第16話
扉の向こうでは朱璃が、トランプをシャッフルして待っていた。にこやかな笑みで促され、もう一度朱璃の正面に座った。
穏やかな笑み、からかうような笑み、満面の笑み。朱璃様は普段からよく笑っているが、それらの裏にはそれぞれ意味があることを、智大は最近理解した。その中でも今浮かべているにこやかな笑みは、手品を始めるときの合図であった。
「今日は有名な手品をお見せしますわ」
右手から左手へとカードを滝のように流す朱璃。カードが落ちる小気味よい音と、その美しくも不可思議な技術に、早くも魅入ってしまいそうになる。
「かしこまりました」
「とはいえ、普通にお見せするのもつまらないですわね。ひと手間加えましょう」
朱璃は斜め上を向いて考え始める。それから「運命と迷い人」ぼそりと呟いて、「三秒で考えたにしては良い響きですわね。今から語られる物語は、題して『運命と迷い人』」急に演技じみた口調で話し始めた。
朱璃はテーブルにトランプを起き、撫でるようにして扇状に広げた。カードには様々な数字が描かれており、種も仕掛けもないように見える。
「好きなカードをお選びください」
「では……こちらのカードを」
智大はスペードの4を選んだ。
選んだカード以外がまとめられ、トランプは再び山札となる。スペードの4を朱璃が手に取り、「彼は迷い人です。虚構の世界を旅する、愛おしい迷い人――」そう言ってうっとり眺めると、山札の中に無造作に入れた。
「迷い人は逃げていました」念入りにシャッフルしたあと、パチン! と指を鳴らした。山札の一番上のカードを表にする。「そう、大いなる運命から」なんとスペードの4だ。
「運命は追ってきます。逃げようが隠れようが、運命は天から彼を引っ張り上げるのです」
それをもう一度山札に挿し込んでシャッフルした。指を鳴らしてめくる。またスペードの4。
アンビシャスカードか。
智大はうろ覚えの知識を引っ張ってくる。アンビシャスカードとは、指を鳴らす度に特定のカードが山札のトップに上がってくる手品だ。演出がわかりやすい上に幅広く、カードマジックの代名詞として名高い。
「そう、運命は人智を超えていました。世の理など通用しません」
カードを裏返しの状態でテーブルにばらまき、まとめなおしてから指を鳴らし、一番上を見せる。スペードの4。
「実体を持っているようで眼には映らず、どこか意思を感じながらも触れ合えない。神にも近しいそれは、実に曖昧なものでありました」
山札の真ん中に挿し込み、今度はシャッフルしない。指を鳴らしてめくる。スペードの4。
「迷い人は悩みます。運命とはなにか? 足掻いた先の結果が運命なのか、それとも、運命によって結果すらも確定しているのか」
シャッフルしてトップをめくる。……ダイヤの7。「谷を超えても、海を超えても、答えなど見つかりません。ただ一つわかることは」失敗かと思ったのもつかの間、朱璃が指を鳴らし、ダイヤの7に右手をかざして擦る。するとなんと、カードがスペードの4に変化した。「死力の限りを尽くしたとて、運命からは逃げられないということです」
「ああ、どうしよう。苦しむ迷い人に運命は告げます。『わたしと貴方は引き裂けませんよ。だって、世界は一つしかないのだから』」
スペードの4を手にとってこちらに見せつけ、「自分はなにゆえ迷い戸惑っているのだろう? この身体にのしかかる実体のない重荷はなんだ? 運命の意味するものは? 世界の果てまで辿り着いたとき、とうとう迷い人の心が折れてしまうのです」目の前で軽く折ってみせた。また山札に挿し込む。
「そして、世界の果てもまた世界の内。運命は彼の居場所を浮き上がらせます」
デックをよく見ていてくださいね、と念を押してから、指を鳴らす構えをした。
パチン。
音がした瞬間、トップのカードが山なりに盛り上がった。めくって見せつけてくる。やはり、スペードの4だった。
智大の知っているアンビシャスカードはこれで終わりだった。しかし迷い人の物語はまだ終わっていない。
朱璃は折れた迷い人を逆向きに折って元に戻した。
「運命を前に絶望する迷い人。彼はどのような決断を下すのでしょうか? 物語の結末を見届けましょう」
そう語って、山札を左右の手で二つに割り、裏返した迷い人を右手の山札に半分ほど挿し込んだ。それをこちらに突き出して、「最後の一歩が踏み出せないようですわ。どうか浦本様の手で、彼の背中を押してさしあげてください」と言った。
言われるがままにカードを押した。まるでさよならを告げるかのように、迷い人が山札へと戻っていく。
完全に山札と同化したところで、トップのカードがめくって置かれた。……ハートの5。もう一枚めくる。ダイヤのエース。まだまだめくる。ダイヤの4、クラブの2、スペードのジャック。
一体どういうことかと主人の顔に目を移し、驚く。山札に消えたはずの迷い人が彼女の口にくわえられていたのだ。
カードを口から離すと、朱璃はいたずらっぽく目を細めてみせた。
「運命とは即ち、命を運ぶもの。人の身では抗えない事象である。命あるものが死ぬように、受け入れざるを得ない事実なのだ。そうやって世界は循環する。これまでの長旅を振り返り、迷い人は悟りました。そして運命の真の意味を知り、感涙にむせび、迷い人は運命と……一体になりました。深く、深く、もう迷うことなく、幸せに」
終幕は、夜の帳のように静かだった。
智大は拍手した。その瞬間、部屋に張り詰めていた緊張感が弛緩した。
「素晴らしい手品をお見せいただきありがとうございました」
「楽しんでいただけたようで何よりです」
「しかし、ずいぶんと物騒な物語でしたね。あの結末には何か意図がおありなのでしょうか?」
「……ただの思いつきですわ。なにしろ三秒で考えましたので」
「左様でございましたか」
正体不明の『運命』に追われ続け、果てには心が折れて飲み込まれる。独特のふんわりした語彙のせいで深い意味まではわからなかったが、彼には救いのない話に思えた。……朱璃様のお言葉に深い意味などないかもしれないけど。
改めてテーブルに目を落とし、端の濡れた迷い人が目に入る。なんだかそれが他人事のようには思えず、智大は胸に引っかかったものを覚えた。
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