第9話

 今度のコンサートは王様も是非聞きたいと言う事で、宮廷内のホールで行われることになった。前回の三倍以上の人が入れるながらも、立ち見の客は多い。今回も取り仕切るのは威紀で、その頬にはまだ痛々しいガーゼが付けられていたけれど、本人はけらけら笑っていた。笑うしかないのだろう。それが一番楽な現実逃避だ。

 和純ちゃんは調整の最終段階に入っていて、ピアノ達と楽屋で確認をしていた。今回は全部をピアノで弾くので、結構大変らしい。もっともそれにダメ出しを食らい続けてきた僕の涙も結構なものだけど。現実的じゃない、写実的すぎる、空想的すぎる。トライベル師匠も真っ青のダメ出し連発だった。それだけこのコンサートには熱を入れていると言う事だろう。威紀の為に。誰かのために。

 そうするのは全然悪いことじゃないと思うんだけど、力み過ぎじゃなきゃいいなあ。スピカリアがリラックスの曲を歌っていたけれど、それでも和純ちゃんは鼻の穴を大きくしていた。と言うと乙女的な表現が崩れるのでやめておこう。落ち着かない様子だった。楽器達もどこかそわそわしてて、落ち着きがないって言うか、ワクワクしてるって言うか。

 やがて鐘楼の鐘が鳴り、刻限に達する。楽器達と一緒に出てきた彼女はやっぱり制服姿だった。それが一番おさまりが良いらしい。ぺこりと頭を下げて、まずは僕の三稿目のグリーン・グリーンからだ。思ったほどの乱れはなく、むしろ落ち着いている。と、オペラグラスを覗いたところ彼女は目を伏せているようだった。それで緊張を緩和しているのが、何とも可愛らしい。

 二曲目はバースデーソングに僕がオリジナルで歌詞を付けたものだ。すべての物にありがとう。この世のすべてに、ありがとう。わあっとぱちぱち拍手が響く。

 最後の曲は、和純ちゃんが教えてくれた『運命』と言う曲だった。いきなりフォルテッシモから入るから随分驚かされたっけ。それでも繊細で良い曲だった。僕が詩を乗せて良いのか解らないぐらいに。フォルテッシモ。ピアノ。クレッシェンド。並ぶ並ぶ音列たち。さあ、僕らの運命を、鳴らせ。

 と、最後に掛かった所で。

 絹を割くような悲鳴がホールに響いた。

 なんだどうしたとガヤガヤする中、僕はまさかと思って出入り口に走る。

 案の定そこには、頭を木の棒で殴られて血を流してる威紀の姿があった。

 その腕には銅貨の袋をぎゅっと抱きしめている。

「威紀!」

「はは……ヘマこいた……和純たちの分は取ってあるから、これで……うちの売り上げは、なしで良いから……」

「盗まれたんだね!? 誰にやられたの!?」

 ぽってぽってと言う音と共に、歩いてくるのは王様だ。真っ白な口髭をツンととがらせて、顎髭は垂らしている。赤いローブに杖を持ち、だけど僕達の腰の高さぐらいまでしか身長のない彼は、愛されるべき王様だ。その王様がきりりとした目でねめつけるのは、威紀。

「犯人は顔見知りじゃな? 隠していると言う事はよほど強い繋がりの者か」

「まさか――」

「心当たりがあるのか、絶唱の少年」

「違う! 父さんたちじゃない!」

 必死に威紀は叫ぶけれど、周りはあの親じゃなあと納得しかけているようだった。

「違う、本当に、違うんだ……」

 頭の傷にてきぱきと包帯を巻いていくのは和純ちゃんだ。悲鳴の時点で何か察していたらしい彼女の準備は万端だった。消毒薬に傷薬、包帯。添え木は使わなくても良かったみたいだけど、もしも威紀が抵抗していたらどうなっていたかは解らない。でも和純ちゃんや僕らの取り分を守ることに必死になった。それは――何故だ?

 まさか、

「弟さんね?」

 和純ちゃんは僕より一瞬早くその回答に辿り着く。そして口に出した瞬間、威紀は涙目になった。

「押しつけがましいって……自分達はこれから自分達だけで生きて行くって……それで……」

 ぽろぽろ涙を零す威紀の頭を撫でて。

 和純ちゃんは歌い出した。

 本来の歌詞の、グリーン・グリーンを。

 この世に生きる喜び、そして悲しみの事を。

 すると、どこかの陰から泣きじゃくる声が聞こえる。

 歌いながらその柱に向かって行くと、銅貨のぎっしり詰まった袋を抱いて、少年が泣いていた。

「つらく……悲しい時にも……ららら泣くんじゃないと……」

 和純ちゃんは彼を抱き締めて、グリーン・グリーンを歌い続けた。


 せっかくレコードに取っておったのに最後の最後で台無しじゃ、ぷりぷり怒る王様は、それでも芳好家に行政介入をした。子供たちと親を分け、末っ子が独立するまでは会えないように取り計らったらしい。王様の命令は絶対、というゲームが異世界にはあるらしいけれど、この国では本当にそうなのだ。どんなに込み合ってる街に出ようとも、擦れ違う事すらない。僕も両親に十年以上会って無いし、多分それが王様の歌の能力なのだろう。王様凄い。強い。

「前に会った時も思ったけど、あの王様すっごく小さいよね。影武者か何かかと思ったぐらい」

「あれでもえーと妖精? って言うと解りやすいのかな? 言霊使い、妖精の中では大きい方だよ。小さいとスピカリアぐらいだし」

「って同じ種族なの!?」

「大雑把にはね。あれ、驚いた? あんな小さな人間が居る訳ないじゃない。いくらここが君達にとっての異世界でもさ」

「妖精自体メルヘンだよ……でもせっかく録音までしてもらったのに、悪いことしちゃったかな」

「ううん、本来の歌詞のグリーン・グリーンも聞けたからそこは良かったって。やっぱり僕はまだ、見習いだなあ……」

「はっはっは、そうめげるほどでもなかったよ。以前よりは随分曲に寄り添い、何より和純君に寄り添う内容になっていた。そこは自信を持っていいところだよ、告実」

「ですかね……」

 はあっと溜息を吐く僕には師匠の慰めもあまり意味がなくって。

 レコードは適当に編集されて売られ、僕達には大金が舞い込むことになるんだけれど、それもあまり嬉しくはなくて。

 唯一威紀の不条理な怪我がやっと終わった事だけが、救いであるのも知れなかった。

 しかし父の死を嘆く歌で両親との決別に至るってのも、中々なアイロニーだよなあ。なんて父親の顔も思い出せない僕は思う。親、親ってどういう物の事を言うのだろう。トライベル師匠は僕と適切な距離を取ってくれているし、姉御肌の威紀にも甘えた事はない。ふわふわもわもわした曖昧な印象があるだけだけど、その印象と僕の両親は噛み合わない。力強く家を守る父とか、命懸けで子供を守る母とか、実際の僕の両親とは似ても似つかない。和純ちゃんも多分そうだろう。でも今もしも彼女の母親が娘を探し回っているとしたら、それは擦れ違って悲しいだけだ。

 と言う訳で僕は城に入るのを許されたのを機に、こっそり王の間にある補聴器を借りた。ラッパみたいな形をした、和純ちゃんの世界でも使われていたというそれだ。それに耳を当てて雑音を取り払って行くと――

「あの子も子供じゃないんだし、家出ぐらいするでしょ」

「別に心配もないわ。最近は自分で料理もするから節約になってるし」

「このまま居なくなってくれたらもーっと節約になるんだけれどなあ」

「でも学費出してるんだから学校に入ってもらわないと損なのよねえ」

「いてもいなくてもメーワクで、本当イライラしちゃう」

 僕は補聴器を外して、そっと王の間を出ようとする。と、物影に小さなお髭が隠れているのを見つけた。

 ハッとなって僕は床に膝を付き頭を下げる。

 お髭は、よいよい、と鷹揚に僕を許した。

 言霊使いの王様。

 僕はこの人に、両親との仲を引き裂かれている。

 もしも師匠やスピカリア、威紀に和純ちゃんまでと青ざめていると、ぽくん、とその杖が僕の頭を叩いた。

「永隙告実。お前さんのお陰であの異世界人は楽器としての目覚ましい発展をしている。じゃからこの世界に本当に足を付けさせて良いのかと思った。そうじゃろう?」

「……はい」

「結果は聞いての通りじゃ。唯一の肉親は不在に気づいてもほったらかし。じゃからわしはあの子を、歌職人にしたいと思っておる」

 それは。

 僕がなれなかったものだ。

「そしてお前さんには専用の詩職人にな」

「え、僕……がですか?」

「トライベル師匠にもそう言われてのう。お前さんたちは音律の合う性格だと言う。だからこの爺にもう少し、お前さんたちの歌を聞かせては貰えんかな?」

「も、勿体ないお言葉です! 僕が出来る事なら、全力でお答えします!」

「それじゃ憲兵のパレードの作曲から頼むかの」

「敷居高っ!」

「冗談じゃ。じゃがわしの部屋の窓はいつも開けておるでな。たまに聞かせてくれると嬉しいぞ。ほっほ」

 王様は磊落に笑って、僕をそっと部屋から逃がしてくれた。

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