第11話


 マダムのホールも城のホールもいっぱいだという事で、急遽借りたのは野外音楽場だった。普段は夜族が借り切ってライブをしているような場所だから、街の人も少し珍し気にしている。五千人規模だから、それでも足りないぐらいだけれど、威紀の客さばきでどうにか全員会場に入れる事は出来た。威紀の頬にはまだ傷跡がうっすらと残っていたけれど、二・三日中には目立たなくなるだろうという事で、ちょっとホッとしたり。

 今日のライブは僕もフルートとして参加だ。絶唱帯が見えない喉の隠れる服を着て、ステージ裏で楽器と戯れるマダムと緊張に固まってしまっている和純ちゃんを眺めると、年季の違いだな、と思わされる。流石はマダム、元王立合唱団団長。

「五千は多い五千は多い五千は多い……」

「最初っから百人規模だったじゃない」

「三百人ぐらいなら学校とそう変わらないからいけたけど、五千は多いっ」

「まあ、前回の軽く十倍だからねえ。下手すると立ち見も含めて二十倍?」

「多いっ!」

 がくがく震えている和純ちゃんに、僕は苦笑する。これが君の力だよ。君の歌の力だよ。僕にはない、力なんだ。僕には歌えない、歌なんだ。今日一日しか歌えない僕にはない――力なんだ。

 時間になってビーっとサイレンが響くと、客席からはわあわあと騒ぐ声が聞こえる。まずはマダムの楽器達が入場。次におまけの僕、そしてマダム。最後に和純ちゃんが入ると歓声はいよいよ大きくなる。そんな和純ちゃんに近付く小さな輝く影はスピカリアだ。緊張をほぐす歌を歌っているのが解る。流石に今回は規模が規模なのでマイクを使う事になったけれど、マイクも一種の楽器なので、うきうきと浮かれている。それをマダムが掴んで固定し、んんっと咳払いをした。途端に会場が静まる。

「今夜は私とこの斎遠和純ちゃんのコンサートに来て下さり、誠にありがとうございます。曲目は少なめですが、どうぞ楽しんで行って下さることを願います。さ、和純ちゃんも」

「ふぇっ」

 突然マイクを渡された和純ちゃんはびくっとなる。頑張れーと声が聞こえて、彼女は余計に硬くなったようだった。だけど――

「斎遠和純です。不慣れですが頑張りますので、よろしくお願いいたしますっ」

 ぺこりと頭を下げて、マダムはららら、と発声練習をした。観客たちもそれに続く。ららら。らーら。らららららら。それが終わるとドラムセットがハイハットでリズムを取り、始まるのはバースデーソングの替え歌だ。わあああっと歓声が鳴って、僕もそれに浮かれるようになってしまう。飛びそうになるフルート。ご機嫌なトランペット。楽し気なピアノ。流石はマダムの逸品達だ、観客にも気後れしない。僕にはそれがちょっとだけ、羨ましい。それだけの場数を踏んできただろう彼らが、羨ましい。これが最初で最後の舞台になるだろう僕には。

 続いて運命がフォルテッシモで始まる。好きじゃない言葉だけど好きな曲だ。これも僕が詩付けしたのを、和純ちゃんとマダムが歌ってくれる。気持ち良い。人が僕の歌を歌ってくれることがこんなに気持ち良いなんて思わなかった。しかも舞台の上でそれを聞ける。なんて素敵な事なんだろう。そして。

 僕は薬を飲む。

 ラプソディ・イン・ブルー。

 これだけは、自分で歌ってみたかったんだ。

 こんな陽気で華やかな歌だけは。

 自分でも歌って、見たかった。

 フルートはひとりでに歌う。僕の声に和純ちゃんが驚くのが解る。マダムも驚いて、でも流石は二人とも、音程はまったく崩さなかった。僕は事前に作ってあったハモり部分を歌って行く。それが気持ち良いのか、和純ちゃんも笑ってくれる。そうしてマイクが引くぐらい声を張り上げてくれる。人々は熱狂し、わあああああっと盛り上がった。

 スピカリアが小さく歌って僕の絶唱帯を強化する。そんなに声が出ているんだろうか、今日の僕は。見上げると空に浮かんだ師匠も見えた。手を振ると振り返される。素敵な夜だった。とてもとても素敵な夜だった。


 そこまでは。


 すべてが終わってマダム、和純ちゃん、僕、楽器達と言う順番でホールを出る。アンコールは無しの約束だったけれど、和純ちゃんはちょっとステージに未練があるようだった。こうして歌中毒を経て歌職人になって行った人を何人も知っている。彼女はどんな歌職人になるかな、とフルートを捕まえたところで、マダムに見上げられ睨まれた。

「え、」

 バンッと頬を叩かれる。

 指輪が当たって、口内炎が出来た。

 和純ちゃんはぽかんとしてる。

「絶唱者がなんて危ないことをするの! 教授のからくりでもあったんでしょうけれど、あんな情熱的な曲、もしも本当になったら隣に座ってる人間同士でも恋に落ちるかもしれないのよ!? どうしてこんな危ない事をしたの!?」

「僕も」

 ぽつん、と呟く。

「僕も、歌ってみたかったんですよ……」

「告実……」

「でも金輪際止めますよ。薬は一度しか使えないらしいし、今日の舞台で僕は十分満足したつもりです。マダムも和純ちゃんも、すみませんでした」

「悪くない! 告実は悪いことしていない、実際何も起こっていない! トライベル師匠の薬は十分に効いた! その内に絶唱者だって歌えるようになる薬だって出来る! だから、」

「でもそれは今じゃない。だからマダムは怒ってるんだよ、和純ちゃん」

「そんな、」

「ありがとう和純ちゃん。僕と一緒に一世一代の大舞台を作ってくれて、本当に、ありがとう」

 ふんっと呆れたような溜息を吐きながら、マダムは僕を叩いた左手をプラプラさせている。指輪、案外自分にもダメージが来るのかもしれない。いつか付ける事になったら気を付けよう。

 そんなこんなで僕の声が入ったレコードも発売された。マダムと和純ちゃんの名前だけで出したから、最後の男声は誰だと暫く物議をかもすことになったけど、次に出たマダムのソロレコードでその噂も鎮火した。マダムはまだ健在だなあと喜ぶのはマダム世代の中年男性達だ。くすくす笑いながら僕は胸の中でだけ自分の音を反芻する。それは中々悪くない気分だった。自分の歌声が内からも外からも聞けるなんて、本当に素敵な夜だった。マダムの輝かしい経歴に傷は付けてしまったけれど。和純ちゃんのそれらも同様だけど。僕だけが楽しくて僕だけが嬉しい、我儘な夜だった。


「しかし告実は練習もなくよくあそこまで歌えたね?」

 トライベル師匠にコーヒーを入れてから、ああ、と僕は頷く。

「イメトレだけは欠かしてなかったんで……たまに鼻歌とかに出そうになって慌ててやめたりしましたけど」

「鼻歌!」

 どっからどう飲んでるのか解らないコーヒーのカップを上げて、トライベル師匠が浮かび上がる。きょとんとするのは僕だ。鼻歌。師匠の感性に引っかかったらしい。

「絶唱者を歌わせる薬は今の所あれが限界だけれど、そうだね、鼻歌から始めるのは良いかもしれない。それにしても君のイメトレは随分高度なんだねえ。スピカリアも一緒に歌いたかったけれど君の絶唱帯の補強に忙しくて出なかったらしいじゃないか」

「そうだったのか……」

「そうだとも。ほぼ毎日一緒にレッスンしていたんだからね」

「でも歌職人である彼女の歌だって危険だと思いますけど」

「彼女はオンオフが一応出来るからね。それが出来ないから君達は怖い」

「そんなもんですかね……」

「それまでは、ほら」

 師匠はポケットから出したベルト状のものを、僕の手に落とす。

「スピカリアでも押さえ込めないとなったら大変だからね」

「……二重の絶唱帯ですか。そろそろ手話覚えるかスケッチブック持参した方が良いかな」

「普通に喋る分には問題ないよ。ただ鼻歌なんかには警告音が鳴るだけさ。一定時間それを無視すると爆死するのは変わらないが」

「あんまり良い改良じゃないですね」

「むしろ改悪かな。だけど寝てる時にうっかり、ってことが無いだけましだろう?」

「はあ、まあ、そうですね……」

 僕は首にベルトを巻く。

 圧迫感でちっとも歌いたい気分になんかなれなかった。

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