第9話

 その日の教室は騒然としていた。男子が殺気を纏っていたり、女子がキャーキャー駄弁っていたりと、テストを控えているくせして皆浮足立っている。智大の寝ぼけた頭も、担任が来る頃にはすっかり覚醒していた。


「えー、今日は転校生を紹介します」担任は努めて冷静に言った。すると教室が一層ざわめき、担任が呆れ顔で手を叩く。「はいはいみんな静かにぃ。それじゃ入ってきて」


 クラス中の視線が入口に集中した。何がそこまで楽しみなのか、隣の席で治が手に汗握っている。

 扉が控えめに開かれ、転校生が入ってきた。転校生は緊張した様子で、新品のスカートをなびかせながら、教壇へと歩いていく。おおー、と謎の歓声が上がる。


「あたし、羽根田麻耶はねだまやっていいます。これからよろしくお願いします」


 黒板に大きく書かれた名前と、お転婆そうなサイドテールを見て、智大は記憶を呼び覚ました。こないだの忙しない人だ――。



 休み時間は常に質問攻めに遭っていた。昼休みには歓迎会もどきが行われ、放課後にも会見が開かれた。

 しかし智大は、朱璃のことが気にかかっていた。正確に言えば、麻耶を真顔で眺め続ける朱璃が、だ。朱璃の無機質な視線は、まるで羽根田麻耶という人物の情報を読み込んでいるようだった。時々目が合うと笑いかけてくれるのだが、智大は、不可解な態度に引っかかりのようなものを覚えていた。


「待って、お隣さん」


 そうして教室を出ようとした直前に声をかけられた。振り向くと麻耶だった。


「羽根田さん。この前は羊羹ありがとう」

「どういたしまして。えっと……君は、もう帰る感じ?」

「ああ、僕、浦本智大。浦本でいいよ」


「浦本ね、了解」人懐っこい笑顔と共に敬礼した。名字の違いにはあえて触れないようだった。「それでお願いがあるんだけどさ、一緒に帰ってくんない? まだ道覚えきれてないんだよね」


「構わないよ」智大は言った。


「助かるー。クラスにご近所さんがいてホント助かったわぁ。しかもお隣さんだし」

「すごい偶然だよね、あはは」


 絡んでくる生徒たちに愛想を振りまく麻耶を待って、校門を出た。

 今日は珍しく朱璃がいなかった。帰り道にもいない。業務時間外のドライさに冷めたのかと一瞬考えたが、あの令嬢はそんなタマじゃないか、と思い直した。


 麻耶は黙ってスマホを操作している。仲良くなる気はないので、智大も何も言わずに歩く。道を間違えそうになったときだけ声をかける。


「なんか、ごめんね」駅につくと麻耶はスマホの電源を切り、思い出したように喋りだした。


「何が?」

「あたしずっと地図見てたからさ、愛想悪かったなって」

「大丈夫大丈夫。あれだけ寄ってこられたら振りまく愛想もなくなるよ」

「優しさが沁みるわぁ。これで冬も乗り切れる」


 麻耶は猫みたいな伸びをした。ホームを見回しても、やはり朱璃はいない。


「引っ越してきたばかりだろ? 休日はゆっくり休むといいよ」

「聖者がおるねぇ」気の抜けた返事の後に、麻耶は、休日かあ、と考え込んだ。「浦本、迷惑ついでに頼み聞いてもらっていい?」


「どうしたの?」

「次の土曜って空いてる? 日曜でもいいけど」

「うん、まあ」

「軽く街の案内とか頼めると嬉しいんだけど、どうかな?」


 智大は思考するが、すぐには答えられなかった。

 羽根田さんと仲良くするつもりはない。けれど、困っている人間を放っておくのは許しがたい。くすぶる矛盾に思考がぐるぐる循環して、智大は固まる。まるでその場をつなぐように駅のアナウンスが響いた。


「あっ、ダメそうなら大丈夫だから。無理言ってるのはわかってるし」


 悩む様子から何かを察したらしく、麻耶は苦い顔でもそもそと呟いた。


「いや」決めきれない自分を、智大は嫌悪する。「いや、大丈夫、かな。ある程度土地勘を掴んでおかないと君も困るだろうし」


「ごめんね。他に頼れる人とかいれば良かったんだけど、あたしも辺鄙へんぴなとこから来たもんでさ」

「それは……大変だね」

「前途多難だよ」


 麻耶のため息は電車の轟音にかき消された。そうして開いたドアから乗り込んで、なぜか閉まったあとに笑いだすのである。


「でも、田舎よりは何倍も楽しいかな、その辺歩いてるだけでも」


 電車の中でも麻耶は、車窓の外に生い茂るコンクリートジャングルを見続けていた。

 地元の女友達として朱璃を紹介してみようかと考えたが、学校での態度を思い出し、やめた。確信はなかったけれど、あまり二人を会わせてはいけない気がした。

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