第3話
翌日。昼休みのチャイムが鳴り、教室中のテンションが二回りほど上がった。
智大は購買で買った弁当を開いて、手を合わせた。毎日同じものを買っているので見慣れている。肉食獣のごとく卵焼きに食らいつく治が真正面にいるからか、何を食べても顔色一つ変えない智大がかえって目立っている。
智大はふと窓際に目をやった。
「どこ見てんだ?」治が目線の先を追う。今から購買に向かうのだろうか、朱璃が五百円玉で手遊びしていた。「黒塚さんか?」
「なんでもないよ」
智大は目線を戻して白米を頬張った。咀嚼して飲み込む。
結局、貰った薔薇は自室に飾った。たった一本机に飾って何が変わるんだと最初は思ったが、それっぽい花瓶に入れるだけでも、案外華やかになった。
「なにかあるときの常套句じゃねえか……」
「ほんとになんでもないって。ただ昨日、軽く話をしたなーと思って」
「へえ、黒塚さんと。なんつうか、意外だな」
同級生にさん付けする治こそ意外だった。他のクラスメイトと同じく、朱璃が放つ謎のオーラに圧倒されているのだろう。
「家が近所だから」
「いいとこのお嬢様なんだってな」
「黒塚商事って会社の社長令嬢だよ。確かアパレル会社だったかな」
「ってことは、あの如何にもな喋り方もお家柄だったりすんの?」
「僕に訊かれても。別に仲がいいわけじゃないし」
「知らねぇかぁ」
智大は水筒の水を飲んだ。訊かれたことだけ答えながら、頭の中では昨日の手品を思い出していた。
手品の内容に疑問はなかった。タネも予想がつく。昨日はカーディガンを着ていたから、薔薇はきっと袖の中にでも隠していたのだろう。だが、いつ隠したのかがわからなかった。
あんなに目立つもの、余程のことがなければ見逃さないだろう。けれどその余程が起きていた。それも、知らない間に隠されていたのみならず、隠されたという事実にすら気づけなかったのだ。
智大は間抜けな自分にため息をついた。知らないことが許せない性分に火が着き、薔薇の行方が気になって仕方なくなる。しかし、考え続けたところで答えなど出るはずもない。
「にしても浦本ってさ」
その声で我に返った。はっとして治を見る。デザートらしき一口ゼリーの蓋を引っ張っている。
「うん?」
「毎日同じ弁当食っててよく飽きねえな」
「これ一番コスパいいんだ」智大は蓋に貼られた鶏唐弁当のシールを見せつけた。
「それは知ってるけどさ、たまには違うもん食いたくならねえの?」
「ならないな。僕って食にこだわりがないタイプだから」
「ふーん、なんかよくわかんねぇな」
治は、やけに壮大にゼリーを吸い込んだ。
「なにが?」
「やりたいこと探してるって言ってたろ。その割には欲がないっていうか、なんか、食って掛かるぜ! みたいなのないじゃん。そういうとこ変わってるなって」
「僕からしたら、君のほうが変わってるけどなぁ」
「マジ? 例えば?」
「なんで僕と仲良くするのかわからないし。君ならもっとクラスの輪に入っていけると思うのに」
「だって気ぃ遣うのやじゃん。その点お前といると楽だし」
治とは、高校に入ってすぐのときに仲良くなった。仲良くなったといっても、治が一方的に仲良くしてくるだけだけれども。誰とでもフランクに話しながら、内心他者を冷めた目で見ていた自分と違い、治は誰のことも好いているように見えた。
得意なタイプではなかったが、智大は治を拒まなかった。特段仲良くするつもりはなかったけれど、露骨に壁を作り他者を不快にさせるのもためらわれたからだ。それで、彼とはやんわりと関わり、やんわりと友人を続けている。
治と食事を済ませ、午後の授業が始まる。五時間目が数学。六時間目が英語。
三時過ぎにはホームルームが終わり、帰り支度をはじめる。治は少し前にサッカー部へと向かった。日直の仕事を担任に報告して、智大も教室を後にする。
外はまだ暑いが、木々には確かに秋の匂いが混じっている。なんだか苦みを感じるような、焦げ臭い匂いだ。校庭では運動部が走り込みをしている。今日も勉強しなければ。下靴に履き替えながら智大は考える。晩御飯は何を作ろうか。そういえば牛乳が余っていた。じゃがいももあるからグラタンを作るとして、添え物はどうしよう。
「こんにちは、浦本様」
校門を出て角を曲がると朱璃がいた。いた、というよりは、待っていた。
「やあ、黒塚さん。君も帰り?」驚きながらも智大は笑顔を崩さない。
「はい」少女のハスキーボイスが響いた。「もしよろしければ、本日はわたくしと下校いたしませんか?」
「黒塚さんと?」
智大はまたもや驚く。
智大と朱璃は家が近い。家を出て、徒歩で片道十分。きぶし公園を挟んだ向かい側にある。智大は安っぽいマンションに住んでおり、対する朱璃の家は豪邸である。あの地域に住んでいる者で黒塚の屋敷を知らない者はいない。だから朱璃のほうはともかく、智大は朱璃の家を知っている。
でも、それだけだった。小中高と同じ学校でこそあるものの、朱璃とはほとんど関わったことがない。強いて言えば、昔きぶし公園で話をしたくらいだ。
だから朱璃の考えている距離感が、智大にはわからない。自分は有象無象の一人なのか。それとも義務教育を共に受けてきた学友なのか。まさか幼馴染のような関係などと思ってはいないだろう。
思考の結果出てきた答えは、断る理由も特にない、だった。
連なるビルを何度も見送り、オープンテラスのカフェで曲がる。二人の間に会話はない。
智大は沈黙を苦と思わない性格だ。むしろ、無駄がなくて過ごしやすいとすら思っている。が、自分から誘っておきながら手元で五百円玉をいじり続ける朱璃は、ひたすらに理解不能だった。
「昨日の手品すごかったよ」電車に乗ったところで智大は当たり障りなく切り出した。挨拶のようなものだった。
「お褒めいただきありがとうございます」
朱璃は隣に座りながら、今度は定期券を手元で回していた。
少女の目は美しい。ぱっちりしている、という感じではなく、物憂げで、まっさらな水晶のようにあどけない。
「気になってるんだけど、あの薔薇はどうやって隠したんだ?」
「奇術師としてタネをお教えするわけにはいきませんわね」
「いや、タネの内容じゃなくて――」
「気になりますか? わたくしの手品が」
含みのある言い回しと笑顔に、智大は次の言葉を思考する。そうして智大は、「そうだね、気になるかも。手品に詳しくないからっていうのもあるかもしれないけど、不思議だよ」と言った。
「なら丁度よかったですわ。これで心置きなく本題に移れそうです」すると朱璃は穏やかな声で、さらに意味深なことを言うのである。
「本題?」
「ええ。実は浦本様を見込んで一つ……契約のご相談がありますの」
契約。妖しく釣り上がった口から出てきた言葉に、智大は身構える。
「どんな内容かな」
「わたくしの下で、執事として働いてみる気はございませんか?」
シツジ。――執事?
現代日本の俗世から三千里離れた言葉に智大は疑問を呈した。
「何を言ってるんだ君は」
「執事のお話ですわ、執事。英語に直すと、バトラー」
それでようやく確信した。彼女の言うシツジとは、つまり執事のことである。
「何を言ってるんだ君は」
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