三章 インビジブルデック

第15話

「お嬢様とは上手くやってますか?」


 黒塚家のキッチンで一日置きに聞く声を、料理の傍ら耳に入れる。それでふと、屋敷の使用人たちは朱璃に嫌われていたことを思い出した。朱璃様には『東以外の使用人とは関わるな』と命令されている。けれど当の東は主人を気にかけていたり、今みたいに関係を気遣ったりしてくれるから、以前聞いた不仲という話がどうにもピンとこない。


「まことに恐れ多いですが、ここ最近はお食事をご一緒させていただいております。それと、手品を拝見する機会も増えました。私の反応をお楽しみになっているようです」

「それは良かったっす」

「恐縮でございます」

「相変わらず堅いっすねえ」


 東が困ったような口ぶりで言うので、智大はコンロの火に目を逸らし、フライパンを振るう。


「ところで東様、お尋ねしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」

「いっすよ。なんすか?」

「使用人の皆様は私のことをどのように認識されているのでしょう? なにぶん、お話しする機会がございませんので」


「あー……」冷蔵庫の中身を確認しながら、東がぼそりと言う。「コスプレさせられながらこき使われてる彼氏っすね」


 衝撃の言葉に肩が跳ねた。動揺を圧し殺しながら、

「左様でございますか」静かに答えた。


「可哀想な目で見られてます。みんな彼氏連れ込もうがどうでもいいってスタンスなんすけど、よりによってお嬢様に好かれるなんてあの男の子も災難だなーみたいな」

「まさか、朱璃様より私の心配ですか?」

「俺だって気に食わねえっすよ。なんて言うんでしょうね、先輩たちも頭が固いっていうか、お家柄的な考えに拘ってるところがあるんすよね。使用人たちも皆そういう家系みたいなのがあるんで。その辺の考えがお嬢様とは合わないみたいっす」


 話しぶりからして屋敷での東様は、良く言えばバランサー、悪く言えば板挟みの立場らしい。


「まあ、関わるなオーラ出してるのはお嬢様のほうだし、先輩たちの気持ちもわかるんすけどね。それにしてももうちょい気遣いとかあってもなって。つっても俺新人だから何も言えねぇし」すねるように東が言う。


 ネギを刻む手が止まった。ステンレス鍋をぼうっと見た後、視線を東に動かした。


「朱璃様は、その、やはりご両親のことで?」

「聞いたんすか?」

「はい。とはいっても軽くですが」


「えっと」東は眉根を寄せた。「お願いとかする立場じゃないのはわかってます。でも、できればでいいからあの人を……お嬢様を幸せにしてほしいっす」


「……善処いたします」


 夕食ができあがる。別れの挨拶をし、朱璃の部屋へと運びはじめる。トレイには二人分の食事が乗っている。長い廊下を渡り、ドアを開く。お待たせしましたと言い、テーブルに並べていく。白米、味噌汁、焼き鮭、だし巻き卵。促されるまま智大も座る。いただきますと言い合って箸を取る。擦り合わせでも言われたように、執事として朱璃様に寄り添うべきなのかと考えた矢先、


「お悩み事ですか?」と正面に座る彼女が平坦な声を出した。


「いえ」智大は咄嗟に否定する。


「そうでしたか。なんだか考え込んでいるように見えましたので」


 先日のカフェでの一件もそうだが、朱璃様の鋭さには度々驚かされる。隠すだけ無駄な気がしてきて、しかし何を以て寄り添えるのかわかりかねた。笑ってやることか? 業務を全うすることか? それともただそばにいることか?


 朱璃は優雅な割に速いペースで夕食を食べていく。あっという間に焼き鮭がなくなり、智大もペースを合わせた。この食べっぷりはいつ見ても真似できそうにない。


「そういえば浦本様」


 味噌汁を飲み干したところで朱璃が顔を上げて言った。


「いかがなさいましたか」

「この前お見せしたスプーン曲げはいかがでしたか?」


「素晴らしいご手腕でした」主人の気を良くさせるため、智大は食い入るような演技をした。「スプーンが次々と曲がったり折れたり、まさに変幻自在と呼ぶに相応しい手品でした。とりわけ印象深かったのは最後のスプーンです。実際に私の手で確認させていただいたスプーンが簡単に曲がっていくのですから、本当に不思議です」


「そうでしたか。それで、なにか気になったことなどはございましたか?」

「いえ、不自然な点は見受けられませんでした。一言でスプーン曲げと言ってもバリエーションに富んでおり、観客を飽きさせないための工夫がなされていたように思います」

「ふふふ」


 朱璃が笑う。世辞っぽい言葉遣いではあったが、忖度ない評価が欲しい、という契約を智大は守っていて、朱璃もそれには気づいていたようだった。


 ごちそうさまでした。言い合って智大は立ち上がる。食器をトレイに乗せて運ぶ。だだっ広いキッチンにはもう誰もいない。東様は今頃ダイニングルームだろうか。そわそわする身体を抑えながら、智大は食洗機に食器を入れた。時刻は午後の六時半だ。智大は東の話が気になっていた。首を突っ込むつもりはないが、屋敷で働いている以上、情報を集めておくに越したことはない。東様から何か引き出そうか、などと一瞬考えたが主人の部屋へと戻った。


 忘れてはならない。契約を結んだ執事として、優先すべきは朱璃様ただ一人だ。それ以外に価値はない――。

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