第11話
智大は402号室のチャイムを押した。麻耶との約束の日だ。
扉の向こうからけたたましい足音が聞こえてきた。勢いよく開かれると、「おはよ」ビリジアンのジャンパーを着た麻耶が飛び出してきた。頭には紺色のキャップを被っており、ウーパールーパーの缶バッジがついている。
「元気だなあ」
「笑う門には福来るって言うじゃん」麻耶はニイっと白い歯を見せた。
作り笑顔を返してから、智大は先行して街を歩きだした。手始めにおすすめのスーパーが知りたいとのことだった。
智大は右手に見える建物を指差し、次に正面を指差した。
「僕がよく行くのはそことそこの二つかな。右のシーバスってとこは野菜が新鮮で、公園の向こうのイエローテイルは肉類が安い」
「うんうん」麻耶はメモを取っている。
「あと、そこの道を進んだところにも少し小さい店があるんだけど、あそこはお米の配送をやってくれるんだ。ちょっとだけ値は張るけど、運ぶのが大変そうなら使ってみてもいいかもね」
智大の言葉に麻耶は感心の表情を浮かべた。新生活に光明でも差しこんだかのような目になった。
「めっちゃ頼りになるわぁ。訊こうとしてたこと全部言ってくれるし、ほんと助かる」
「いやそんな」智大は戸惑ったように両手を振った。「大したことじゃないよ」
「いやいやありがたいよ。近くにいくつもスーパーあったら逆に困ってしゃあない。前に住んでたとこなんて一番近い店すら結構歩いたんだから」
「田舎から来たって言ってたね」
「そうそう。すごいよ。どこ行っても山と田んぼばっかで、坂道もやたら多くてさ、しかもなんか化け猫の伝説とかあんの」
「今どきそんな迷信みたいなのがあるんだ」
「爺さん婆さんしか信じてないけどね」
ふと麻耶の顔を見て、それから目が離せなくなった。既視感。智大は立ち尽くしたまま、自身の記憶を探った。
少しすると麻耶は視線に気づき、彼を見上げた。
「じろじろ見てどしたん? 惚れた?」
「いや、以前この辺りで君を見かけた気がしたんだけど、流石に気のせいかと思ってさ」
「うわっ、ガチでナンパじゃん。引くわぁ……」
「惣菜屋に連れてくナンパいないだろ……」
「てかそれあたしじゃないね」麻耶はけろっと言い、んー、と唸ってから、「下見で一回ここには来たけど、あのときは帽子とマスク装備してたし」と、答えた。
「完全に不審者だなぁ」
「マスクはともかく帽子はお気に入りだから外せんわけですよ。こだわりポイント的な」
「なるほど」
「大事な挨拶とか学校のとき以外はだいたい着けてるかも」
これ可愛いでしょー、と缶バッジを見せつけてくる麻耶。お気に入りやこだわりといったものは、智大には到底理解できない感性だった。
それから彼女は感傷に浸るように、
「でも、そっかぁ」
としみじみ言った。
「なにが?」
智大が訊く。
「いやさ、さっきの見かけた気がしたって話、ちょっとわかるなーって思って」
麻耶は、智大の顔ではなく腹のあたりを見ながら答えた。
「やっぱり会ったことがあるってこと?」
「会ったことがあるってか、初めて話す気がしない、って感じ。そういう人たまにいるくない?」
「……そう?」
「いや反応うっす! 会話広がらんて!」
前とは違って、今日は中身があるようでない会話を、仲良さそうに繰り返しながら、二人は街を歩いた。
「そそ、あたし断然米派でさー」
「日本人って感じだね。でも、ご飯のことで周りと揉めたりはしないの? うちは義弟がいるんだけど、肉肉ってうるさくて」
「そういえばないなぁ。父ちゃん母ちゃんは美味けりゃいい精神だし。ま、ただ貧乏舌なだけだけどさ」
「……そうなんだ」
出身地は田舎町。家族構成は、口ぶりからして少なくとも両親は健在らしい。敢えて回りくどい訊き方をしてみたが、自分から進んで両親のことを話すあたり、家族仲はそれなりに良好とみえる。父ちゃん母ちゃん『は』という言い方から他にもいる可能性も窺えるな――。
甘い笑みを浮かべながら、智大は内心冷徹に麻耶の情報を集める。
スーパーを一通り訪れて、次は本屋に向かった。以前住んでいた田舎町のことを話しながらも、漏らすことなくメモを取る麻耶。朱璃と出くわさないよう、屋敷とは別方向にあるドラッグストアへと案内する。
そしてここならば大丈夫だろうと高を括ったのが間違いだったのだ。麻耶の要望で100円ショップに入ったとき、
「あら、浦本様。ごきげんよう」
全てを予知していたかのように朱璃はいた。
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