第38話
「羽根田さん?」
「ういっす、どうもー」
女は軽薄に言った。似ているが麻耶ではなかった。まさか、この人が羽根田ミサキだろうか。間近で見てもかなり若い。むしろ麻耶より背が高いぶん、余計に子供っぽい印象を受ける。
貴女は、と口を開いたところを彼女に遮られた。「とりま買い物していい?」
「それはまあ、大丈夫ですけど」
「助かるー。ぱぱっと済ますからちょい待ちね。何買おっかなぁ」
一度店を出て、智大はガラス張りの壁から観察する。どこか浮世離れした雰囲気の女は、うぐいすパンと明太フランスを悩まし気に見比べている。
辻褄が合う、と彼は思った。本当に羽根田ミサキかどうかは一旦置いておくとして、彼女は名字を呼ばれても疑問一つ浮かべなかった。初対面の相手にも関わらずである。先程の口ぶりからしても、こちらを知っている可能性は高い。
買い物を見届けたあと、二人は商店街のはずれの公園へと向かった。人の代わりに草葉で賑わう、管理のかの字もない場所だ。ネームプレートが外れているせいで正式な名前はわからないが、女は『ぼうぼう広場』と呼んでいた。
「ま、ま、隣座んなよ。ここゴミ箱ないんだよなぁ」
女はわざとらしく明朗な声を上げる。枯れ葉を払い、ベンチに座りながら。
「はい」
爽やかな笑顔で智大は答える。
「ええと、さっきはすみません。友人に似ていて、つい声をかけちゃったんです」
「おっなになに、おねいさん口説かれちゃう感じ? 可愛い顔してプレイボーイだねえ」
「似てるだけですよ、本当に」
馬鹿なフリをして警戒心を解こうという算段だろうか。
智大も隣に腰掛けた。
表面上は談笑を取り繕っていたが、女は智大の警戒に気付いていたようだ。井崎ベーカリーの紙袋から明太フランスを取り出して、女は告げた。「あたしのこと疑ってんだ、浦本君」
智大の顔が強張った。
「犯人は貴女でしたか」
「ん、あの手紙かあ。違うっつっても信じらんないだろうし、そうだよって言っとく。いやあたしじゃないんだけどー」
やはり知っている。名前はおろか、便箋について知っていながら犯人ではない、なんてことがありえるというのか。
それに、なんだ、この黒塚朱璃の原液みたいな性格は。聞いていた話と違う。
「つーことはあれだ、麻耶からあたしのこと聞いてるわけだ」
「ええ」
「元気してる? あいつ忙しないし、変なボロとか出してなきゃいいんだけど」
「貴女が麻耶さんの姉なんですね」
それを聞いた女は、ふふん、とこれ見よがしにどや顔を作った。
「あたし羽根田ミサキ。ご存知のとおり麻耶の姉ちゃんね。気軽にミサキさんって呼んでちょ」
「…………」疑いの視線でじっと見る智大。
「いや目つき怖っ⁉ そんな警戒しないでよ、全然怪しい人じゃないから! ちょっとお話したいだけ!」ミサキは胸の前で両手をぶんぶん振る。
「怪しい要素しかないでしょう……。便箋についても知っているようですし」
「いやっ、便箋あたしじゃないし! 帽子もかぶってないっしょ、ほらっ!」
「えぇ……」
智大は対応に困っていた。変装について知っているあたり、少なくとも例の便箋の関係者だろう。一筋縄ではいかないと予想していたのだが、破れた米袋の如くぼろぼろ情報が出てきては逆にどうすれば良いのかわからなかった。しかも恐るべきことに、これが麻耶の言っていた真面目な姉らしい。
「まあ、わかりました。少しは信用してみます」
「あんがとね、なっはっは」
目の前の豪快な笑みとは対照的に、呆れ顔を浮かべる智大。……まあ、仮に演技だとしても、知っていることを話してくれているのは事実だ。
智大は思考した。急に顔が綻んで、その拍子にミサキが一瞬眉をひそめた。
「麻耶さん、貴女を探してましたよ」
「だよねえ。どうしたもんか」
「お会いにはならないんですか」
「んー、今はちょっと会えないかも」
ミサキは苦い顔をし、大きく首を振った。
「それはどうしてでしょう」
「なんていうんだろうね、色々事情があってめんどくさいっつーかぁ」
「もしかして、僕と話がしたいっていうのはそのことでしょうか?」
「間に入ってほしいとかじゃないよん。気が向いたときにでもこっちから会いに行くから。浦本君にはもっと個人的に話がしたくてさ」
やけに勿体つけるミサキに不信感を覚えながら、ミサキの目的について彼は考えた。まもなくして一つの推測が浮かんできた。
「口止め、ですか」
「正解。ま、理由はもひとつあるけども」
「ご存知でしょうが、麻耶さんは僕のお隣さんです。貴女を探すよう約束もしました。ミサキさんには申し訳ないですけど、伝えないということはできません」
羽根田姉妹を天秤にかけた場合、交友関係の深さからして麻耶を優先するのは自然だろう。であれば僕は彼女の隣人として、羽根田麻耶のためになる行動を取る。それが理論上正しい感情だから。
「はったりが上手いなあ。本当はわかってるんでしょ、そんなことしてもなんの意味もないって。だってあたしの居場所知らないじゃんね」ミサキは明太フランスにかぶりついた。うまー、などとへらへら笑っているが、その眼には鋭いものが宿っていた。「だからお願いしてるの。言ってくれたじゃん、あたしを信用してくれるって」
「少しは、とも言ったはずですけど」
「だったらなおさら黙っとくべきじゃない? 信用できないんでしょ、あたしのこと」
「脅しのつもりですか」
「まっさかあ。危害を加えるのが目的ならとっくにやってっから。単純に、黙ってたほうが互いにお得って話」
「なんかこの人の相手疲れるなぁ……」智大はため息に近い独り言を呟いた。
「それで、もう一つの理由というのは?」
「さっき話がしたいって言ったっしょ」
「話というのは一体」
智大の言葉の終わらぬうちから、ミサキはハイテンションで顔を寄せていた。大人の女性には不適切な評価かもしれないが、彼女の雰囲気はさながら好奇心に満ちた少女だ。
「話は話! 君もするでしょ、『今日天気いいっすね』とか、『近所の半チャーハンが旨かった』とか。『井崎ベーカリーの常連になんたらクイーンだかいう変なあだ名が付いてるらしい』とかさ」
「えっ」
ミサキの言葉は比喩には聞こえず、智大はかえって混乱する。話がしたいというのは、本当に話がしたいだけらしい。
「ガチ旨いのよ半チャーハンが!」
「いや半チャーハンはいいんですけど、話ってまさか世間話ですか?」
「そそ」
嘘だろう、と思いつつ、このような突飛さには慣れてもいた。おそらく朱璃のせいだ。
「理由をお伺いしても?」
「君のことが知りたいから、じゃ通らんかな。変な意味じゃないよ」
相対的に冗談ではなさそうな口調でミサキは言った。
理由になっていない気もしたが、智大としても、彼女を知るチャンスが増えるのはメリットだった。
「まあ、大丈夫ですよ。ダメって言ってもひょっこり現れそうですし……」
「やったぁ」
「今日だって、実はこっそりつけてたとかじゃないんですか」
「そんなことせんせん。麻耶とは違ってね」
ミサキは何食わぬ顔で言うのである。
――なぜだ? なぜこの人は、そこまで何もかも知りつくしている? ストーカーのことを麻耶と話したのは、深夜の二時だ。内容が内容なので大声で話したわけでもない。とてもじゃないが、盗み聞きできるとは思えなかった。それとも、この人も麻耶を監視していたというのか?
不意に立ち上がったミサキを、彼はぼんやり見上げることしかできない。残りひとかけらの明太フランスを口に放り込んだのだった。
それで我に返ると、ミサキの声が雪みたいに智大の上に降り落ちてきた。あたしゃそろそろ帰るよー、また話そうねぇ、と。
「ミサキさん、貴女は……」
「これあたしのメアド」
ミサキはそう言って、財布から紙切れを出した。智大の胸ポケットに忍ばせた。
「言うまでもないだろうけど、勝手にバラしちゃダメだよん」
「流石にそんなことはしませんよ」
「あっ、麻耶もそうだけど、大貴にもおねいさんのことは内緒。ほいじゃ」
疑問をぶつける間もなくミサキは去った。
大貴、とはおそらく東大貴のことだ。名指しで言ってきたあたり、執事周りのことも知っているらしい。
便箋について知っている理由も、智大と話したがる理由もわからない。改めて謎だらけな人だと彼は思う。
だが、わかったこともあった。羽根田ミサキは東を知っていた。麻耶の言葉は本当だったのだ。
黒塚家と羽根田家は、東大貴によって繋がっている――。
智大も腰を上げ、膝の上に乗せた紙袋を持ち上げた。塩パンの熱はとっくに冷めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます