第12話


「告実」

 スピカリアとのレッスンが恒常化している(僕の知る人間の中では初めてだ)和純ちゃんがダイニングにやって来ると、訝しげな顔で喉を見られた。

「太くなってる……違うな、増えてる?」

「ちょっとやりすぎちゃったからね、マダムとのコンサートではさ。お仕置きと防止を兼ねて増えました」

「そんなのッ」

「怒らないでね和純ちゃん。一番怒りたいのは僕なんだから」

 苦笑い。感情の出せない生活。一体どれだけの言葉を押し込めて来ただろう。でも今は別にいい。僕の詩を歌ってくれる楽器として、彼女がいるから。歌職人として彼女が覚醒したら、それでも僕の詩を歌ってくれるだろうか。それはちょっと解らなかったけれど、考えるのは楽しい事だった。空想するのはいつも楽しい。威紀は相変わらず夜の街で歌っては小銭を稼いでいる。弟や妹も一緒になって、姉弟合唱団をしているそうだ。和純ちゃんもコラボしたいと言ってはいるけれど、残念ながら今の彼女は選択できる状態じゃない。王立合唱団への招聘まで検討される身だ。外で歌ったりしたら野良楽器が集まってきて大変だろう。こっちの音階も覚えてるし、向こうの音階も勿論知っている。『あちら』と『こちら』を繋ぐ唯一の楽器なのだ、今や、彼女は。でも不思議なのは、王様が彼女を呼びつけようとしない所だろうか。お忍びでコンサートには来ていたらしいけれど。最初は取るもの取り敢えず呼び出したのに。トライベル師匠がまた何か言ったのかな。あの人には逆らえない。スピカリアにもだけど。

 炒めていた挽肉が冷めたところで、茹でていたジャガイモの皮をむく。すると和純ちゃんもやって来て、一緒に手伝ってくれた。ボテトマッシャーを手にすると、やらせて、と言われる。彼女の世界にはなかったのだろうか、ぐにぐに潰して行くところに挽肉をいれていって、あとは丸めて小麦粉・卵にパン粉を付けて。温めておいた油にに入れて、揚がって来たら今日の夕飯はコロッケだ。と、和純ちゃんがキャベツを切って添える。

「私の世界にはコロッケを作る歌があったんだ」

「へえ、面白いね。コロッケだけなの?」

「他には知らない。だから覚えたのかも」

「あはは、あるある」

「告実もそう言う歌知ってる?」

「スピカリアの方が詳しいよ」

「告実から教えて欲しい」

 珍しい我儘に、僕は苦く笑う。

「後で楽譜、書いて持ってったげる」

「ありがとう」

 こちらこそありがとう。

 キャベツを忘れそうになってたのを思い出させてくれて。


 覚えてる限りのお料理ソングを書いて、でも基本的には創作が多い事も忠告して、僕は和純ちゃんに楽譜を渡した後の暗い自室でぼんやりと天井を見上げる。また一つ僕の存在価値が減ったな、なんて思いながら指についている星のインクをぺろりと舐めた。乾いているので味はしない。随分使っちゃったけど、師匠に返す時どうしようかなあ。特別性だから高いんだよね、あれ。和純ちゃんの稼ぎからょっと僕も貰っているし、それでどうにかなれば――なればいいけど、どうだろう。前回のデュエットコンサートも僕が詩を書いていたし歌にも入ったからちょっとお小遣いもらえたけれどそれを一気に吐き出して新品をプレゼントするのも手だなあ。その内インク屋さんに行ってみよう。そして出来れば僕のインクも買って来よう。

「お前さんに売るインクはないね」

 レジで新聞を読んでいたインク屋さんのおじさんはそう言って、鼻を鳴らした。

 何度か来た事があるけれど、この対応をされたのは初めてで、僕は戸惑う。

「あの……師匠へのプレゼントなんですけれど」

「駄目だね。お前さん前回のマダムのコンサートで、歌っただろう。絶唱帯付けてるのにそんな危なっかしいことする奴に売るインク、うちにはないよ」

「え……あれ、三人目の歌唱者は非公開のはずじゃ」

「聞きゃ解るさ。いつもいつもな」

 言って新聞を閉じたおじさんは、レコードコレクションをさくさくと漁り、藁半紙に包まれた無銘のレコードを取り出す。それは。

「裏レコードじゃないですか、正規の販売じゃない!」

「そう、だから絶唱者差別も許される」

「そんな理屈っ」

「理屈は理屈だ。帰っとくれ。今後もインクはお前さんにゃ売らないよ」

 慣れてるはずだった。ちょっと調子に乗っていた。みんなが優しいから。僕に優しくしてくれたから。和純ちゃんがあんなこと言い出してまでコンサートを開いてくれたから。僕の詩を歌ってくれたから。だから自惚れていた。この世界にいても良いのかなって、ちょっとだけ思ってしまった。

 僕みたいなはみ出し者を受け入れてくれるのは、同じようなはみ出し者か、そもそもはみ出しを認識しない人だけだと、解っていたはずなのに。

 解っていたはずなのに――僕はぎりっと歯を鳴らす。

「あー……」

 追加の絶唱帯が警告音を小さく鳴らす。ぴりりりりり。

 おじさんは訝し気にしてから。僕の喉を見る。それから僕を見て、ぎょっとした顔をする。

 別にインク屋がここしかない訳じゃないけれど。

 それでも気に障る物は障る物で。

「ららららららららららー!!♪」

 追加の絶唱帯が切れるぐらいに、僕は音階をなぞって叫ぶようにした。

 インク屋さんは。倒壊した。

 まるで元々脆かったように、くしゃりと潰れた。

「告実」

 聞こえたのはトライベル師匠の声。

 ぱんっと頬を叩かれて、僕はそのまま浮かんで城に連れていかれる。もう片腕にはインク屋のおじさんを連れて。

 そうして。

 僕は法廷に、立つことになる。


「やっぱり絶唱者は……ねえ」

「他の国みたいにもっと厳しくしつけなきゃだめよね」

「いくら綺麗な声でもねえ」

「あなた達。これまで散々恩を受けていながらいまさらその言い方はどうなの」

「マダム!」

「いえ、でも一件店を更地にしているわけですし……」

「相応の理由があったとは思わないのね。恥知らずな」

「マダム……」

 被告人。永隙告実。

 原告。インク屋のおじさん。

 弁護人兼検事。トライベル・ハスタァ。

 傍聴人。マダム、和純ちゃん、スピカリア、威紀。

 裁判長。王様。

 あー豪勢だな、ここで思いっきり歌って全部ぶち壊しにしてやったらどんな気分だろう。ささくれた心持ちで証言台に立つ。でもそしたら威紀や和純ちゃんまで危ないか。しゃらんっと喉の鍵を鳴らす。そこは声も出ないように二重の鍵が付けられていた。ベルトじゃ足りないとの判断だろう。実際これでやっと僕は人畜無害な見世物になれているんだから、その判断は正しい。

「被告人、永隙告実。街のインク屋を絶唱の力で更地にしたこと、間違いはないな?」

 いつになく厳しい王様の声に、僕はこくんと頷く。さて終身刑か死刑かどっちかな、なんて考える。

「原告。インク屋店主。被告が絶唱者だという理由でインクを売らなかった。挙句裏レコードを所有していた。これにも間違いはないな?」

 え。

 裏レコードの事も、絶唱者を理由にインクを売ってくれなかったことも、僕は話していない。と言うか話せないのに、どうして王様がそれを。ひそひそと傍聴人席が騒めく。インク屋のおじさんは一転おろおろしたようになった。さっきまで勝訴は当然、とでも言いたげにお腹を突き出して見せていたのに。

 音が万物の根源であるシコートでは、裏レコードの所持自体が重罪だ。裏レコードはいわゆる海賊版って奴で、それなら絶唱者差別をしないという和純ちゃんとの約束にも反しないしネームタックも必要ない。弁護人席に浮かんでいた師匠が出したのは、カセットテープレコーダーだった。そこには僕とおじさんインク屋でのやり取りがきっちりと録音されていて、余計に傍聴人席が騒めく。

「原告。この内容に嘘偽りはあるか? 裏レコードの所持は重罪じゃ。どうじゃ?」

「嘘偽りは、……ありません」

「だがそれで被告人の罪が消されるという事もないね」

 いつの間にか検事席に移動していたトライベル師匠が厳しい声でそう言う。うむ、と王様は頷いた。

「私はたまたま店でインクを選んでいたからこのやり取りを録音することが出来たが、そうでなければ店主が裏レコードを所持していたことも表沙汰にはならなかっただろう。だからと言って、告実は無罪ではない。歌を知ってしまった絶唱者だ、彼は。歌う事の素晴らしさを知ってしまった絶唱者だ。今後同じような騒ぎを起こさないとも限らない。法廷には厳しい沙汰を求めたいところだね」

「トライベル師匠!」

 叫んだのは傍聴席の和純ちゃんだ。あれだけ他人を嫌っていた彼女が、今は僕の側に立っていてくれている。それは嬉しくも心地よい誤算だった。本当は良い子なんだ、彼女だって。環境と性格がずれていただけで、それさえなければ、シコートのような国であれば、彼女は素直で優しい女の子でいられる。だから僕の事はもう放っておいて良い。僕の仕事は終わった。彼女を歌わせるという運命の仕事はもう終わったんだ。だからもう良い。僕の詩を歌ってくれてありがとう。良いって言ったり、突っ返してきたり、いろいろ勉強になってくれてありがとう。もう十分だよ、僕はもう十分に、生まれた義務を果たしたと思う。


 君は僕の狂騒的な運命だった。多分、きっと。


「しかし歌ではなく音階で沙汰を鎮めたのも彼の自制があってこそだ。そこを忘れてはいけないのもまた、事実だろう」

 弁護人席に座った師匠がそう告げる。単に怒った時の歌を知らなかっただけだというのは胸にしまっておこう。トライベル師匠の二重の声に、王様はうむむとその小さい身体をもっと小さくして考え込む。しゃらら、と僕の絶唱帯が音を立てた。僕は何か言いたいのたろうか。別に何にもない、そんな事は。ただ僕は沙汰を待っていればそれで良い。

「さあ審判を! 裁判長!」

 歌うように浮かびながらトライベル師匠が言う。

「――原告には追って別の裁判を。被告人には曲十枚と絶唱二か月の沙汰を下す! 以上、閉廷!」

 かんかん! と槌が下され、僕は両腕を縛っていた帯を解かれる。そのまま裁判所を出されると、まず抱き着いてきたのは機動性のあるスピカリアだった。わんわん泣いて、告実ちゃん、告実ちゃんの馬鹿、と罵られてるのか歓待されてるのか解らなくなる。次に威紀が肩を叩いて、そのままそこに顔をうずめ、泣いているようだった。そして。

 和純ちゃんはぽろぽろ涙を流していた。

 何か声を掛けようとして、二か月はこのままだったと思い出す。

 仕方ないから態度で示そうと、僕は彼女を抱き寄せる。

 ぽんぽん、背を叩くとうわああああんと声を上げて泣かれた。思えば僕は泣く時もこんな風に泣いた事はなかったな、と思う。ただ手を握り締めて歯を食いしばって、そうしていたと思う。別に泣くぐらいじゃ絶唱帯が爆発することもないけれど、なんとなく自分は声を出さない方が良いんだと思うようになっていた。

 裁判所からの帰り道にある店は、どこもマダムと和純ちゃんのデュエットレコードが飾られていた。自分達は裏レコードを持っていません、と言う印なんだろう。マダムの店にももちろん飾られていたけれど、それはちょっと滑稽だった。だって本人なんだもの。工房の楽器は殆ど引き取られていったって言うけれど、どうなんだろうなあ。僕もレコード飾った方が良いだろうか、窓辺に。でも褪せるのは嫌だから、もう一枚自分で買って? 殆どの店に置いていたはずなんだけれど、今は殆どの店で見かけないんだよなあ。マダムと和純ちゃんの歌唱力凄い。

 店から出て来たマダムは、僕より少し低い背でそれでも僕を抱き締め、お帰り、と言ってくれた。やっと自分の涙腺が緩むのが解って、ぐしっと鼻を鳴らす。裁判。絶唱者差別。裏レコード。自分の能力。封じていなければならないのが良く解った、今回の事件。泣いてくれるほどの友達が自分にいたことを思い知った。マダムのように迎えてくれる人がいる事も、思い知った。それは多分良い事なんだろうと僕は思う。胸の奥からこみ上げてくる音。曲十枚。意外と簡単に書けちゃいそうだな。

「、」

 あ、そうだ。

 僕は手近なインク屋に入って、星のインクを二つ買う。金貨二枚はちょっと怖い額だけど、僕だって自分で稼いだお金だから良いだろう。楽器の調整で。ほかにも師匠からのお小遣いとかあるし、今月は大丈夫だろう。

「インク?」

 こくん、と和純ちゃんに僕は頷く。

「足りなくなったから、あのおじさんの店に行ってたの?」

 うーんと首を傾げてから、こくん。

「次は私も一緒に行くよ。って言うかお使いされる。また大変なことになったらヤダもん」

「お、モテモテだな? 告実」

「モテモテなのー!」

「い、いや別に、そういう意味じゃなくて、理由じゃなくて!」

 違うの? と問うように僕はしゅーんと和純ちゃんを見る。勿論冗談でだ。

「あーもう、どういう理由でも良いよ、本当っ!」

 ぐわーっと両腕をあげて叫んだ和純ちゃんに僕達は笑って家路についた。


「おや遅かったね、告実」

 何もなかったような顔……顔? 顔……で、師匠は僕達を迎えた。と同時に、工房の方からブーブー音がしているのが解る。

「ブーイングだ」

 和純ちゃんの言うように、それはブーイングだった。

 工房を覗いてみると、前より数を増した楽器達に出迎えられる。常連さんも多いけど、ご新規も多い。師匠を見上げてこれは、と口唇だけで問うとああ、とこともなげに言われる。

「あの絶唱の少年が磨いた楽器は艶が増して異世界の音楽を覚えて来る、と言う噂を流してみたら、あっという間に広がってね。その通りと言う訳さ。私は手伝わないが、王様の沙汰と並行で頑張り給え青少年。私は手伝わない。私は、手伝わない」

「三回言った……」

「キョージュの悪いとこだよな、そう言う投げっぱなしなの。まあこんだけ色んな音があったら十枚ぐらいラクショーかもだけどよ」

「スピカリアも手伝うのー!」

「わ、私も手伝う」

「んじゃ私も手伝うかね」

「ほら、」

 私は手伝わなくても良いだろう? と師匠が言う。はいはい、と息を吐きながら、僕は紙袋をごそごそ、星のインクを取り出して師匠に渡した。おやおやと笑って、師匠はそれを受け取る。

「てっきり和純ちゃん専用だと思っていたのに、そうでもなくなったのかな?」

 手段は色々持ってた方が良いですからね。

 人の心を読むのも得意な僕の師匠は、コーヒーを飲みながら噎せた。

 自分で入れたんだろう。手で。歌で淹れれば飲めるものが作れるのに、どうしてわざわさ手間をかけて不味い物を作ったんだろう。謎だ。どうでもいい謎だ。

 とりあえず僕はまた町に居場所をもらい、生活して行けるようになったようだった。しかしブーイング煩いな。和純ちゃんがいつもと違うピアノのずれた調整を音を鳴らすことで直していく。らー、と歌ったりしていると、他の楽器達もそちらに合わせ始める。なんか僕行き場がないな。ハーモニカを取り出して、簡単な曲を奏でてみる。いつか和純ちゃんが教えてくれたわらべ歌だけど、異世界の音律はそれだけで興味を引くようだった。調整の終わったピアノも合わせて、盛大にどんぐりころころ。いつの間にか威紀までギターを鳴らしていた。と、外からの視線を感じて、そしてしゃん、と金属が鳴る音を感じて。また誰かがマダムの用意した缶に銅貨を入れて行ったのだろうと解る。

 僕の詩を聞いてくれた人は比較的僕に寛容な所がある。それが和純ちゃんの能力なんだろう。音力なんだろう。音楽なんだろう。彼女の声が失われる前にきてこっちに来てくれて良かったと、本当に思う。しゃん、とトライアングルが最後の音を鳴らすと、外から嘆息が響くのが解った。さてと、今日の調整はここまで。僕にだって書きたい音があるんだから、それは譲れない。和純ちゃん専用の曲になるだろうけれど、王様だって異世界のこの楽器がもっと色んな音を奏でるのは聞きたいだろう。

 とその前に、夕食の準備しなきゃな。威紀の分は弟妹達がいるし良いだろうから、僕とトライベル師匠とスピカリアと和純ちゃん。

 いつものみんなで、席に着きたい。

 今度のサブ楽器は何にしようかな。またフルートで良いか。

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