第15話
※
仕切りは相変わらずの威紀で、前売り券は完売だった。マダムも楽器と歌の勝負は珍しいからとほくほくしていて、師匠と奥様はカップルシートにちゃっかり座っていた。控室も今回は別、僕は楽器達の最終調整をしていた。向こうはスピカリアがいるから大丈夫だろう。先に僕の方にお呼びがかかって、ブーイングぐらい受けるかなと思ったけれど、会場は温かい拍手で迎えてくれた。この温かさが温暖な気候を作っているとは、秘密の事だ。まだ、彼女には。
僕がフルートを構えると、楽器達も所定の位置につく。曲は僕が初めて詩を付けた、わらべ歌だった。わらべ歌と言えどもオーケストラ並みの楽器が付くと強い。第一バイオリンも頑張ってくれてるし、ピッコロやハープまでいると小さくも大きくも緩急が変わって、まるで知らない歌の様だろう。ぺこりと頭を下げて退場すると、ぱちぱちぱちぱち、あちこちから拍手が聞こえた。
さあ次は和純ちゃんの番だ、と思うと、彼女はイブニングドレスを着ていた。今までこっちの服は着なかっただけに、それは鮮烈だった。多分銀行強盗に服の事を言われたからだろう。奥様とマダムが異様にうきうきしていたのは、この所為か。
そして彼女は歌い出す。だけど最初の声は震えていた。今までなかったことに、会場が少し騒めく。スピカリアが音を導いてそれはすぐに消えたけれど、珍しいのは確かで、異世界のわらべ歌もちょっと耳に入って来ないほどだった。いつも彼女は堂々としていた。それは隣に誰かがいたからだ。素の彼女はこんなにもか細くて弱弱しいのか、僕は驚いてしまう。それでも曲か乗って来るといつもの張りのあるソプラノになって、ほっとした。カラスと一緒に帰る場所が出来たようで。
拍手は僕と同じぐらいだった。そして繰り返されるアンコール。いつもの彼女はそれに全く答えないから、僕もバイオリンを温めたりはしなかったんだけど――わああああと響いた声に、僕はまさかとフルート一本を持ってひょいとステージを見る。
和純ちゃんが立っていた。
僕の方を見て、不安そうに。
ああ、もう。
そんな顔されたら出て行かない訳にはいかないじゃないか!
僕がステージに出ると、歓声が余計にひどくなる。僕はすっとフルートを構え、和純ちゃんの方を見た。彼女はこくん、と頷いてふっと笑う。彼女とフルートで歌う曲は、今の所一曲だけだ。あの、王様に出された課題の一曲だけ。
フルートが先行して、歌が始まる。そう言えば王宮以来初めて演奏するな、なんて僕は思った。それでもここまで『合う』のだろうか。もしかしてスピカリアと練習でもしていた? まさかね。彼女はそんな風に僕を頼ったりしない。でも僕の方を見て立っていた彼女は、僕が出て来るのを望んでいた。願っていた。僕にはそう思えてしまった。じゃあ彼女は僕が必要? そんな自惚れは、許されるの?
曲が終わると大歓声が僕らを迎える。僕らは手に手を取って、一緒にお辞儀をした。和純ちゃんのドレスは真っ白なのに光に当たると青み掛かって、本で読んだ異世界の月のようだった。よく見ると天覧席に王様の姿を見付けて、小さな体を乗り出して拍手してくれるのが嬉しくて、僕は笑ってしまう。勿論口元だけで。そんなに身を乗りだしたらコロンっと落ちちゃいますよ。
はて、この場合勝負の結果はどうなるんだろう。思っていると、師匠がふわっと飛んでくるのが見えた。拍手が収まり、人々は師匠を見る。ぺこっとお辞儀をしてから、師匠はマイクを引き寄せて喋り出した。
「さて今回のコンサートは二人が私の工房を継ぐ試験でもあったわけですが――皆様如何でしょう。今と一緒で二人に工房を任せる、という結論を私は推奨します。勿論二人が良ければ、ですが」
「異議なし!」
奥様の声が響き、次にマダムの声が響いた。そうして異議なし、異議なしと声が続き、また大歓声になる。師匠は僕たちの後ろに回り込んで、背を押すようにした。そうして僕達は二人、またお辞儀をする。って言うか。最初に奥様の声って。
「完っ全に仕込んでましたね師匠!」
控室でやってきた奥様と和純ちゃん、そして誰より師匠に噛み付くと、まあまあとタキシード姿の師匠に制される。奥様は夜色のイブニングドレスにロングスリーブの手袋、白いショールで身体を隠していた。どうなってるんだろうとすごく気になるけれど、今はそんな場合じゃなくて。
「大体工房の引継ぎがかかってたのは師匠だけで、僕は別にどこか別の場所に構えたって良かったんですよ!? 楽器同士の方が相性が良いってだけで、別に追い出されたって平気でしたよ! 別の博士号を持った人の実験材料になっても良かったし大体僕も居候ですし、いつ放り出されても仕方のない身ですし!」
と。
ぐずっ、と鼻をすする音が響く。
お化粧をして目立たなかったけれど、それは和純ちゃんの耳が赤くなって目元のメイクが崩れている事で解ってしまった。
泣いて――いる。
あの和純ちゃんが、泣いている。
鉄壁の仏頂面だった彼女が。
僕は混乱してしまう。
「い、和純ちゃん? どうして君が泣くの?」
「わ、たしは、告実と工房しても良い――したい、でも、告実は出て行っても良いぐらい嫌だなんて知らなくて、それで」
「い、嫌なんじゃないよ、嫌じゃあない。でも君は僕の事、邪魔に思わないの? 歌えもしない、楽器の機嫌を取ることも出来ない、そんな僕だよ?」
「でも私の事一番解った詩を書いてくれるのは告実だ。告実の詩から私はもう離れられない。離れたくない!」
「和純ちゃん――」
「さ、若い二人と一緒にディナーに行きましょうか、あなた。和純ちゃんはちょっとメイク直してからね、目元がボロボロよ? はいチーン」
「うーッ」
「じゃあ後でね」
ほっほっほと奥様が和純ちゃんを彼女の控室に連れて行く。僕は完全にしてやられた体で頭を押さえる。
僕の詩から離れられない。
そんなこと言われたら、僕だって彼女を運命の楽器じゃないかと思ってしまうじゃないか。
そんな素敵な偶然、あるはずがないのに。ただ彼女の事を、他の人よりちょっと知ってるだけなのに。それだけで運命だなんて、そんな、そんな素敵なこと。
「あって良いはずないよなあ……」
「何がだい? 告実」
「……師匠は運命診断の博士号は持ってないんですよね」
「あれは因果律がちょくちょく変わるからねえ。流石の私も頭脳計算だけでは出来ないな」
「? 計算機に頼れば、出来るって事ですか?」
「言ってしまえばね」
「……やっぱり良いや、怖いからやめときます」
「和純君との相性かい?」
「解ってるなら訊かないで下さい」
「ふふふ。教えてあげようか、告実」
「いりません。やーめーてー」
「彼女はね」
「やめろってんだろこの惑星頭」
「君の――」
「さあ、ディナーにくり出しましょうか! とは言っても今日は表が騒がしいだろうからマダムと私の手作りだけれど」
「あ、はい」
「告実? どうしたの、顔赤い」
「なんでもない、盛大に放っておいて」
「うん……?」
「はっはっは。いじってあげても良いんだよ、和純君」
「師匠ッ!」
思いっきり足を踏んだつもりなのに、その靴の中はふかふかと空っぽのようだった。
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