第25話

 黒塚家三階の窓からは、朱璃の声が漏れている。昨日のデートについて東大貴と会話しているようだった。お土産のクッキーのことを喋っている。中二病かお家柄かは知らないが、相も変わらず妙ちくりんな口調だ。

 屋敷全体から昼食の音が響いていて、そのせいで細かい内容までは聞き取れなかった。匂いもこちらまでは届かなかったが、食器の固い音につられて腹が悲鳴をあげた。

 心なしか、朱璃の声はどこか楽しげに感じた。計画とやらの話だろうか、智大の名前がちょくちょく話題にあがっている。


 浦本とのデートは上手くいったわけね――屋敷の外の柱の裏、窓から死角になった場所で、麻耶は聞き耳を立てていた。

 弾んでいたはずの会話がピタリと止んだ。音から察するに朱璃も食事を始めたらしい。このあとのスケジュールを含めてそろそろ潮時だと感じた麻耶は、抜き足で黒塚家を去った。


 きぶし公園に到着し、そのままマンションには帰らず立ち止まった。取り出したスマホを起動し、地図アプリで隣町へのルートを辿った。徒歩で二十分程度の距離だった。お気に入りのキャップを被り直し、サイドテールも整えて、麻耶は改めて歩きだした。

 駅を越え、道中立ち寄ったスーパーでおにぎりを数個買い、不安になって地図を見直した。智大に頼りたいと思ったが、今回ばかりはそうもいかない。


「へー、やっぱお兄ちゃんモテるんだ。確かにかっこいいもんね」

「うん! それにねそれにね、義兄さんって色んな人に優しくて、卓球も強くて、ご飯も美味しくて、それで、勉強も教えてくれるんだ」

「少女漫画に出てくるイケメンじゃん……。しかもアルバイトもしてるんでしょ? やっぱあれかな、接客かなぁ」

「セッ、キャク? よくわからないけど、最近は毎日働いてるよ。前までは火曜日と木曜日が休みだったんだけど。あっでも、毎日ってわけじゃないみたい。フテイキ? って言ってた」


 昨日の会話を思い出す。お互いの欲しいカードを交換して仲良くなったあとの会話だ。兄のアルバイトについて、章信は詳しく知らないようだった。仕事内容が特殊なので家族には伝えていないのだろう。

 気になるのが、最近は毎日働いているらしいという点だ。しかし、火曜と木曜は屋敷から智大の気配がしない。彼の性格からして夜な夜な遊び歩いているとも思えない。一体どこに出かけているというのか。


 不可解な点はまだあった。転校日に若干の躊躇いを見せた彼が、突然仲良くしてくれるようになった理由はなんなのか。彼は丁寧に街案内をしてくれたし、今でもちょくちょく世話になっているので、それについては感謝している。

 しかし、それはただの優しさや気まぐれではないと確信していた。見かけこそほんわかした優等生だが、本性はかなり冷淡だと思われる。真相を探ろうにも、表情や仕草からは何一つ感情が読み取れない。カードショップでのやりとりには若干のすら感じている。……浦本智大は謎が多い。



 隣町に着いた。麻耶は地図を頼りに歩き、高架下の公園に入った。


「おーい」そのとき近くから声がした。振り向くと、待ち合わせ相手の山岸凛がブランコに座っていた。ライム色のセーターを着込んでいる。


「ああ、凛ちゃん」彼女も手を振り返した。


 凛が駆け寄ってきた。こっちだよ、とベンチに案内される。きぶし公園と比べて狭い場所だ。遊具が少ない。立地ゆえに薄暗く目立たない公園だが、手入れはしっかりされているようだった。


 ベンチに座り、膝上にコンビニの袋を置くと、麻耶が喋った。


「それで、要件はなにかな?」

「要件ってほどじゃないんだけどね。麻耶ちゃんとは前々からお話したいなぁって思ってたんだ」


 隣に座る凛が、砂糖菓子のような笑みを浮かべた。

 あっ、時間のかかるタイプの女だ――。長期戦を予想した麻耶は、一つめのおにぎりを取り出した。


「嬉しいよ、あたしも凛ちゃん可愛いなーって思ってたから」

「ほんと⁉」

「ほんとほんと。あー梅がうめぇ」

「嬉しいなぁ。麻耶ちゃんって頭もいいし、お友達も――」


 建設性をシュレッダーにかけたような会話が続く。しびれを切らしては負けだと思いつつ、こちらから何か切り出すべきかと思索していたところ、凛が言葉を漏らした。


「麻耶ちゃんって、浦本君と仲がいいよね」


 朗らかに話す凛の目は笑っていなかった。

 ペットボトルの水を飲み、麻耶は口に残る酸味を流した。要件は智大絡みの牽制であると察し、あくまでしらばっくれながら続けた。


「偶然お隣さんでさ、街の案内なんかもしてもらったんだ」

「へー」

「垢抜けてるっていうの? かっこいいよね。変に気取ってないところが都会のスマートイケメンって感じ」

「……そうだね」

「しかも浦本、最近黒塚さんといい感じらしいの。ありゃ付き合うのも時間の問題だね」


 麻耶は、気に触れそうな言葉をかたっぱしから並べていった。すると見事に刺さったらしく、凛は眼光を鋭くし、顔を強張らせた。


「麻耶ちゃんはぁ、なんで黒塚さんの味方をするのかなぁ」


 言葉遣いこそふわふわと間延びしていたが、今度のそれは明確な敵意に満ちていた。


「黒塚さんというより浦本の味方かな。色々お世話になったからさ」


「質問に答えてほしいな」凛はゆっくり立ち上がると、正面から麻耶を見下ろして、どすの効いた声を発した。「浦本君の味方をすることと、浦本君を黒塚とくっつけようとすることって、全然繋がらないよね。なんであいつの味方をするのかな」


 いよいよなりふり構わなくなった凛を見上げて、麻耶が鼻で笑った。


「そんなの、あたしに都合がいいからに決まってんじゃん」

「他人と他人が付き合うと都合がいい? よくわからないなぁ」

「わからないならそれでいいよ。あたしらこそ他人なんだし」

「麻耶ちゃんもあの女の味方ってわけ?」


 腹の底を見せまいとする遠回しな詰め寄りかたに、麻耶はため息をつく。


「味方味方って、結局何が言いたいのさ」

「黒塚の『協力者』なのかって私は訊いてるの」


 ビニール袋に手を突っ込む麻耶。それを見た凛が、身構えて数歩後ずさる。緊張で空気が張り詰めた。が、麻耶が取り出したのは二つのおにぎりだった。


「凛ちゃんも一つ食べる?」

「え?」


 凛が素っ頓狂な声を上げた。


「たらことおかかがあるんだけど」

「は、はぐらかさないでよっ」

「いや質問には答えるけどさぁ。なんか、真っ昼間から女二人が男でギスんの虚しくない? 当事者のおらん場所でエネルギー使ったところで何の実りもないでしょ」

「あー……」


 途端にどうでもよくなったように、会話の熱が冷めた。凛は、少しむすっとした顔で隣に座りなおした。

 そんなつもりはなかったのだが、結果的にしてやったみたいな空気になってしまった。


「どっちがいい? おすすめはおかかね」

「……じゃあおかか」

「ほいよ」


 そう言っておにぎりを手渡した。パックを剥いて食べる。ありがと、と小さく呟いて、凛も食べた。そうして雰囲気がクールダウンしたところで、麻耶が言った。


「信じるかどうかは勝手だけど、あたしは黒塚さんの協力者じゃないよ」

「そなんだ」

「で、凛ちゃんはどうしたいの? この話を持ち出したってことは、浦本と付き合いたい感じ?」

「それを知ってどうするの」


 麻耶の問いに、凛が警戒した顔を浮かべた。


「別に」と、麻耶。


 荒っぽいエンジン音が頭上を通り過ぎたあと、彼女はぼそぼそと喋った。


「ま、いいや。話すよ」

「信じるの?」

「もし協力者ならこんなこと隠しても無駄だからね」

「うひゃー、バチバチだなぁ」

「ほんっと腹立つんだよあいつ。治の次に腹立つ。痛い喋り方しちゃってさ。なーにが『貴女に浦本様は御せませんわ』だよ、前歯へし折りたくなるわ」

「今度一緒にカラオケぶっ通そうか」


 その先は上手い慰めが見つからなかったので、誤魔化すようにおにぎりをかじった。たらこがぷちぷちして美味しい。

 協力者とやらは初耳だったが、実際、智大と付き合うためにあれこれ画策していることは知っている。……モテたい欲はちょっとあるけど、あんなとんでもないやつが付きまとうのもそれはそれで考えものだ。


「私、黒塚をぎゃふんと言わせたいんだ」


「ぎゃふんねぇ」古臭い言い回しに麻耶は苦い顔をした。「殴り込みにでも行くん?」


「まさか。犯罪なんて起こさないよ」

「じゃあやっぱり」

「そうっ、浦本君を奪うの! いい感じだってのは噂で聞いたけど、私と相思相愛になっちゃえば関係ないもんね。そしてゆくゆくはベッドにインして――」

「あんたもやべーなぁ……」


 麻耶はため息をつき、幸せそうにトリップしている少女から目をそらした。おにぎりの最後の一欠片を飲み込んで、「いいよ」と、小さく呟いた。


「んぇ、何の話だっけ?」凛が現実に帰還した。


「黒塚さんに、何? あふんだっけ? 言わせるって話でしょ。それ、あたしも乗る」

「えっなんで」

「あたしに都合がいいから、ってさっき言ったけど、ちょっと当てが外れつつあってね。見返りと言っちゃあなんだけど、ちょっと人探しを頼まれてほしいの」


 麻耶は藁にもすがる思いで両手を合わせた。こんなことを頼める友達は他にいなかった。


「人探し?」

「うん。実はあたし、身内を探してて」

「それくらいは別にいいんだけど」


 凛は腑に落ちないようだ。


「その……黒塚に全面協力って感じじゃないのはわかったよ。だとしたらわざわざ敵対する理由もないんじゃないかなって」


 凛は真意が知りたいようだった。

 麻耶は顔をしかめた後、弱々しく笑った。まるで普段の愛嬌など存在していないかのように。


「黒塚さんには何もないよ。因縁も、恨みも」


 それは事実だった。もとい、事実であると信じたかった。黒塚さん個人に禍根はないが、彼女は敵を従えているのだ。



 東大貴――。



 男の姿が脳裏をよぎり、麻耶は歯ぎしりした。

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