第34話

 あからさまな変化にぎょっとした麻耶だったが、すぐさま表情を作り直した。


「覚えてるけど、それがどうかしたの?」

「これを見てほしい」


 智大はファイルを広げた。そこに入っているのは件の便箋だった。麻耶が頭をもたげて読み込む。


「『気もない女とベタベタしないで』。その日にこれが届いたの?」

「まあ、そういうことだね」

「……雰囲気に反して内容が正論すぎる。雰囲気超怖いけど」

「これを君に手渡された」

「は?」


 彼女の口から漏れ出たものは、声というよりは音だった。


「語弊があったね。正確には、羽根田さんの恰好をした何者かだ。公園でこの便箋を押し付けた後、マンション方面……こっち側に逃げてった」

「マジで言ってる?」

「うん。章信の話によれば、君はそいつを追いかけたんだよね。だからあの日もこの場所にいた。君も、その人を探しているんだろう?」


 麻耶はなおも智大を睨み、首を振った。


「同一人物かもしれないのはわかるけど、その話を信じろっての? あたしも必死だったから、公園にまで目はやってない。だからそのとき浦本を見たわけじゃない。章信君のは見間違いって可能性もあるし」

「それならこう主張してみようか。――章信が見たものは見間違いだった。君はいもしないニセモノを追いかけるふりして章信と別れ、一人になったタイミングで僕に便箋を渡した」

「そ、そんなのっ……」

「僕だって君を目視してないんだ。羽根田さんが怪しいことに変わりはない」


 智大は真一文字に唇を結んだ後、呆れたようにため息をついた。私の目的を忘れてはならない。


「よし、わかった。一度疑いあうのはやめよう。この期に及んで腹の探り合いなんてしても埒が明かないだろうからな」

「あんたの言葉に乗んのも癪だけど、そだね。んじゃ訊き直すけど、その人は確かにあたしの恰好をしてたの?」


 智大は深呼吸をした。静かに瞬きしてから喋った。「紺色の帽子、マスク、耳下に伸びたサイドテール、厚手のジャンパー。顔は見えていないけど、これらの特徴は間違いない。なんせ一目で君と見間違えたくらいだ」


「体格は?」

「一瞬のことだったからわからないな。便箋の方に気を取られてしまったのもある」

「ま、そりゃそうかあ。あたしでもそうなるだろうし」

「さらに言えば、体格はジャンパーやら靴やらでいくらでも誤魔化せる。あの人物を君だと認識した時点で、脳にバイアスがかかっていたんだろうな」

「その先入観的なのを利用した、と。一瞬ならボロも出ないだろうし、記憶にも残らないしさ」

「……ミスディレクションか」


 言葉にしてみて、まさにその通りだと思った。観客の目を真実から遠ざける技術。やり口としては手品によく似ている。

 一つの可能性が浮かび、けれどすぐさま消えたのだった。


 あれは屋敷で別れた直後の出来事だ。朱璃にできるはずがなかった。


「つまり、ニセモノはあたしの特徴を知ってるわけだよね」

「それだけじゃない。僕と羽根田さんの普段の関係性も知っていると考えられる。手紙を渡すにあたって、わざわざ羽根田さんの恰好をしたんだ。犯人はおそらく僕個人についても詳しい」


 どうやら心当たりがあるようで、麻耶は不可解そうに首を傾げた。


「あたしはともかく、浦本について詳しい? だとしたら誰が……」

「そこを話し合う前に、羽根田さんの目的について聞かせてもらおう。どうして黒塚家を探っていたんだ?」

「そだね、どっから話そっかな」


 麻耶がジーパンのポケットからスマホを取り出し、一枚の画像を見せてくる。例のお地蔵ケーキでは当然なく、そこには一人の女性が写っていた。

 長髪をポニーテールにくくっている途中の写真で、麻耶をちょろっとだけ成長させたような見た目だった。


「羽根田ミサキ。九つ上の、あたしの姉さん。数年前まで大学生で、卒業と同時に……音信不通になった。これは大学に入ってすぐの写真」


 麻耶は目を伏せた。


「勤勉で、真面目で、家族思いだった。でもちょっと独特で、姉として貫禄が出るから、なんて変な理由で髪伸ばしててさ。……立派だった。自慢の姉さんだった」


 語りながら、もう片方の手で胸元を押さえていた。麻耶の話はそこに痛みを伴っているのだろうと思った。


「その姉を探しているのか?」

「ま、シスコンなのは自覚してるよ。もう大人だから放っておけばいいってのも理屈では理解できる。でも、姉さんには彼氏がいてね」

「彼氏……」

「……東大貴。浦本も知ってるでしょ、屋敷で働いてんだから」


 麻耶はスマホの電源を切ると、あからさまに眉をひそめた。


 東大貴――。智大は軽薄そうな茶髪を思い出す。あの人が、ミサキさんの恋人?


「もちろん知ってる。業務内容までは流石に教えられないが、東さんは僕の先輩だからな」

「カードショップで章信君が言ったこと憶えてる? 『あたしを河川敷で見かけた』ってやつ。あたし、河川敷なんて行ったことなかったんだ。君も君であたしの顔に見覚えがあるって言ってたでしょ。……姉さんは近くに住んでると思う。それで情報を集めてたの」

「そうか」


 これで終わりと言わんばかりに姉の話を切り上げる麻耶。その瞳からは固い拒絶が感じ取れた。


「話を戻すけどさ、そのニセモノはあたしに詳しいわけじゃん。だからあたしは姉さんの可能性を追ってる。んで君はストーカーであるあたし本人を怪しんでる。てな感じでカオスだから、協力してその正体をはっきりさせよう。こういうことでしょ」

「話が早いな」

「オッケー。あたしからしちゃ乗らざるを得ないし」

「本当は朱璃様への弁明もお願いしたいが……まあ、今すぐにとは言わないさ」


 麻耶はファイルと智大の顔を交互に見た後、目を見開いた。


「意外と融通利くんだね」

「……章信の義兄としては、君に感謝してるんだ」


 打算だ、とは言わなかった。


「真相がまだわからないだろう。無理に話を聞き出すつもりもないが、便箋の人物を突き止めるには情報が足りていない」遠回しに言ってから、やっぱり普通に伝え直した。「僕は出来る限り公私混同を避けている。だから、羽根田さんの情報を他者に伝えることは決してしない。もちろん朱璃様にもな。……気が向いたらでいい。姉について話してもらえると、何かしら手立てが見つかるかもしれない」


 麻耶は沈鬱そうな顔を足元へ向ける。


 ともかく、釘は刺した。もし下手な動きをすれば、その瞬間朱璃様に突き出す。こうなった以上ストーカー行為は続けられないだろう。

 彼女としてもメリットはあるはずだ。便箋の人物が何者であれ、ニセモノが好き放題やっているのは不利益に違いない。もちろん羽根田さん当人でなければという前提があるが、彼女が便箋を渡す理由も今のところ見当たらない。


 何にせよやることは一つ。便箋の人物の正体を突き止める。


 智大の思考が切り替わった。まるで憑き物でも落ちたかのように、智大は穏やかな表情を浮かべた。


「これで話は終わり。こっちはこっちで探してみるから、進捗があったら報告するよ。急に呼び出してごめんね」


 浦本、と悲しげな目のまま麻耶は呟く。


「まだ何かあったかな」

「あたし、やっぱわかんないよ、あんたが何を考えてるのか。さっきから性格めちゃくちゃだし、でも、章信君には優しいし……」

「知りたいのなら、話すけど」


 麻耶は首を横に振り、「帰る」とだけ言って河川敷を後にした。早足で帰る彼女を見、智大も「僕もついてくよ」と駆け足で追った。

 マンションはすぐそこだけれど、大切なお隣さんとして、夜道を一人で歩かせるわけにはいかない――。

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