当に話をまとめつつ追い返すのが得策か。
それに――麻耶は鋭い目のまま、言い合う二人を交互に見た。
GPSらしきものとはなんだ。麻耶には心当たりがなかった。すると今の言葉は、凛への牽制のための嘘だろうか。いや、そうは思えない。協力者云々はともかくとしても治は使用人。牽制のためだけに黒塚家を巻き込む嘘をつく必要はない。
位置情報の特定、か。
考えられるのは、ほかにも黒塚家を探っている人物がいるということだ。GPSを仕掛けられているのが本当であれば、執事の智大が突っかかってきた理由にも説明がつく。だがもちろん、麻耶が仕掛けたという確証はない。実際、朱璃の位置情報なんて知ったところで何の意味もなかった。だから彼は、話に例の便箋を絡めることで、麻耶の腹の内を暴こうとしたのだ。
ただ……誰だ? 黒塚さんの居場所を特定したとして、一体誰が得をする?
麻耶は改めて治を見つめた。考えても仕方のないことだ。少なくとも、自分には関係がない。
真鍋、と彼女は口を開いた。
「細かい事情は知らないけど、あんまり凛ちゃんを詰めなさんな。証拠ないんでしょ」
治はばつが悪そうに目を伏せる。
「悪かった。見苦しいところを見せたな」
「凛ちゃんも元気出して。犯人じゃないならシャキッとしてりゃいいんだから」
「ん」とだけ言って、凛は無愛想にうなずいた。
「とりあえず、GPSの話は純粋に注意喚起として受け取っとくよ」
「その、すまねぇな、喧嘩に巻き込んじまって」
「いいよいいよ。使用人のこともばらさんほうが良いっぽいし、今日のあたしは何も見てない聞いてないっちゅうことで」
すまない、と彼は繰り返した。目をそらし、立ち去る素振りを見せたが、すぐに向き直して麻耶を見た。その目は迷いに揺れている気がした。
「羽根田」
「まだ何かあんの?」
治はネックウォーマーを触り、
「気をつけろよ」
そう呟いて立ち去った。
気をつけろって、GPSのこと? 訊こうとした頃には、すでに治はいなかった。
「気にするだけ無駄だよ。それっぽいこと言って誤魔化してるだけだから」
代わりとばかりに肩をつついたのは凛だった。
はっとして、麻耶は笑顔を浮かべた。
「大丈夫、わかってる。それより宿題の続きしよっか」
「うん! スフレも作ったから後で食べようねえ」
「体重は命より重いってのに……」
麻耶はそれきり課題に集中できないでいた。
誰がGPSを仕掛けたか。そんなもの、麻耶には関係ないはずだった。だが、もう一つの不可解な事件が彼女の心を惑わせていた。
あの便箋は誰のものなのか。智大の話を思い出し、それに引っ張られるように、最愛の笑顔が心をかすめる。
……あの姉さんに限ってまさかね。
一笑に付す想いで雑念を捨て置くと、麻耶はシャーペンをノックした。
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