第24話

 ホウボウの顔は、言われてみれば愛嬌があるように考えられなくもなかった。アニメキャラのような丸い目をしているからだろうか。「天使みたい」についてはよくわからなかったが、一般的な魚のイメージと比較して珍しい姿をしていることだけはわかる。


 欠けている――。

 こういうとき、智大は決まって思う。


 鑑賞する対象が存在している事実。浦本智大という個体がそれを見ている事実。主観的な感想、感情が欠けている事実。だから智大は思考をする。


 思考、というのは智大の特殊な感覚であり考え方だった。心揺さぶられるであろう場面に出くわしたとき、智大は正解を思考する。義兄として嬉しい、とか、執事として嘆かわしい、とか、型にはまった正解である。

 人に理論上湧くであろう感情を、そのときそのときの状況に合わせて計算し、分析結果をカセットみたく脳にはめ込んで、組み込まれたプログラムどおりのリアクションをするのだ。まるで、人そのものをするかのように。



 たっぷりと長い一日だった。四時を過ぎ、午前中に見られなかった水槽を鑑賞し終えた。ロビーに戻ってきても、智大は空虚に笑っていた。朱璃がそんな智大の手を引き、エレベーターへと連れて行った。


 二階のお土産コーナーは、カップルらしき男女が多く見受けられた。店側もそれを想定しているようで、色違いのアクセサリーやペアマグカップなんかが取り揃えられている。

 そんな不要物たちを無視して朱璃はグラスを手に取る。爪で優しく叩く。音からしてプラスチックのようだ。側面にはチンアナゴがプリントされている。


「これ、手品に使えそうです」

「やっぱり評価基準そこなんだ……」


 気になったものを次々とかごに放り込む朱璃。


「このカード、ポーカーサイズじゃありませんのね。こっちにしましょう」


 商品棚とにらめっこしながら意味のわからないことを呟いている。買い物かごが派手に埋まっていく。智大は覗き見た。100円ショップのときといい、この人は商品で積み木でもしているのか、と疑問を抱きながら、


「そんなに買って大丈夫?」


 と、智大が尋ねた。質問の意味を飲み込めていないようなので、


「お金、大丈夫なのかな? 普段の出費も考えると馬鹿にならないと思うけど」


 と、主語をつけて訊きなおし、「この前だってスプーンを買いこんでただろう? 流石に心配でさ」と付け足した。


「ご心配いただきありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。お金なら腐る程持っていますから」


 動じない微笑のまま、朱璃は言った。腐る、という言葉が朱璃に不似合いだったから、智大は少し驚いた。

 会話が完結したので、「大丈夫ならよかったよ」相槌だけ打って智大もお土産を買った。両親の好物であるサブレと、章信の好みにマッチした面白グッズ。三分で会計を済ます。朱璃の買い物が当然まだなので、再度隣に付き添う。


 もはや金を使うことが目的と言わんばかりの買いっぷりだ。これはデートなので、「このストラップ、君に似合うと思う」などと言って雰囲気を盛り上げたいところなのだが、これ以上に盛り上げるのは流石に躊躇われた。そんな智大の葛藤に反し、朱璃は店中を小走りで駆け巡った。


 結局、両手いっぱいのお土産を持って帰ることになった。胸いっぱいの疲労もサービスで。

 智大は満足そうな面持ちで、帰りの電車に乗り込んだ。荷物を智大に預けているために、朱璃の両手は宙ぶらりんだったが、それにもかかわらず、電車の中で手遊びをすることはなかった。

 行きと同じく隣の座席に腰掛けながら、朱璃は言った。


「申し訳ございません、荷物をお持ちいただいて」


 膝の上に乗せた二つのビニール袋を見、朱璃がそわそわと身体を揺らして座りなおす。


「それにしてもたくさん買ったね」


 あはは、と冗談っぽく笑うと、朱璃は智大をじっと見つめた。


「はしたないところをお見せしてしまいました」


 しゅんとして言う。でもそのすぐあと、


「とても楽しかったですわ」


 と言った声にも確かに感情が込められていて、智大は安堵した。

 しかしデートはまだ続いている。頭の中で話題をサルベージして、朱璃に振った。


「そういえば、黒塚さんってなんでそんな喋り方なの?」掘り出されたのは治の疑問だった。「これ訊くの今更な気もするけど」


 朱璃は悩ましげに、そうですわね、と言う。それから一転、数秒後には明るい顔を向けてきた。


「想像してみてください。――月明かりの照らす部屋。揺らめく暖炉の炎。幻想的なドレスを着た女性が、紅茶を嗜んでいます」

「はあ」

「月夜を眺めるその瞳は、美しくも力強い。そして、誰もが魅せられるようなカリスマを放ちながら言いますの、『今宵も月が綺麗ですわ』と」

「うん。……なるほど」

「優美で格好いいじゃあありませんか!」

「まあ、言いたいことは伝わったよ」


 朱璃の目はこれまでになく光り輝いていた。予想はついていたが、要するにカッコつけているらしい。治には悪いが、朱璃の学校でのイメージを考えて、この事実は胸にしまっておくことにした。


 駅に着いた。袋を両手で持ち上げ、電車を降りた。そのまま先行して改札を抜ける。冬ということもあってか、空はすっかり暗くなっていた。


「ご近所だけど、一応家まで送っていくよ。荷物も重いしね」

「ご配慮痛み入りますわ」


 朱璃は妙に形式張った口調で返すと、続けてくいっと智大の顔を覗いて、


「浦本様はいかがでしたか?」


 今日の『結論』を求めてきた。


「そうだなあ」


 かけるべき言葉を思考する。デートの是非、タスクの遂行。「とても有意義だったよ」


 駅の隣のコインパーキングの、白い車を見ながら言った。朱璃は物足りなそうな顔をしている。


「それではだめです。もっと説明してください。何が、どう有意義でしたか?」


 朱璃の目が好奇心で輝いている。答えるまで駅を出るつもりはなさそうなので、智大は頭で言葉をまとめた。朱璃は子犬のようじっと見つめながら待っている。


「二人で周ったことが」


 告白みたいになってしまった。智大は詳細に説明しなくてはと思い、


「水族館の楽しさはよくわからなかった。でも、黒塚さんといるといつも新しいことに気付けるんだ。……ミスディレクションとスリの話とかさ」


 と、言った。


「褒めてもこれ以上は引き出せませんわよ」


 くふふ、と朱璃が満足そうに笑い、それからようやく歩き始めた。


 黒塚さんが笑っている。自身も有意義に感じている。総合的に見て、タスクは成功したように思う。

 智大には、しかしそれはどうでもいいことに思えた。彼女といるとドキドキする。大事なのはそのことだけだった。


 駅ときぶし公園のちょうど真ん中辺りで、不意に朱璃の足が遅くなった。少女の名残惜しそうな顔を智大は見逃さなかった。かと思えば、右手の袋を取られた。


「もうちょっとだけ……」


 そこから先を言い淀み、朱璃は空いた右手に左手を繋いだ。智大は何も言わなかった。


 漠然とした期待は間違いじゃなかった。黒塚さんはいつも気付かせてくれる。大好きな手品を通して、自分も知らない新しい事実に。それで今日もまた気付いたのである。僕は、黒塚朱璃に心動かされている――。


 存外平然としている隣の少女の手は、小さくて、冷たかった。

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