第33話

「こんばんは、羽根田さん」


 爽やかな声を耳にし、羽根田麻耶は顔を強張らせた。当然か、と智大は思った。いくら仲のいいお隣さんといえど、夜中の二時に呼び出されたら警戒する。ましてや彼女は察しがいいのだ。

 きぶし川の河川敷にきている。日中は賑わうグラウンドも、夜になれば砂漠のように静かだ。


「で、話って何」麻耶が智大に鋭い視線を投げかけた。「こんな時間に呼び出しておいて、まさか章信君の礼ってわけじゃないでしょ」


 智大は思考する。


「それもあるよ。お互い様とはいえ君には助けてもらったし。いや、今後も章信と仲良くしてもらえると嬉しいって思ってる。君のことを気に入ってるみたいだからね」


 麻耶はやりづらそうに目線を外した。


「それも、ってことは本題じゃあないんでしょ」

「その通りだ」


 智大は執事として思考し直した。すると人が変わったかのように彼の顔が引き締まった。


「単刀直入に訊こうか。……貴女の目的はなんだ?」

「なんでそんなことを話さなくちゃいけないわけ? あたしが何しようが関係ないでしょ」


 彼の人格については薄々感づいているようで、麻耶も臆することなく睨み返す。昼間の人生ゲームが何かの間違いだったみたいに、吐き出される言葉たちが互いを刺していた。


「それは私が」そこで智大は考える。業務時間外で私と呼称するのは不適切かもしれない。であれば、私のことは僕と呼ぶのが正しいか――。


「関係ないかどうかは僕が決める」

「詭弁だね。その論がまかり通るなら、どんなプライベートも詮索できちゃうけど。前提としてあたしを悪だと決めつけてるんだもん」


「そうか」智大は怒りを露わにスマホを取り出した。もとより素直に話してくれるなどとは期待していなかった。「逆説的な話をすると、羽根田さんが悪であるという客観的証拠を提出すればいいわけだ」


「証拠?」


 一層身構える麻耶に、智大は写真を見せつけた。そこには、黒塚家に張り付く麻耶の姿が写っていた。


「この日だけじゃない、別の日の写真だって何枚もある。火曜日と木曜日だけでこの枚数なんだから、実際はこれ以上につきまとっているのだろう」

「あんたこそ――」


「ああ、僕こそストーカーだって主張は通らないよ」智大は冷静な口調で先手を打った。「僕はあの屋敷の従業員だ。厳密に言えば朱璃様個人のだが、少なくとも契約書は交わしている。その従業員が屋敷周辺にいることは何らおかしな話ではない」


 麻耶は狼狽した様子を浮かべた後で口を開いた。


「理論武装は完璧ってわけね」

「いずれ破綻するやりとりなんて時間の無駄だろう」

「時間の無駄、とは言ってくれるじゃん」

「客観的事実を述べたまでだ。さて、話してくれるかな」


 麻耶は押し黙ってしまう。追い詰められていることは自覚しているものの、踏ん切りがつかないといったところだろう。


「話さないのであれば、このやり取りは終わりだ。一部始終を朱璃様にご報告しなければならない」


 冷酷に告げ、そのまま踵を返そうとする智大に、麻耶は叫んだ。「待って!」


 智大が立ち止まり向き直る。


「それはさせない。黒塚さんにだけは、絶対に……」


 殺意と呼んで差し支えない感情を麻耶は抑えなかった。全身が震えていて、今にも喉元に飛びかかってきそうである。


 追い込みはここが限度のようだ。

 次の一手を考えて、智大は申し訳なさそうな態度で頭を下げた。


「すまなかった。最近何かと物騒でね、少しピリピリしていたんだ」智大は繰り返す。「すまない」


 さすがに引き際はわきまえているようで、麻耶は激情を引っ込めた。


 今のやり取りで一つわかったことがある。――彼女は朱璃様の味方ではない。

 人は追い込まれたときに本性を現す。互いに互いを知っていそうな雰囲気があったので、朱璃の身内である可能性も考慮していたのだが、今の焦りようからしてそうではないようだ。


「いつ気づいたわけ? あたし、簡単に見つからない場所に隠れてたと思うんだけど」

「最初に疑問を持ったのは挨拶の日。無意識だったのだろうけど、貴女は僕のことを浦本さんと呼んだ。表札が『大西』なのにも関わらずだ」

「……ふうん」

「少なくとも僕のことは、挨拶の日より前から知っていたことになる」

「それだけが理由であたしをつけた、ってことはないでしょ」

「…………」


 ふうと吐いた息が白く凍った。

 彼は気になっていた。水族館のチケットを貰った日、なぜ朱璃は『身の回りの変わったこと』を訊いてきたのか。安直に考えれば、彼女の身に何か事件が起きて、それについての確認をしていたのだと想像できる。


 一応は無害だった麻耶を本格的に尾行しはじめたのはそれが理由だった。主人の危機とあらば、最大の容疑者は見過ごせない。


「さて、朱璃様にも警察にもこの件を伝えず真っ先に貴女に接触したのには、二つ理由がある」

「……何?」

「一つ目に、事態を穏便に済ませたい。羽根田さんなら知っているだろう。朱璃様はおしゃべりな面が目立つが、人の話には耳を傾けるお方だ」


「ははーん」麻耶は言いたいことを吞み込めたようだ。「要は話し合って解決しろと」


「そういうことだ。貴女は話の通じる人間だと知っている。他者に害をなさないこともね。だからこそこの提案を持ちかけた」智大は安心させるようなトーンで言う。


 全くの嘘ではないが半分は打算で、麻耶にヤケクソを起こさせないための提案だった。


「なるほどね」

「こちらとしても、貴女の妨害そのものは本意じゃない。目的はあくまで朱璃様の脅威を排除することだからな」

「言いたいことは理解したよ。それで、二つ目は?」

「貴女と僕の目的が、一致しているかもしれない」


 智大はショルダーバッグを開き、そこから一枚のファイルを取り出した。それと同時に、の記憶を呼び覚ました。


「僕がクリスマスプレゼントについて相談した日、覚えてるかな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る