第12話

 口に手を当てて朱璃は笑った。動きやすそうなワイドパンツを履き、上にはベージュのコートを羽織っていた。昨日屋敷で見たばかりなのに、全くの別人のよう見えてしまう。


「この人って……」寝起きのように何度も目を擦ったあと、麻耶は頭からつま先までじっとり見て、立ちすくんでいた。


 なぜこんな庶民の店にいるのかと戸惑っていると、朱璃が近寄ってきた。麻耶の真ん前に立ち、品定めするような目で見つめ返してから喋った。


「羽根田麻耶様、ですね」

「えと、はい」

「面と向かってお話するのは初めてですわね。わたくしは黒塚朱璃と申します。以後お見知り置きください」


「こ、こちらこそ」麻耶は明らかに動揺していた。「同じクラスだった、でしたよね、よろしく、で、あります」


「普段のお言葉で構いませんわ」

「ありがとうご……ありがと。こないだ浦本さんの隣に引っ越してきたの。これからよろしくね」

「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」


 朱璃がキャップを見て微笑んだ。


「お帽子、素敵ですわね。とても似合っていますよ」

「あ、ありがとう。これあたしのお気に入りでね、よくかぶってる……の」

「羽根田さんリラックスリラックス」


 会話というよりは面接だった。

 挨拶が終わったあとも、麻耶はガチガチに固まっていた。麻耶が深呼吸し、智大がなだめる。そんな二人のやりとりを横目で眺めながら、振り返りざまに朱璃がぼそりと呟いたのである。



 ――邪魔されても困るわね。



 意味はわからなかった。本当にそう言ったのかも曖昧なくらい静かだった。けれど、なんだか嵐の前の静けさのように思えた。

 そう思うのには理由があった。転校日に麻耶の様子を窺っていたこと。そして、あんなにも一緒に帰りたがっていたはずの朱璃がここ数日間、それも業務の日すら一人で下校していたこと。もっとも、後者は「おやつの買い足しに行っていた」とのことだったけれど。どちらも取るに足りない理由であったが、懐疑心の強い智大は、答えが出ないであろう疑りをさらに深めていた。


 そして気がつけば、三人で100円ショップを回る流れになっていた。智大も麻耶も、世間話に乗せられるまま朱璃についていっていたのだ。


「そういえば、お二人はなにをしていらっしゃるのですか?」


 朱璃は質問を投げかけてきた。宝石のような笑顔だが、その平坦なトーンからは感情が読みとりづらい。


「今日は街の案内をしてるんだ。羽根田さん引っ越してきたばかりだからさ」


 その辺で小物に目を輝かせている麻耶に代わり、智大が言った。


「そうでしたのね。……わたくしも、今度の擦り合わせが楽しみですわ」

「中間が終わってからだけどね」

「試験後のご褒美だと思えば、勉強のモチベーションも上がりそうです。素敵なカフェを紹介してくださるとのことでしたから」

「変なことを言うんじゃなかったな……」


 その屈託のない笑みに智大は思わず視線を落とした。そのときはじめて、朱璃の買い物かごの中身に目が行った。智大はぎょっとする。驚くことに、かごには溢れんばかりのスプーンが入っている。


「なんだそれ?」

「スプーンです」

「えっ、いや」

「フォークも入ってます」


 彼女の発言はボケなのか天然なのか時々判断がつかない。


「いやいや見ればわかるよ。そうじゃなくて、なんでそんなに買うのかなって」

「全て手品用ですわ」

「手品って、スプーン曲げ?」

「ええ。一度曲げたものは使いまわせませんから、多めに買っていますのよ」

「そんなこともできるんだ」

「近いうち貴方にもご感想を頂きますわね」


 智大はうなずきかけてとどまった。ノリで一瞬流されそうになったが、いくらなんでもこの量はおかしい。しかも動く度にガシャガシャ鳴っている。


「やっぱり買いすぎだろ」

「予備ですわ、予備。備えあれば憂いなしです」

「金銭感覚がどうとか以前に純粋に重そうなんだけど……」


 朱璃はさらに燃費の悪いことに、「あっ、これ、手品に使えそうですわ」と、木彫りのフクロウをかごに入れた。入れた、というよりは、乗せた、だったが。

 いつの間にか置いていかれていた麻耶が商品のペンケースを持って戻ってきた。


「何の話してたの?」

「食器の話ですわ。こう見えてもわたくし、スプーンやフォークの品質を一瞬で鑑定できますのよ」長い人生で一度くらいは役に立ちそうな特技をドヤ顔で答える朱璃。


「お二人はさ、結構仲いい感じ? 感想がどうとか聞こえたんだけど」


 何か盛大に勘違いしているようだ。麻耶は、勘ぐるように言った。


「わたくしの唯一の学友です。彼には普段からお世話になっていますの」


「ね!」とキラキラした笑みを向けてくる。「いや。ね、言われても」冷静に智大。


 執事の仕事を頼まれたあたりから察しつつあった。このお嬢様はおそらく、気品高さとじゃじゃ馬が高純度で混じった奇跡の生命体だ。


「……今日は案内ありがと。あたしそろそろ帰るよ」


 それとごちそうさん。麻耶がにやけた顔で言った。……間違いなくそういう関係だと思われている。

 否定しようと咄嗟に口を開いたが、焦って否定したらそれはそれでガチっぽく捉えられてしまいそうなので、


「お役に立てたみたいでよかった。道はもう大丈夫そう?」


 と、平気な顔で言った。


「ま、あとは慣れかな。人に頼りっぱなしじゃ覚えられるものも覚えらんないしさ」

「そっか、それじゃあまた学校で」

「二人ともまったねー。来週から中間ファイトぉ」


 一足先にレジへと向かう麻耶に、智大は手を振った。


「さて、浦本様。お買い物を続けましょうか」


 それが当然みたいな雰囲気で朱璃はさらっと言った。


「なんで羽根田さんと出かけたのに黒塚さんと一緒になってるんだ……」

「これも運命のめぐり合わせでしょう」朱璃はまた適当なことをほざいている。


 それで、智大はやっぱり、朱璃の麻耶への態度を引っ張っていた。本当に二人を会わせて良かったのだろうか。

 いや、現に顔合わせは何事もなく終わっている。家が近ければクラスも一緒なので、どちらにしろ二人が会うのは時間の問題ではあったのだ。


「羽根田さんとは仲良くできそう?」智大はそれとなく言ってみた。まるで保護者ですわね、まあ実際にお夕飯を作っていただいていますけど、と朱璃は冗談を返す。


「きっと良い関係を結べますわ。……羽根田様」


 ハスキーな声でそう言うと、店を出ていく麻耶の背中を一瞥した。

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