第14話


 シコートは大概良い人が多いけど、悪人が少ないわけでもない。だから法廷もあるし、弁護士や検事と言った職業もある。歌職人や楽器職人としてあぶれてしまった人がなることが多いけれど、それでも法が必要な程度には物騒なこともある。今みたいに。

 言われたとおりに僕と和純ちゃんは手を頭の後ろで組んだけれど、怖いもの知らずの奥様はふんふんと状況を分析しているようだった。

「なるほど、銀行強盗君ね! でもシコートの銀行は声紋認証だから滅多なことではお金を盗めない、それで来た人からお金を巻き上げようとしている、大体そんな所かしら?」

「なっうるせーよこの宇宙人! 人が何も考えずに強盗に入ったみたいな言い方してんじゃねー!」

「でもそれだけお金に困っているというのならそれこそ銀行からお金を借りるという方法もあってよ? 利子は付くけれど罰金刑ほどじゃないわ」

「人の話聞け!」

「聞いたらどうなるの? あなた達が改心して今から自首してくれるのかしら? だったら聞いてあげても良くってよ」

「このっ」

 パアン、と音がして奥様の方にに向けられた銃が火を放った。はいおしまい、だな。流石に銃声は響く、特にこの国の人間には。今頃王様が補聴器を使って出所を探している事だろう。僕は奥様の心配はしていなかった。和純ちゃんがぱくぱく口を言わせている。

 奥様は平然と立っていた。

 スーツの肩をちょっと焦がしながら、ふうっと息を吐く。

「せっかく久し振りにあの人に会えるから新調してきたスーツだったのに。よくも穴なんてあけてくれちゃって」

「う、うわああ」

「宇宙人撃ってどーすんだよ、あいつら実体ないんだぞ!?」

「お、奥様、本当ですか?」

「ええまあ大体間違ってないわね。粒子や隕石の欠片がほとんどだと言って良いかしら。だから痛みは感じないけれど、スーツは弁償してもらわないと。三十光年先の専門店だけど」

「行けるわけねーだろババア!」

「ばばあ?」

 ひゅきんっと場が凍る。

 僕は思い出す。初めて彼女に会った時の事を。


『あら新しくトライベルが預かるようになった子ってこの子なの? 初めまして、私はツライスト。そこの人の一応妻よ、よろしくね』

『……俺は全然よろしくする気なんかねーよ。オバサン』

『おばさん?』


 そう、女性に年齢のことを聞いてはいけないのだ。とくに宇宙人みたいな、顔や声で判別できない人には。僕はそれを身をもって知っている。恐ろしい程に知っている。

「右手に悪魔。左手に神。その凝縮が矛盾を生み出し無限のエネルギーになる♪」

「お、おい、なんかやべーぞあの両手」

 奥様の歌は節のついでになる事が多い。そしてトライベル師匠ほど鷹揚でない彼女は良く歌う。とてもよく、歌う。歌職人の歌として。

 僕はとっさに和純ちゃんに覆い被さる。

 奥様は両手を合わせて――

「両手に矛盾を抱えましょう♪ その力で一切を吹き飛ばしましょう♪ 私をババア扱いした連中に鉄槌を♪」

 楽し気に歌っているけれど、銀行員さん達もいるわけで。僕達もいる訳で。多分外にはもう憲兵隊も来ていると思われるわけで。

 だからこんな、大技繰り出さずとも良いわけで!

「はいさー♪」

 呑気な声で言いながら、奥様は宇宙にのみ存在を許される矛盾を放った。

「ぎゃあああああ!」

 僕はあえてそちらを見ない。多分連中、ブラックホール並みに食い付かれて動けないだろうから。見ざる聞かざる言わざるだ。と、僕の身体の下から和純ちゃんが動く気配がする。重かったのかな、と思って身体を退けると、連中の一人が和純ちゃんの腕を引っ張っていた。しまった。まずい。確認してなかった、これは僕のミスだ。

「斎遠和純だよな? ちょっと髪型違うけど変な服ですぐ解ったぜ。お前の印税だけでも全部出しやがれ!」

「やっやだ! あれはお世話になった人たちに還すものだ! お前らみたいなのにはやらないっ!」

「俺だってお前のコンサートは三回行ってんだよ! 良いから出せ!」

 壮絶に嫌なファン発言をされて、でも和純ちゃんはぎゅっと歯を食いしばったままだ。チッと舌を鳴らして男は和純ちゃんの頭に銃を――

 突き付ける前に、僕はその手に噛み付いた。

「ぎゃあっ」

 顎の力って言うのは案外強い。人体の中でも一番に近いんじゃないだろうか。挙句歯という凶器付きだ。さぞ痛いだろう。血の味がしても僕はその手に噛み付き続ける。その間に和純ちゃんを自分の方に引き寄せる。告実、と和純ちゃんが叫ぶ。男は左手に持っていたナイフで僕を突き刺そうとした。でもその前に、声が響く。

「私の妻と弟子に何をしてくれているのかな?」

 トライベル師匠だった。

「ナイフは刺さらない、錆て傷もつかない♪ 手に力は入らない、神経が切れている♪ 足も踏ん張っていられない、靱帯が伸びている♪ さあ君に出来る事はもう何もない♪ なんにもないったらなんにもない♪」

 地味に怖い歌をその耳元で歌うと、男はがくりと膝を付いた。

 同時に憲兵隊が入って来るのも気にせず、師匠は浮かんで奥様の方に向かう。

「無事かな? ツライスト」

「全然無事じゃあないわ。あなたに会うために新調してきたスーツ、穴開けられちゃった」

「歌で塞げばいい」

「歌ってくれる? トライベル」

「勿論、君の望みなら」

 泥団子のように固められた連中と、手足がぐにゃぐにゃになってしまった奴とを憲兵達が連れていく間、師匠はずっと歌っていた。そんな師匠に奥様は縋りついている。まだまだ若い二人なんだろう。億年生きてても。

「告実、血が、血が付いてる」

「ああ、齧ったからね、返り血だよ。大丈夫。それよりごめんね和純ちゃん、勝手に身体を離して。怖かったでしょう」

「そんなのどうでも良いっ!」

 涙目になりながら、和純ちゃんが叫ぶ。

「私なんてどうでも良い、告実が無事ならそれで、それで」

 ひっくひっくとしゃくりあげながら僕に縋りついてくる和純ちゃんの背を、ぽんぽんと撫でる。まだまだ若い二人なんだろう、僕達も。


 改めて銀行にお金を預け、帰り道はすっかり暗くなってしまっていた。レストランで済ませようか、と師匠が言うと、奥様も賛同する。食事代は意地でも自分が出すと、和純ちゃんが言い張った。いつの間にか出て来たスピカリアは、ずっと師匠のスーツの懐にいたらしい。銃声を聞いて駆けつけるのに時間がそう無かったのは、彼女の耳のお陰だと師匠が言うのに、奥様はちょっと拗ねたようだった。可愛いなあと和んでいると。レストランメニューが出される。星のインクで書かれていたから和純ちゃんも読めるようだった。そうして選ばれたのは、七面鳥の丸焼き。

「私のいた世界ではお祝いの日に食べるんです。だから、師匠と奥様の再会を記念して」

「あら、お祝いされちゃった。照れちゃうわね、ふふふ」

「まったくだね、ははは」

 店では生演奏が流れてて、それもそれで心地良い。そこでふと気づいたのは音色に覚えがあったことだ。和純ちゃん、と声を掛けると、あ、と彼女も気付くように楽団を探す。

 末席でギターを弾いていたのは威紀だった。

 本格的に仕事をするのに、三オクターブと言う威紀の声はちょと狭い。楽器じゃなく楽器職人を選んだって事だろう。ぺけぺけと細かい楽器を担当しているのは弟さん。仲直りの顛末は聞いてないけれど、こういう姿が見られるならそれで良いんだろう。それで良いことに、なったんだろう。夜の街にも連れ出して、稼いで行く大変さも知らせて、それでも彼はカスタネットとトライアングルを離さない。なら。それで良いんだろう。この世に生きる喜び、そして悲しみを知るんだろう。大人になるって多分、そういう事だ。

 曲が終わるとぱちぱち拍手が鳴る。その隙間に僕は、威紀、と呼びかけてみた。気付いた威紀が僕達五人そろっているのに、けらっと笑う。奥様に合うのは久しぶりだけど、彼女も覚えていたんだろう。ぺこりと頭を下げて見せる。すると奥様が、あらまあ、と声を上げる。

「いつか告実君と一緒に遊んでいた子ね? もうあんなに大きくなったのねえ、子供が育つのは早いわあ」

「最後にツライストが威紀君と会ってから十年以上だよ。私達のような宇宙人には一瞬さ」

「それもそうねえ。ああ、戻って来ると色々なおかしかったり変わっていたりして楽しい物ね。告実君もガールフレンドを連れ込んで一緒に暮らしているぐらいですもの」

 レモン水をぶぱっと吐いたのはお互いで。

「奥様違います、僕達そう言う関係じゃありません」

「あら、でもあなたマダムと彼女とレコード出したんでしょう? 私はまだ聞けていないけれど、どの店にも飾ってあるじゃない」

 裏レコード事件の功罪だ。僕は溜息を吐く、和純ちゃんはまだ噎せている。

「取り敢えず、今は居候同士の仕事仲間です。彼女が楽器の調整してくれるとご機嫌になるんですよ。僕は工房を乗っ取られないか心配なぐらいです。そんなもんだよね、和純ちゃん」

「う――うん」

 何故かしょぼんとしているのに首を傾げると、宇宙人二人はくすくす笑って、顔を合わせていた。スピカリアはきょとんとしてる。でも、と繋げるのは彼女だ。

「二人が一緒にセッションすると、楽器達もっと艶々になるのよー? だからスピカリアは二人がお店すれば良いと思うの! きっと素敵な音に溢れた空間になると思うの!」

 何言ってくれてんだ。

「それはないよ、スピカリア。僕が足を引っ張るだけだ。楽器同士の方が相性が良いに決まってる」

「告実ちゃんの詩で和純ちゃんが歌って楽器達が歌う、それで良いと思うのー。告実ちゃんは自分の詩歌ってくれる和純ちゃんの事が嫌い?」

「嫌いな訳ないだろ」

「じゃあお互いさまで素敵が素敵で良いと思うの!」

「スピカ……私はまだ納得していない」

「和純ちゃんは告実ちゃんの詩がきらぁい?」

「そんなことはないけれど、でも、やっぱり仕事仲間にはなれないよ。そこは一線引くべきだと思う。コンサートの時ならまだしも、ただ楽器がブーイングしてるだけなら私の知ってる曲を鳴らすだけでどうにかなるし。楽譜は渡せば良いだけだし」

「そんなに告実ちゃんとお仕事するのは嫌?」

「だからそうじゃなくて――」

「はっきりするの!」

 スピカリアの純粋な疑問は純粋過ぎて屈折させられない。あーもう、とショートカットの髪の中に手を突っ込んでガシガシ掻いた和純ちゃんは、観念したように言った。

「告実の仕事取っちゃいそうで嫌なの! 楽しいもん、楽器達とのセッション!」

 そう思われていたのか。ふむ、と僕はちょっと対抗心を燃やしてみる。

「それじゃあ次のコンサートは、対バン形式で行こう」

「対バン?」

「まあ簡単に言っちゃうと、君の歌と僕の楽器の勝負さ。僕が勝ったら和純ちゃんは余計な心配しなくて済むでしょう?」

「そう……だけど、じゃあその時は告実が歌詞書いてくれないの?」

「詩職人としては絶好の言葉だけど、その時はしてあげない。君の知ってる歌で、勝負しておくれよね」

「場所はマダムのホールで良いかしら。早速予約取り付けておくわね」

「え、ちょっと、えー……何でそうなるの……」

「和純ちゃんが素直にならないからなの」

 ふすっと笑ったスピカリアに、どーゆー意味だと頭を抱える和純ちゃんの前に、祝福の七面鳥が降り立った。

 とてもいい匂いたった。

 五人で食べるには十分なほど。

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