第21話



 夕焼け空の下、公園のベンチに座る少女は、怯弱な顔を浮かべていた。


「どうして泣いてたの?」


 少女の前に立ち、少年は優しく笑いかける。願っても届かない、かっこいい優等生の笑顔だ。


「明日、クラスの出し物で手品をするの。でも失敗ばかりで、全然上手くいかなくて」

「そうなんだ」

「絶対に楽しませるって、笑顔にするって決めて、そのために手品の練習をしてるはずなのに、みんなどうせ失敗するって言ってきて、わたし、わたし……」


 泣きそうになる少女を見つめながら、少年もまた辛そうな顔をする。

 彼は言葉に困っていた。手品を知らなければ少女と仲が良いわけでもない。しかし、悲しんでいる人を放ってはおけなかったようだった。


「みんなを笑顔にする。その気持ちは、僕にはとても真似できないよ」

「……何でもできるのに?」

「あはは、何でもできるわけじゃないよ。そりゃあ練習すれば手品もできるかもしれない。でも、誰かの心を動かすっていうのは、そういうことじゃないと思うんだ」

「よくわからないわ」


 だから彼はお人好しな笑顔で、


「手品には観客が必要だろう? 僕でよければ練習に付き合うよ。大丈夫、きっとできるようになるさ」


 空っぽなわたしに、小さな希望を与えてくれた。





 薄暗い部屋の隅に置かれた机で、朱璃はノートを読み込んでいる。といっても勉強用ではなく趣味用だ。表紙には『浦本智大日記94』と書かれており、ページをめくれば、家庭内を含めた浦本智大の詳細な行動と情報、それらから読み取れる心理の考察などで埋め尽くされている。


『山岸凛が接触。勉強を教えてもらったようだ』


 山岸凛。


 隠れた嫉妬が溢れ出るよう、噛み締めた下唇から血が滴った。

 自分だけを見てほしい。中学の時からそうだ。表面だけ見て群がる女どもなんて、浦本様のことを何一つわかっていないというのに。あいつらに向けられる世辞の優しさでさえ、嫉妬で耐えられなくなる。浦本様からあいつらを引きはがして隔離して、ぽっかり空いた場所に自分だけが填まりたい――。


 扉がノックされ、東が入ってきた。落ち着かない様子で歩いてくる。ノートを閉じると、朱璃は慌てて口元を拭いた。


「呼びましたか」

「浦本様の件ですわ」


 朱璃は婉然えんぜんと紅茶をすすった。いかにも淑女らしい仕草だ。よし、これはキマったわ、と心の中でガッツポーズした。


「まあ、この部屋にいる時点でそうだと思ったっすけど」


 従者はやりづらそうに部屋を見渡した。屋敷の地下室は朱璃の第二の自室になっていて、智大がいない日はよくここに閉じこもっている。

 部屋を入って右側には手品道具を自作するための作業台がある。左側にはイリュージョン用の大掛かりな道具があり、その奥に除湿機、そのさらに奥には朱璃と東がいる。机の周りには、少女の執念を表すかのように日記が積み上がっている。


「この一週間のご様子はいかがでしたか?」

「いつも通り、完璧執事って感じです。顔色が変わらなすぎて怖いっすね」

「そうですか。わたくしとのデートについて何か仰っていましたか?」

「いや、なにも」

「へぇ」


 朱璃は穏やかに微笑む。


 彼は少々完璧主義のきらいがある。だから約束を交わした以上、来週のデートは完璧なものにするよう努めるだろうし、そのために遊び相手の好みもリサーチするはず。であれば、本人または本人に近しい者からそれとなく訊きだすはずなのだが、そういった動きがない。

 普通の行動を取っていない。つまり、普通の行動を取れないだけの問題がある。身体は健全なので原因は心。そしてデートそのものに拒否反応を示していないことを鑑みるに、デートを受け入れている自分に戸惑っているのだろう。


「東様はこれまでどおり接してください。これ以上の混乱は毒になります」

「はあ」


 話に全くついていけていなさそうだ。


「理解できなくてもかまいません。ただ、浦本様とわたくしがごく自然に惹かれ合う、それだけの話ですわ」

「し、自然って」

「異性と逢瀬を重ねていくうちに恋をする。これほど自然な恋もないでしょう」

「……本当に幸せなんすか、そんな騙すようなやりかたで」


 そう言った東の声には非難が混じっていたが、その目に浮かんでいたのは、非難ではなく悲しみだった。


 騙すようなこと、というのは、智大を執事に迎え入れたことである。執事なんてのは都合のいい方便で、実態は智大と結ばれるための計画だ。

 やりたいことを探すという彼の感情を刺激して執事にし、それらしい契約書を作ることで義務感を増幅させて縛り付け、優しい言葉を与えて無意識下に好感を稼ぎ、そこに罪悪感も植え付けることでこちらの申し出を断らせない。そうやって、心を少しずつ掌握する。

 計画は今のところ破綻していない。東の過度な干渉や、先週の事件、イレギュラーである麻耶の存在など、問題は山積みだが。


「別に、浦本様を傷つけようというわけではありませんのよ。わたくしが暴力を嫌っていることはご存知でしょう?」

「それはそうっすけど、でも、それならもっと真っ直ぐにぶつけたらいいじゃないすか」


 朱璃は薄ら笑いを貼り付けたままだ。


「付き合っていた彼女に逃げられた。勤めはじめて間もない頃、そう仰っていましたね」

「そうっすよ、だから俺はっ!」

「あの日のお言葉はわたくしもよく憶えていますわ。生真面目で、勤勉で、完璧な女性だったとか」

「……冗談は、通じなかったっすけど」

「貴方の気持ちは察するに余りあります。もちろん、わたくしを思ってくださるその気持ちも」

「じゃあ、わかりますよね。お嬢様には嘘なんてついてほしくないんです!」


 東の口調は激しい。しかしその言葉を朱璃は冷淡な面持ちで聞いた。


「素直が必ずしも良いこととは限りません。世辞と嘘が似て非なるものであるように、ときには割り切ることも大切ですわ。そして、浦本様はそれが必要なお方です」

「でもっ」

「彼が常識人であるという考えをまずは捨てるべきですわね」


 少女の涼しげな顔と、その背後に積み上げられた日記を見て、東は押し黙った。言い返したいが反論できない、といった雰囲気だった。

 事実、ぶっ飛んだネジを理屈で代替した人間であると、長期間の観察を通して朱璃は知っていた。

 

「きっと傷つけたくないという想いは同じなのでしょう。だからこそ冷静になる必要があります。考えてもみてください。嘘をつくことで誰も傷つけずに済むのならばそれで良いじゃありませんか。素直というのは手段であって目的ではないのです」

「だから嘘をつくんすか」


 なおも東は食い下がる。珍しいことだったが、朱璃の顔色は変わらない。


 どうしたものか、と朱璃は考える。

 話し合いとは鍔迫り合いのようなものだ。攻めは必要だが、力任せでは押し返されるだけ。まずは隙を作らねばならない。

 東の眉の釣り上がり方からして、怒りよりは心配の感情が濃いと読み取れた。ならば防戦に徹する必要はない。まずは、半分。喋り方に緩急をつけて、妥協という名の中間地点まで持っていく。


「では、愚直な言葉で浦本様を傷つけろと?」


 朱璃は低い声で言い放った。


「そういうわけじゃ」

「わたくしは常に選択肢をお出ししてきましたわ。執事の契約を結んでくださるのか? 本当に仕事を続けてくださるのか? わたくしとの対話に応じてくださるのか? デートの誘いをお受けになるのか? これ以上の気遣いがありましょうか」


 至極真っ当な答弁に従者はうろたえた。

 鞭の次は飴。反論の余地を潰しきるため、朱璃は同情心を誘う声で続けた。真面目な顔で、コンクリートの壁を見つめて。


「なぜ貴方にだけ計画を共有したかわかりますか」

「い、いや」

「さきほども申したとおり、誰も傷つけたくなどありません。しかしわたくしが未熟であるのも事実。ですので、東様には何かあったときのストッパーになってほしいのです」

「ストッパー?」


「わたくしが暴走しないよう抑える役目です。健全なお付き合いを目指しているのは本心ですから」朱璃はフレンドリーな声を意識する。「とはいえ、計画に限った話ではありませんわ。単純に、わたくしや浦本様のことを気にかけていただければ嬉しいという話です」


 普段から周りに気を遣ってくださっていますから、わざわざ言葉にしなかったのですけどね。そう付け足して笑顔を作ると、東は気まずそうに頭を掻いた。


「まあ、今のところは健全っすから、止める理由も無いっすけど」

「全ては東様がいてこそです。いつも見守っていただき、感謝しております」


 東は蚊でも払うように顔の前で手を振った。


「俺は、何もしてないっすよ」

「そんなことはありませんわ。浦本様が以前仰っていましたよ、東様はお優しくて話しやすい、と」

「彼が……」

「もしかすると、貴方に対して思うところがおありなのかもしれませんね」


 ありもしない妄言を聞かせると、東は考え込んだ。


 ――それでいいのよ、東。

 柔和な笑みを浮かべながら、朱璃は内心ほくそ笑む。


 貴方もオーディエンスの一人。観客が素直に操られてこそ、ショーは進行するの――。


「しかし、わたくしたちの安寧を脅かす輩がいるようです」刷り込みが解けないうちに話題を変えた。


「どういうことっすか」

「先週、通学鞄の内ポケットからこんなものが見つかりましたの」


 朱璃は立ち上がり、ポケットから手のひらサイズの黒い機械を取り出した。見慣れない物体に首を傾げる東を見て、「おそらくGPSですわ。壊れているので確証はありませんが」と、言った。


「どういうことっすか、だ、大丈夫なんすか⁉」


 焦りと心配に満ちた言葉が地下室に反響した。朱璃は怪訝そうな顔をしている。


「落ち着いてください、今のところ実害はありません。警察にも相談しています」

「警察はなにか言ってましたか?」

「とりあえず、指紋はなし。登下校中の振動で壊れたためか逆探知等も不可能。犯人はわかりませんが、状況からみて計画的な犯行であることが窺えるとのことです」

「そう、なんすか」


 聞かされた話が余りに突飛だったようで、東の口からはその一言しか出てこなかった。


「しかし、わからないのです」朱璃は困った顔でGPSをまじまじと見る。「誰が犯人は一度置いておくとして、なぜわたくしの鞄に仕掛けたのか」


「家を特定しようとしたんですかね?」

「わたくしも最初はそう考えました。しかしこの屋敷は有名ですから、GPSを仕掛ける必要性を感じません。会社の情報を盗むにしても、GPSを仕掛けるために最低限の情報くらいは集めるでしょうから、この家に大した情報がないことくらい事前にわかるかと思います。そもそも、情報が欲しいなら両親の方に取り付ければいい」


 少女の言葉を聞き、東の顔がいっそう歪んだ。


「じゃあ、もっと個人的な理由でしょうか。でも強盗の準備って可能性もあるし」

「細かい目的まではわかりませんが、わたくしは校内にストーカーがいると考えていますわ」


 はっきり言い切った。「どうしてっすか?」予測していた返事に対し、手品から得た知識を朱璃は話す。


「もし登下校中に仕掛けられたとなると、スリの技術を使われている可能性が高いです。しかし、斜めがけバッグはその特性上スリがしづらいのです。ハンドバッグと違って身体に密着していますし、リュックサックのように開口部が完全な死角になっているわけでもありませんので」

「なるほど」

「通学鞄にはチャックも付いていますので、さらに難易度が上がりますわね。音を立てずに開くとなると、そうとう身体を寄せなければなりませんわ」

「はあ」


 よく喋るなあ、みたいな顔をしている。


「決め手に、GPSの場所は内ポケット。もし気付かれずに鞄を開けたとしても、教科書やノートで隠れた状態の内ポケットに仕掛けるなど到底不可能でしょう」

「確かに、出来たとしても普通はやらないすね」

「であれば鞄が身体から離れたタイミングで仕掛けられたと考えるのが自然ですわ。実質的には学校かこの家の二択で、身内が黙って仕掛けたにしてもメリットを感じられない上にやり方が杜撰ずさんすぎるのでほぼ前者。つまり、犯人は校内の人間であり、その候補のほとんどが学生です」

「……そういうことっすか」


 そうして話を終えたあと、地下室をうろつきながら朱璃は考える。

 素人の推理でしかないことはわかっていた。しかし原因が校内であれば、智大が巻き込まれている可能性も出てくる。彼女はそれを危惧していた。


 黒塚家に喧嘩を売る者はそういない。となると犯人は山岸凛か、それとも――。


 朱璃はかなり焦っていた。心当たりのあるクラスメイトを羅列していくものの、目的が不明な以上絞りようがない。両親や使用人どもに頼りたくはないが、最悪の場合、あいつらを言いくるめることも考えておかねば。


 麻耶の来訪も予想外だったが、こちらの目的は予想がつく。なのでそこを軸に作戦を組みなおす。誰にも邪魔はさせない。イレギュラーに対応するための計画であり、そのために引き入れたなのだ。


 朱璃は机の上のスマホを取り、アドレスを探しはじめた。青白い光が部屋を照らした。呼び出し音が鳴り、間もなくして聞き慣れた声に切り替わった。


「もしもし、わたくしですわ。……はい。学校でのご様子ももちろんお聞きしたいのですが、少々トラブルが発生しましたの」


 待っていてね浦本様。計画は……マジックショーは始まったばかり。自慢の手品をもって、わたしが惑わせてみせるわ――。


 素敵な『手品』を一つ閃き、朱璃の口角が吊り上がった。

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