第32話

 こうやって改めて向かい合ってみると、麻耶の雰囲気はいつもとどことなく違って見えた。無論初めて『麻耶姉ちゃん』と相対しているからだろうが、それだけではないような気もする。

 学校での麻耶は、姉ちゃんと呼ぶにはやんちゃすぎる雰囲気があって、どちらかというと妹側の立場だ。黒塚家を嗅ぎまわる行動力も相まって、いかにも振り回す側といった性分の人物である。それと比べるとギャップがあってどうにも慣れない。だが、カードショップのときと同じく、章信とのコミュニケーションを蔑ろにしないその振る舞いは学ぶべき部分がある。


 ところが、今目の前に座っている麻耶からは気負いのようなものも伝わってきていた。僕の思考と似たようなことをしているからだろうか、と智大は思ってみた。


 バラエティ豊かなイベントにそれぞれ悲喜こもごもしながら、時折たわいのない話を交える。

 章信の番が回ってきた。


「えっと、『飼い犬がテレビで人気者に! 五万円もらう』」

「……僕の給料より高くない?」

「名犬じゃん」


 言いながら、麻耶は五万円を手渡した。プレイヤーと銀行員を兼任している。


「次は僕だね。三だけはやめてほしいなあ」


 娯楽を盛り上げるべく智大もそれっぽい笑みを作った。


「そういえば……」


 ルーレットを回したところで智大は切り出した。


「昨日はどんな感じだったんだ? 一緒にご飯を作ったって章信言ってたけど」


 ある程度の顛末を推察しながら、智大はごく自然にそう言った。麻耶は一瞬身構えたようだったが、当然ただの世間話に口ごもることもない。


「スーパーで一緒に材料買ってさ、小っちゃいケーキ作ったの」

「へえ、すごいなあ」

「ま、作ったって言ってもスポンジにクリームとか挟んで苺乗っけた簡単なやつだけど」


 ちなみにこんな感じね。麻耶は身を乗り出してスマホの画面を見せつけてきた。アラザンやクッキーで彩られたケーキが七つ、地蔵みたいに並んでいる。

 智大はコマを進めた。給料日。引っ込んだ麻耶からお札を受け取る。


「それにしても、七個ってちょっと中途半端だな」


 智大は思わず口に出す。


「一つあたしが味見したの」

「あれ? 我慢できなくて写真撮る前に食べちゃってたけど」


 素直な声で章信が言った。愛らしい顔だ。慌てた様子で麻耶が手を振り「ちょっ、恥ずいじゃーん」と愛嬌を返す。それで、章信もつられてあたふたして、トマトのよう赤くなった顔を背けた。


「ほ、ほら、次麻耶姉ちゃんの番だよ!」

「ほいほい了解」


 流石に終盤ともなると、回しにくいルーレットにも慣れてきたようだ。麻耶はスムーズに手番を進める。


「よーしビンテージギターゲット! えっと、なになに、ルーレットを回して出た目で値段が決まると」

「なるほど、ビンテージだから偽物の可能性もあるわけか」


 智大が言った。


 麻耶は間髪入れず回す。「こういうのはね、変に祈っちゃだめなわけ。敢えてお祈りフェーズを挟まないことで確率論を踏み越えていく」


「よくわかんないけどすごいや!」

「数学テスト九十点超えの言葉とは思えないな……」


 新たな祈りの形を麻耶が見せつける中、ルーレットは止まった。出た目は七。……外れだ。


「外れだね。五千円だって」

「やっす! 中古のウクレレかい」


 智大は義弟を流し見た。「次章信だよ」と声をかけるまで、ずっと隣の麻耶を見ながらもじもじしていた。

 結局、中古のウクレレが勝敗をわけたようだった。終始順風満帆だった章信が一位で、麻耶は「くぅ、やっぱ祈祷は段階踏まなきゃだめか」と、変なところで悔しがっていた。まあ、その中古のウクレレすらない智大がドベだったのだが。


 午後の早い時間にはゲームの片付けが終わった。想定より昼食が遅れてしまったが、章信も麻耶も特に気にしている様子はない。


「楽しかったよ。そいじゃ、お邪魔しましたー」


 玄関近くで麻耶が言うと、智大は「待って羽根田さん」と告げ、自室から急いで一枚の紙きれを持ってき、


「これ」


 と、変わらない笑顔で手渡した。折りたたまれたそれを開いて読むと、麻耶はほんの一瞬だけ顔をしかめたが、こちらも普段の表情でポケットにしまった。


「どうしたの?」


 背後で章信が首を傾げる。


「こないだ借りた消しゴムを返し忘れてたんだ」


 さらりと嘘をついた。自身が壁になっているので、目線の角度からして麻耶の手元は見えていないはずだ。


「義兄さんが⁉ 消しゴム忘れちゃったの?」

「そんなに驚くことかなあ」

「だって、義兄さんがそんな失敗するなんて思えなくて」

「そりゃあ、僕だって完璧じゃないからね」


 そこで会話が途切れた。

 ドア前で突っ立ったままの麻耶に向き直り、智大は言った。


「また話を聞かせてね」

「了解。……明日にでも」


 麻耶が口元にだけ愛嬌をたたえた。

 そうして踵を返す直前、二人の視線が一つに重なった。束の間に過ぎないことであったが、彼女が瞬きすらせずじっと智大のを見ている気がした。

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