第17話
智大はノートに手品の評価を書きまとめていた。
こんなことをしている理由は、智大の性格にあった。
智大は妥協を嫌っていた。手品を評価するという仕事において、主人に中途半端な感想を伝えることは許されなかった。無論、今までの仕事も例外ではない。概要を全て文章に起こして言語化し、その上で綺麗に整えて伝えていた。
勉強や料理にも時間を割きたいので、普段は昼休みに済ませている。しかし、『運命と迷い人』とやらの評価に難航してしまい、やむを得ず放課後に教室でまとめることにしたのである。
この行動もまた、普段学校で済ましていることは学校で済ませねばという、律儀な思考からくるものだ。
「治は帰ったかな……えっと、浦本君」
少女がおずおずと尋ねた。それと同時に、やりづらそうな様子で智大は顔を上げた。
「卓球部には入らないよ」
「違うよっ、勉強を教えてもらいたくて」少女が数学の教科書を智大に見せた。気まずそうに俯く。「わ、私はそもそも勧誘反対派だし」
智大は苦笑した。
「それはごめんね。また誘われるのかって思うと流石にさ」
「ううん、みんながしつこすぎるのが悪いよ。確かに浦本君はすごいけど、入らないって言ってるんだから聞いてあげないと。本当にみんな無理やりなんだから」
「バイトも始めちゃったし流石に諦めてもらわないと。
「わ、わかった。流石に困るもんね。でもみんな聞いてくれるかな。私もなんだけど、ほら、みんな浦本君のすごさを見てきてるから」
「すごくなんかないよ。すごかったとしても、全部過去の話だ」そう言ってから智大は、誰もいない教室を見渡した。「勉強するんだろ? 隣座りなよ。今日バイトないからさ」
「とな、り……うんっ、じゃあ、お願いします」
「どこを教えてほしいのかな」机を合わせた。
凛は驚いて金魚みたいに口をぱくぱくさせる。声という声を出さず、すごい勢いで教科書をめくり始める。
夏休み前の出来事だ。凛のやつ、普段はあんなへっぽこじゃないんだけどな、と彼女の幼馴染である治は言っていた。しかし凛は凛で、こいつの言うこと真に受けちゃだめだよ、とマジトーンで反論する。そして、普段は口を利かない二人が珍しく会話したと思ったら、次の瞬間には喧嘩が勃発していたのである。
「真鍋ん家って実はちょっとした金持ちらしくてさ、人間関係とか色々複雑らしいんだよ。昔から明るい割に微妙に浮いてたし、幼馴染に至ってはあんなんだしさ。良いやつではあるんだけどな」――二人の喧騒から離れた場所で、智大はクラスメイトにそんなことを耳打ちされた。要するに治と凛は不仲らしかった。
誰とでも卒なく関われそうな真鍋治にも、苦手な人間がいると知ったのは、そのときだった。
感想ノートをしまい、智大は凛の教科書を覗いた。
「二次関数?」
「う、うん」
凛は指をもじもじさせる。
「具体的にどういうところが苦手なのかな」
「なんだろう……定義域とか平方なんたらとか、いまだによくわかんなくて」
「なるほど」ノートのペケがついている部分を智大は指差した。「この問題間違えてるだろ? ここから見ていこうか。ちょうど最大値と最小値の問題だ。この場合、定義域は2から4で――」
シャーペンの先端で要点を示しながら智大が教えると、凛もその部分を赤ペンでチェックしていった。続けて問題を解いていく。すぐには覚えられないようで、問題と要点を交互に見ている。
解き終わって答え合わせをして、「浦本君は、もう卓球はしないの? そんなに強いのに」一息ついてから凛が言った。
智大は眉をひそめた。
「そのつもりだけど、やっぱり来てほしい?」
凛はあたふたと両手を振った。
「ち、違うよ。もししない理由があるならみんなを説得できるかなって」
「そういうことか。でも、理由って言われてもな」
意外と難しい質問に智大は悩んだ。しない理由はなかった。けれど、する理由もなかった。中学に進学して部活動の話題が出てきたところ、最初に誘ってきたのが偶然卓球部で、ある程度運動しなければならないという義務感で始め、卓球を続けねばならないという卓球部のタスクを三年続けただけだ。卓球そのものには何の愛着もなかった。
「モチベーションがないからかな。単純に興味がない。もちろん嫌いではないけど、それだけって感じ。中学の頃からこんなスタンスだよ」
凛は愕然と目を見開いた。
「それで地区大会までいったの?」
「まあ、運もよかったと思うけどね」
凛は考えるよう唸ってから口を開いた。
「たまたまで県三位は無理……だと思うけどなあ。そうとう努力しないとだと思う」
「そりゃ僕も、勝つための努力はしたよ。試合の目的は勝つことだから」
「でも、興味がないんだよね?」
「興味なんて関係ないよ。卓球の目的は勝つこと。勝つっていう目的があってこそ卓球のルールが成り立ってるんだから、ルールに沿った努力をするだけ。喜びとか、楽しさとか、そんなのはない」
言葉選びを間違えたかもしれない、と智大は言ってから思った。
しかし凛は目を輝かせ、智大の方にのめった。
「ルールに沿ってただ勝つ……。ストイックだね!」
「……そう?」
「うん! 浦本君うちの中学でなんて呼ばれてたか知ってる? 『要塞』だよ、『要塞』。なかなか崩せない鉄壁の守備と、疲弊したところに打ち込む大砲のような一撃! なんか、浦本君の強さの秘訣が少しだけわかった気がしたなあ」
早口で喋る凛は、大好きなヒーローについて語る少年のようだった。かと思えば、「あっ、ご、ごめんね、勝手に盛り上がっちゃって」と声を漏らして、またおどおどと縮こまった。
「それで、おさらいなんだけど、これだけは覚えておくべきみたいなのはある……かな?」
「困ったらグラフを書いてみることかな。最大最小の答えはそこにあるし、書くことでこの手の問題にも慣れていくから。あとは出題のパターンを覚えること。一見複雑そうだけど問題の型自体は決まってるから、それに対応した公式を当てはめれば大丈夫だよ」
「そ、そっか。今日はありがとう、浦本君」
「お役に立てたなら嬉しいよ、あはは」
智大は今日も嘘をつく。
いそいそと勉強道具をしまって、凛は椅子から立ち上がった。「またねっ」
その後智大は手品の評価ををまとめ、少し遅れて教室を出た。職員室に鍵を返し、グラウンドで楽しそうにサッカーに励む治を見、なぜか目を離せないまま校門をくぐった。駅に着いて電車に乗ると、ノートを見返していた。
『10/21(水) コイン貫通マジック
11/2(月) スプーン曲げ
11/13(金) アンビシャスカード』
ノートを見返す途中で、ある殴り書きが目に留まった。
『※目的は手品の評価』
仕事内容を履き違えないため過去に書いたものだ。それを見て、智大の頭にふと疑問が浮かんだ。
なぜ手品を評価してもらいたいのだろう。
始めて仕事をしたあの日、手品をより良くするための意見が欲しいと言っていた。完成度を上げたいのであればプロを呼べばいいし、ただ感想が欲しいだけなら最初からそう言えばいいはず。具体的な最終目標を聞いていないので、評価の軸に困ることはこれまでも多々あった。
とはいえ自身の淡白さを自覚している智大にとっては、ある程度理屈で判断できるぶん感想よりも評価のほうがありがたかった。感想を求められたところで世辞しか出てこないのは目に見えていた。
まあいい、と智大は考える。
主人のお考えと業務内容は全くの別だ――冷たい顔で智大はノートを閉じた。
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