第18話
智大は手品の評価を述べていた。手元にノートはなく、読み込んで暗記した内容をぺらぺらと喋っている。テーブルを挟んだ向かい側で、朱璃が塩パンを食べながら聞いていた。
評価を全て話し終え、彼は笑顔を作った。朱璃は感心の表情を浮かべたが、そこには驚きの色も混ざっていた。
「語りの評価まで詳細にしていただけるなんて、大変でしたわよね」朱璃様が訊いてくる。
「お気遣いいただき恐縮でございます。しかし、私は仕事をこなしたまでですので」
「……常に完璧ですのね。たまには肩の力を抜かれてもよろしいのに」主人は静かに紅茶を啜った。「それにしても、そうですか、不気味な語りだった、と」
つかの間の沈黙のあとで、智大は頭を下げた。「ご気分を害してしまったようでしたら、まことに申し訳ございません」
「いえ、自分で語っておいてなんですが、暗い話だとはわたくしも感じておりました」
「あの語りはアドリブだったとのことですが」
「そうですわ。トーク力を磨くための試みです。もちろん手品はエンタメですので、口数を増やすだけでなく、より惹きつけるトークを追求すべきなのですけれど」
唇を尖らせながら少女は唸った。
朱璃様が言うには、「手品とは、人を驚かせ、そして笑顔をお届けするものですわ」とのことらしい。
「浦本様はどうでしょう。明るい話とシリアスな話、どちらの方が良いと思われますか?」
智大は曲がりそうになった背を伸ばした。
「相手によると申すとそれまでではありますが、一般的には明るい方がウケが良ろしいのではないかと」
「やはりそうですか」
確かに楽しませることが目的ですものね、面白さを感じるメカニズムについてもっと学ぶ必要が――などと、二つめの塩パンをかじりながら朱璃は呟いている。
朱璃様の笑いに対するストイックさには目を見張るものがあった。単に面白い手品を目指すだけでなく、その目指す過程すらも本人は楽しんでいるのだから、娯楽に造詣が深い人間だと思った。その一方で、自分には真似できないだろうとも思っていた。
業務を終えた後、智大は更衣室に向かった。ドレス、タキシード、ウィッグ。アパレルブランドの家らしい室内を眺めながら私服に着替え、給料をもらうためにもう一度朱璃の部屋へと向かった。
「黒塚さん」お笑い番組の録画を鑑賞していた彼女に緩く声をかけ、「本日のお給与ですわ」封筒を受け取る。
礼を言ってカバンにしまい、踵を返そうとしたところで引き止められた。
「どうしたんだ?」
朱璃はポケットから紙切れを取り出した。そうして智大に近づいてき、
「実は先日、水族館のペアチケットが手に入りましたの。よければご一緒にどうですか」
と言って見せてきた。
智大はきょとんとした表情を浮かべた。
「本当にいいの? 僕、めちゃくちゃつまらないと思うけど」
「よくなければお誘いいたしませんわ。それに、以前約束してくださったじゃあありませんか。『暇そうなときにでも』って」
「それはそうだけど」
約束を破ることは許されない。いたずらっぽい笑みから智大は目をそらした。それを見た彼女が面白そうに笑った。
「ふふ、真に受けないでください。嫌なら嫌で構いませんから」
「別に嫌とかじゃあないんだ。でも……」
智大はそれきり黙った。ただの知り合いとはいえ、黒塚さんの好意を無為にはしづらかった。
薄く引き伸ばされた沈黙のなか、つけっぱなしのテレビが妙にうるさく聞こえた。朱璃は彼を見つめている。次の言葉を待っているようで、智大は、困ったように口を開いた。
「楽しみかたがわからないんだ」
「楽しみかた、というのは水族館のですか?」
「うん。こんなこと言うのもあれだけど、魚なんか見てどうするのかなって思うんだよ。研究調査とか生態系の保護っていう側面があるから施設そのものの必要性はわかる。でも、娯楽として水族館に行く意義がいまいち理解できないんだ」
沈黙。「なるほど」と一言返ってきたきりまた静まる。
気を削ぐようなことを言って済まない。そう言おうとしたとき、こともなげに朱璃の口が開かれた。
「言われてみればそうですわね。部屋にこもって手品の練習をしているほうが楽しいですし。……わたくしもわからなくなってきましたわ」
「えっ」
予想外の切り返しに智大は戸惑った。
誘う側の言葉じゃないだろう。水族館よりもこの人の思考の方が謎だ。
かと思えば朱璃はぶつぶつと独り言を呟いて、勝手に納得したように目を見開いた。「ねえ、浦本様」名前を呼んで仕切り直す。
「うん?」
「改めて、わたくしと水族館に行きませんか? わたくしも水族館の楽しさは今ひとつわかりかねますが、そんなもの、実際に行ってから見つければいいのです。楽しければ笑えばいいですし、つまらなければそのことを笑えばいい。どちらでもないのもまた一興ですわ」
「楽しさを見つけにいくってことか」
「はい。これであれば、貴方の望みにも繋がるかと思いますの」
朱璃は楽しそうに喋った。「つまらないことを笑う」とはなかなかに性格の悪い発言だ。こうなることを見越していたのか、それとも今思いついた言葉なのか。智大には真相を知る由もない。
智大は笑顔を作ると、チケットを受け取って、目を通した。
はこべら水族館。
館名を読み上げてみせる。
別に断る理由もない――。いつも通り消極的な考えと共に、財布へとしまった。
「まあ、僕でいいなら付き合うよ」
「ありがとうございます。日時については、後日お手紙をお送りいたしますわ」
「手紙? メールアドレスは渡したと思うけど」
智大は素っ頓狂な声を上げた。朱璃は上品に笑ってみせる。
「メールでも良いのですが、大切な言伝は、手紙のような形の残るものを送るよう心がけていますの」
「それは、ずいぶんと丁寧だね」
形の残るもの。几帳面だと思ったが、契約書を用意してくれたのも彼女だったと考えると妙に得心がいった。
「これも淑女の嗜みですわ。……その、初めてのデートですし」
少し照れたように指をもじもじさせてから、ふう、とため息をつき、
「長々と申し訳ありませんが、もう一つだけお話があります」
と珍しく真面目な顔で言った。
「うん?」
ここ数ヶ月の付き合いの中でも初めて見る表情に緊張が走る。朱璃はやっぱり考えて、それから重い口を開いた。
「身の回りで何か変わったことはございませんでしたか」
「変わったこと?」
「どんな些細なことでも構いません。もしも変わったことがあればおっしゃってください」
本気で心配そうな表情に気圧されて智大は思い返す。しかし、誰かに心配されるような「変わったこと」が起きていたとして、智大がそれを忘れるはずもない。
「昨日、山岸さんに勉強を教えたくらいかな。変わったことというか単に珍しいってだけだけど」
精一杯絞り出した答えを言うと、
「へえ……山岸さん」朱璃はぞっとするほど低い声を出し、しかし次の瞬間には優美に笑っていた。スカートの裾をつまんで礼をする。「貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。もう大丈夫ですわ」
「……そう? 役に立ったのならよかったけど」
「はい。本日もお勤めご苦労様でした」
智大は小さく会釈すると、部屋を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます